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01.その手のぬくもりがすべてだった

「ひぃぃ、い、か、金と情報はくれてやる、だから命だけは…命だけは助けてくれ………!」

「てめぇの安い命じゃなんの足しにもなんねーよ」

ガン!
脂汗を滲ませながら縋り付いてきた男を蹴り上げると鈍い音を立てて目の前の男は動かなくなった。手加減した筈なのに何寝てんだ。磨き上げられた革靴が視界に入る。

「汚ねェ油が付いちまった」

「お疲れ様でした、若頭」

「起きたら情報吐くまで遊んでやれ」

舎弟たちがはい!と返事をし頭を下げる中車に乗り込む。
夜中だというのにこの町はギラギラとネオンライトばかりが光る。

「……アイツはもう寝ただろうな」

「最近は夜更かしを覚えて『若頭が帰るまで待ってる』と仰っていましたよ。まぁ流石にもう眠られているでしょう」

この時間ですからね、と運転席から武市が楽しそうに言う。
『高杉組』の看板がかけられた門をくぐり屋敷の奥にある名前の部屋を覗くとあるはずの小さな身体がない。自分の部屋に行き薄く灯りをつけるとベッドに丸くなって寝ていた。

「また俺の部屋に潜り込んだな」

「……ん、」

ベッドに腰掛けその髪を梳くと薄らと目を開けたのはまだあどけなさが残る少女だ。

「晋助お兄ちゃん…お帰りなさい」

「ああ、今戻った」

寝ぼけた顔でふにゃりとわらって抱きついてくる。途端に甘い香りが鼻をくすぐる。ついさっきまでドブみたいな汗や血の臭いを嗅いでいたのにその空気の変わりように軽く目眩を覚える。

「自分の部屋で寝ろ。お前がいないとなると舎弟たちが騒ぐだろうが」

「ごめんなさい、でもいちばんにおかえりなさいって言いたいんだもん」

「そうか」

そう言われてこれ以上叱る気にはなれない。名前の顔を覗き込むとうとうとうしている。もう目がくっつきそうだ。

「名前、部屋行くか」

「…ううん、一緒にねる… 」

「お前は小せぇから潰しちまいそうだ。踏んでも文句言うなよ」

「………わたしも踏んだらごめん…」

「踏まれたところで痛くも痒くもねぇよ」

本格的に眠りに落ちそうな名前を抱き込んで自分もベッドに横になる。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきた。その頬に唇を落とす。部屋の前に気配を感じて顔を上げた。

「なんだ」

「……若頭、お嬢の姿が」

「ここにいる」

「そうでしたか、」

心底安心したように舎弟の気配は去っていった。
名前が屋敷からいなくなり何かあったとなれば舎弟たちが海に沈むのは暗黙の了解だ。

高杉組。ヤクザと呼ばれるこの組織の中にただひとりその名に似合わない鳥籠の中の鳥がいる。コイツだ。腕の中ですやすやと幸せそうに眠る名前。
俺の妹……ということになっているが所謂妾の子だ。5歳で母親が死に身寄りのなかった名前を高杉組が引き取った。
親父に頼まれ世話をしたのは俺だ。言わずもがな一番よく懐き、屋敷にいる間はくっついて離れない。15になった今も。
大方、ある程度の年になれば政略結婚させられるだろう。それまではと思い大事に大事に育ててきたつもりだった。だが、いつからか妹以上の感情を持つようになってしまった。ひと回りも年下で、半分血が繋がっている妹に。

愛情というものがどういうものかわからなかった。極道の家に生まれてから暗闇の世界に身を置いてきた自分が唯一この少女に与えられるものが、愛だとは思ってもみなかった。だが、家族の愛情と男としての愛情を履き違えてしまった。いつ間違えてしまったのかもうわからない。

名前は体が弱かった。特技のように熱を出しうなされながら俺の名を呼ぶその声に心を絡め取られたのはいつだったか。汗ばんだ小さな手が俺の指を握るたび、刺されたように胸が痛むのは何故なのか。ひとつの答えに辿り着いてしまった今では、その痛みが消えるのをやり過ごすしか方法はない。

明るい世界で綺麗なものを見て生きて欲しい。だがここでは叶わない。

「…おにいちゃん……」

呟かれた言葉は俺の意識を現実世界に引き戻す。
指を絡ませると細い指がぴくりと動き、ゆっくりと握り返した。赤子が反射で返すような動作だった。

「その呼び名は嫌ェだ」



title by 言祝