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11.誰かに肯定されたくて生きてる

十四郎は本当に仕事が忙しくなったみたいで同じ家に住んでいても顔を合わせる回数が減った。わたしは相変わらず就活中。家の中は何も変わらない。でも確実に変わったことがある。それはとてもじゃないけど言葉にできない秘め事だ。彼の事を思うたびに二人で行ったあの旅行のことを思い出しては幸せを噛み締めて過ごしていた。
嬉しかった。好きな人と想いが通じ合ったこと。ひとつになるってああいうことなんだって初めて知った。溶けて無くなってしまいそうなほどの幸せを与えてくれた。真面目なあの人のことだ、ここに至るまでとんでもない葛藤があったに違いない。でも、受け入れたのはわたしだ。だから十四郎にも、幸せだったなって思って貰える思い出になればこれ以上のことはない。

「と、…お兄ちゃんお帰り」

髪を縛っていると玄関の鍵が開いて十四郎が帰ってきた。洗面所から玄関に続く廊下を覗くと荷物を置いて靴を脱いでいた。当番明けだからどことなく疲れてる感じ。本当大変な仕事だなぁ。

「おう。面接か?スーツ変えたんだな」

「説明会だよ。ちょっと聞いてくれる?今日の会社さ、『私服でお越し下さい』って書いてあるの!私服でってなに私服でって!私服って言ってパーカーとかで行ったら速攻落とされるんでしょ!?だからまた別のオフィスカジュアルの服を買わなきゃいけないわけじゃん!更に就活が長引くほど髪もメイクも出費!!学生の所持金の無さを甘く見ないで欲しいよね!」

「わかったからこっち来い」

これは全然話聞いてないな。リビングのソファに腰を下ろした十四郎が手招きするのに従って隣に座ると、適当に軽くひとつ縛りにしただけの髪をさらりと撫でた。後でちゃんとやろ。

「…なんか目がギラギラしてる」

「あー…眠くてコーヒー飲み過ぎた」

「あと煙草吸いまくったでしょ!くっさ!」

「疲れてんだから騒ぐな」

鬱陶しそうにするのに側に置いてくれるのが嬉しいし、何よりこうしてゆっくり二人で話せなかったから思い切って抱きついてみた。恥ずかしい、嬉しい、好き、とにかく触りたい。照れ隠しに出るのは可愛くない言葉。

「くさい本当にくさいお風呂入って来てよ」

「お前がくっついて来たんだろうが」

「服に匂い付く」

「だーかーら……めんどくせぇな」

「ごめんごめん」

離れようとすると逆に力が込められる。引っ張られてソファに押し倒されるのと同時にシャツを捲り上げた。

「ななななななななに!?」

「脱げば良いだろうが」

「え!?」

「そんなに気になんなら脱げよ早く」

「待って待って待ってここリビング!誰か来る!」

「平日の真昼間に誰が来るんだよ。お前こそベタベタ触ってきた癖に自分はダメってそりゃあねぇだろ」

「わっわっ、ちょっとお兄様!」

「…んとにうるせーな」

身体を起こして立ち上がった十四郎はリビングを出ていこうとしていた。ソファにはお腹とブラ丸出しのわたし。え、こんな間抜けな女を残してどちらへ。

「寝る」

「は」

「今日何時に家出るんだ?」

「え、午後からだから昼過ぎに………」

「来たけりゃ来いよ」

……それはわたしにこの後の選択を任せるという意味で。トントンと階段を上がっていく背中を追いかけるかどうかなんて…悩むまでもなかった。

「待って」

先に着いていた部屋の入り口で待ってましたと言わんばかりに扉を開けていた十四郎は思い通りになって嬉しいのかわたしを腕に閉じ込めてニヤリと笑った。その顔が磁石みたいにくっつく。

「だからお前は騙されんだよ」

「っん、」

「そうやって男にホイホイついてくなよ。悪い虫に掴まんぞ」

キスの合間に囁かれバタンと部屋の扉が閉まる。今、この家には二人だけ。誘われるままついてきたから反論も抵抗も出来ないしするつもりもない。音を立てて口腔内を隅々まで味わう吐息が苦くて舌先が痺れそう。髪を留めていたゴムが抜き取られる。

「ふ、っあ、……はぁ、」

「…応援しといて悪いが説明会行かせてやれねぇかも」

今度こそシャツを脱がされた。良いよ、もう、どうだって。一緒にいられるなら何でも良いし何でもするよ。返事の代わりに自分から彼のズボンのベルトに手をかけた。






ヒールを鳴らしながら面接会場を出た。黒髪の自分にも見慣れてきたし少しずつ手応えのようなものを感じるようになってきた。場数を踏むごとに得られる自信、と言えば良いのかな。少し前まであんなにどんよりとしていた心のモヤがすっきりと晴れて面接もうまく進んでいた。
今日は講義もないし午前中の面接で予定は終わり。さてこれからどうしようという時に電源を落としていたスマホを見ると呼び出しがあった。最近友達として仲良くなりつつある元彼の北大路くん。『見せたいものがある』そうで何故かカラオケに呼び出された。カラオケ…ってまさか歌うわけじゃないよね?クールな北大路くんからは想像出来ないんだけど。

