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12.ほどかれたもの

北大路くんが知らない間にビールに混ぜていた睡眠薬は小さな目薬みたいな容器に入れられた液体だった。『内定先の会社』から手に入れたというそれは少量でとても強力な効果を持っていて、ドロ甘く吐きそうな味をしていた。

「行ってくる。良い子にしてろよ?」

「……帰ってこなくていいよ」

「寂しくなったら電話していいからな。まぁどこか分からないだろうけど」

あの日から北大路くんの家に監禁されている。内定先にバイトとして研修がてら週に2回勤務していると言い長く家を留守にする時は薬を無理矢理飲まされる。それを飲む度に脳味噌が溶けてドロドロになっていく。薬なんかじゃなくて毒だ。全身が重く痺れ起き上がることもできない。気付けば半日経っていたりする。逃げる機会も掴めない。外に出れるのは大学の講義の時だけ。しかも監視付き。家には『友達の家に暫く泊まる』と連絡させられていた。もともとフラフラしていて真面目な方じゃないしもう成人したいい大人だ。共働きで忙しい両親は不審に思わないだろう。

「…スマホ………ど、こ……」

わたしが自由に動けるのは北大路くんが外出してから薬が効いて眠りにつくまでのほんの短い間。でももう既に身体は自由じゃない。ベッドに括り付けられた足枷はキッチンの手前までは移動できる長さがある。隠されたスマホを探そうにもいつも途中で力尽きてしまう。テーブルの上のPCはロックがかけられているしテレビもない。そして驚くことにこの部屋にはベランダも大きな窓もなかった。デザイナーズマンションとでも言うのか、日差しは手も届かないような高さにある吹き抜けのガラス窓から差し込まれるだけだった。

前にレポートを書くために読んだ、有名な作家の一つの作品を思い出した。親類から死んだことにされ地下幽閉されて育てられる女の子の話だ。あの子は最後どうなったんだっけ。あー、あたま、おかし、眠りたくない、眠りたくないよ。だって夢の中はとっても幸せそうなんだもん。十四郎が隣にいるの。手を繋いで海を眺めて、海岸沿いを二人で歩くの。まだ波の音が聞こえるんだよ。あの時、ほんとにわたし嬉しかった。だから大丈夫。後悔しないって決めたから。こんな風になっても大丈夫。心はあげたりなんてしないから。目が覚めたらいつも地獄。それでも負けたりしない。





「名前ちゃん……!!」

「…え、どうして」

キャンパスを歩いていると名前を呼んだ声の主に驚いた。だって近藤さんだ。大学に。しかも私服で。

「今日これから職業セミナーの講演を頼まれているんだ。トシから名前ちゃんの学校だって聞いてな。家にも帰らずに、今どこにいるんだい?トシが心配してる。メールはたまに返してるみたいだけど電話にも出ないし」

スマホが手元にない今、メールも電話もできる状態じゃない。きっと北大路くんがわたしに変わって返事を返しているんだろう。

「近藤さん、お兄ちゃんに伝えて。大丈夫だからって」

「でも名前ちゃん、何か困ってるんじゃないか?顔色が悪い。何でも言ってくれ、トシに言えないなら俺に」

喧嘩でもしているのかと聞かれて首を振った。……言いたい、本当は助けて欲しい。もうあの部屋に繋がれたくない。家に帰りたい。十四郎に会いたい。でもわたし達の関係を知られてるの。逃げたりしたらどうなるかわからない。十四郎の警察という立場も、近藤さんとの関係も。全部全部、わたしのせいで壊れちゃうかもしれない。でももうどうしたらいいかわからない。

「っわたし、」

「名前」

声の主は振り向かなくてもわかる。助けを求めようとしたことに気付かれていないか焦る。平然を装うって振り向いた。

「斎…」

下の名前を呼ぶとにやっと笑って腰に手が回った。学校内では付き合ってることになっている。講義以外は殆ど彼が隣にいる。少し前から仲が良かったから幸か不幸か周りには怪しまれなかった。

「君は?名前ちゃんの彼氏かい」

「ええ。ご心配をおかけして申し訳ありません。最近よりを戻したんですがあと少しで卒業でしょう。どうも離れ難くて。名前は僕の家にいるのでご安心下さい。お兄さんにもそうお伝え下さい」

すらすらとよくもそんな言葉が出てくる。

「そうか、なら安心したよ。ただあまり束縛し過ぎないように気をつけてくれ。名前ちゃんは就活中だろう。支障ないならいいが、卒業してからだって会う時間は作れるからなぁ。トシには伝えておくよ。妹の恋愛にあまり首突っ込むのも嫌われるからなぁ!ハッハッハッ!」

「…近藤さん、講演頑張ってね。わたしたち、聞いてるから」

「ありがとう!またな名前ちゃん!」

手を振って控室に消えていってしまう。行かないで、近藤さん。あと少しだったのに。

「あの男、名前の兄貴の同僚だったか?犯罪者を見逃すなんて無能だな」

「……行こう」

クツクツと笑う北大路くんの声を聞きたくなくて足早に会場に入り、講義室のいちばん奥で近藤さんの講演を聞いた。話の内容は近くて遠い未来のこと。君たちの未来は開かれていると希望に満ちた言葉をたくさん聞かせてくれた。それまでのわたしだったら感銘を受けてその素晴らしい言葉達をメモしたりして就活のお守りにしただろう。でも今はペンを持つ気力さえなかった。満席の講義室で悪びれもなく太ももに手を添え撫であげる隣の男は楽しそうに話を聞いていた。時折、スカートの下に手を潜らせようとするからその度に北大路くんの手を握った。周りから見ればありがたい就活講演の話の最中に手を繋いでる仲の良いバカップルに見えているだろう。でも心はとっくに死んでる。二百人近くいる学生の中の、一体何人が足首に付いた足枷の跡に気付いてくれるだろう。

「置いていく飯食ってないようだけど俺がいないと寂しくて食事も喉を通らないのか?」

「あんな不味い薬飲まされた後に食事なんてまともに出来るわけないでしょ」

「改良して貰えるように伝えておこう」

「そんなことしたらくすねてるのバレるでしょ」

味が全くしない料理を少しずつ口に運ぶ。北大路くんに連れられて行くレストランはどこも高級そうで、いつも羽振りもいいし良いとこのお坊ちゃんだと分かった。この人の性格がどうとか家柄がどんなだろうとか、そういったことことを何も知らないまま付き合っていた。知ろうともしなかった。今になって後悔してる。もっと情報が欲しい。この人の隙をついて逃げ出すことができる手段が欲しい。

「斎って好きな子をいじめて喜ぶタイプなの?こんなこといつまで続けるつもりなの」

「いつまで?愚問だな、俺達はこれからずっと一緒にいるのに」

「心がなくても良いんだね」

「後から付いてくるものだろ?名前だって俺に気もないのに付き合ってたんだから」

…そうだね。好きになれるかどうか勝手に試してたのはわたしだ。酷いね。なんかもう麻痺してきた、色々。北大路くんの振る舞いはあまりに当然といった態度で、こうなることが決められていたかのようで、おかしいのはわたしの方なんじゃないかって思えてくる。これも変な薬の作用?最近ぼーっとしてうまく物事が考えられなくなってきた。

今や同じ道を辿ってあの吹き抜けのある北大路くんのアパートに帰るのに違和感がなくなってきていた。部屋に入るとすぐに例の薬を飲まされる。甘くて、吐きそう。今さっき食べた高級フレンチが胃の中で毒に当てられて溶けていく様をイメージした。じわじわ、溶けてく。全身に広がってもう染み付いてる。

「ああ…そろそろスマホ貸しておく。たまには家に連絡入れてやらないと心配するだろうからな。『お兄ちゃん』に」

シャワー浴びてくる間は良い、と残して久しぶりに自分のスマホが目の前に置かれた。ああ懐かしいななんか。唯一の外と繋がる手段。まずは家に電話するとお母さんが出た。アンタちゃんとやってるの?と問いかけられ、友達の所にいるから大丈夫だよ、就活もぼちぼちやってる、卒論合同で書いてるんだ……なんてスラスラと言い訳が出てくるのは何故だろう。頭のおかしい男に監禁されてるの助けてって言えばいいのに。電話の向こうから遠くで低い声が聞こえた瞬間、肩が震えた。『名前からよ。あの子ったら大事な時にフラフラして』ってお母さんが小言を言う声が遠くなる。スマホを当てた耳が痛い。

『名前?』

「…あ………」

言葉が出なかった。何を言えばいいかわからなかった。

『ちゃんとやってんのか』

「………うん……」

『今日、近藤さんがお前に会ったって連絡してきた。…あの事、お前がいいなら何も言わねぇよ。…悪かったな』

「…と、しろ…?」

なんの、こと?あの事って何?

『だからまたには帰ってちゃんと父さんと母さんに就活のこと報告しろよ。心配してんだから』

ガチャリと部屋の扉が開いた。濡れた髪を拭く北大路くんが笑ってこっちを見下ろしていた。なにをしたの。なにを言ったの。北大路くんが来たことが伝わったのか、電話は返事を待たずじゃあなと切れてしまった。

「えらく心配していたようだからこちらからメールを送っておいた。話はついてるから安心していい」

なんの話を、なんて想像もしたくなかった。この人が笑う時はわたしにとってはとてもじゃないけど笑えない状況の時なんだから。メッセージを起動して見ると送った覚えのないメールがいくつか残っていた。その中に十四郎とのやり取りがあった。元彼とよりを戻したから暫くそこで暮らすこと、これまでのことは恋愛感情じゃないということ。そして、

『やっぱり血の繋がった兄と関係持つなんて気持ち悪くて無理です。忘れて下さい』
『分かった』

「なにこれ……」

こんなこと言うわけないじゃん。わたしじゃない、北大路くんだよ。十四郎、気付いてよ。分かったって………どうして。なんでそんな一言で受け入れちゃうの。知らない所で勝手に終っちゃってたの?もしそうならわたし、家に帰っても居場所なんてもう無いじゃない。

「流石警察、理解あるし立場ってものを解ってる」

「北大路くん…」

「斎、だろ」

手の中からスマホが取り上げられる。タイムオーバーだ。弁明も釈明も、助けを求めることもできずただ命より大切な何かを失った喪失感と絶望だけを与えられた時間だった。ぐるり、世界が揺れる。甘い毒が全身に行き渡って目が回る。唇を舐めながら肩を抱きベッドに落ちる身体を支える物はもう何も無かった。


title by まばたき