「お待たせー」

「面接だったのか、お疲れ」

二人用の個室って結構狭いんだな。先に着いていた北大路くんの隣に座ってジャケットを脱ぎ安っぽいハンガーに掛けた。

「どうしたの?こんなところ来るなんて意外だね」

「本当は飲みに誘おうと思ったんだが…名前は明日一限あるだろう」

「あーそう言えば一限だ。だったらゆっくり飲めないもんねぇ」

「俺は二人で話したかっただけだ。場所に意味はない」

ふうん。でもまぁせっかくだからいいか。予定もないし。

「じゃあなんか飲もうよ。メニューにお酒あるし」

「スーツで酒飲むつもりか?」

「ダメかな」

「…まぁ、個室だからな」

「生2つくださーい」

部屋の電話を使ってお酒を頼むと呆れたように苦笑いされた。すみませんね面接疲れちゃったんです。パーっとしたいんです。何度受けたって緊張するし終わったら頑張った自分を甘やかしたくなるんです。

「かんぱーい」

「乾杯」

カチ、とグラスを合わせてビールをごくごく流し込む。

「めっちゃ美味しいね!昼間から飲む罪悪感すごーい楽しーい!」

「楽しそうで良かったな」

「楽しいよ〜」

「最近元気そうだな。良いことでもあったのか?内定出たとか」

「まだ出てないけど最終面接まで行ってるのは二社あるよ。再来週かな」

「全てにおいて長続きしない名前がよく頑張ってるな」

「『よく頑張ってるな』だけでいいのに」

「本当のことだろう」

そういえば北大路くんとお酒を飲むのは初めてだ。付き合った時はまだ未成年だったし成人してからは学部が違うせいで飲み会も一緒になる事はなかった。少しずつ関係が変化してる。話してると普通に楽しいしちゃんと目を見て話して、心から笑えてる。あの頃は好きになろうって無駄に頑張ってて無理してた。

「ところで何か話あった?見せたいものがあるってメッセージに書いてあったよね」

「……ああ。良い写真が撮れたから見せたくて」

「えーなに?北大路くん何か飼ってたっ……け…」

何気なくスマホの画面を見て文字通り息が止まった。わたしたちだ。旅行から帰ってきた日の、わたしと十四郎。車から降りる直前、薄暗い夕方、車の中で、キスをする、恋人同士のわたしたち。

「……これ」

「名前の好きな人がどんな人か知りたかったんだ。驚いた。まさか……血の繋がった兄貴だとはな」

「っ違うよ!そういう関係じゃない。ふざけてただけ。よくあるでしょ?そういうノリ」

「へぇ。社会において何の役にも立たない非行少年達にも熱心に指導する真面目でお堅い巡査部長がそんな『ふざけた遊び』するんだな。どっちから誘ったんだ?その遊び」

どうして十四郎のことそこまで知ってるの。どうして…そんな風に言うの。責めるような目を向けるの。さっきまでの和やかな雰囲気はどこに行ったの?

「こんなの見せてどうしたいの?」

「俺は、名前を手に入れたいだけだ」

「なにそ、れ、?……っ?」

突然急激な眩暈に襲われる。意識が朦朧とする。強制的な眠気。お酒はそんなに弱くないから酔うはずない。たった一杯も飲み干してないのにどうしてこんなに視界が回るの?目の前の人の口元が弧を描く。倒れかかる身体を抱き締めるのは今となってはもう、わたしの知らない顔を持つ元彼。

「酔ったか?それとも効いた?」

「なに入れたの…!?」

「俺の家が直ぐそこにある。…休んでくだろ?」

ぎゅっと腕に力がこもる。愛おしそうな手つきで頬を撫でた。抱き締められているのに心に浮かぶのは果てしない後悔と怒り。

「…最低、だね」

「どっちが」

最低、最低。もうほんと、最低。全部が、何もかもが最低過ぎる。二人だけの秘密だったのに。初めて満たされてすごく嬉しくて浮かれて、外でキスなんてしたから。十四郎はあんなに遠くに連れて行ってまでわたしに触ってくれたのに。これは罰だ。どこまでの罪?十四郎を受け入れたこと?好きになったこと?男遊びばっかりしてたこと?それとも、あの人の妹に生まれてきたことがもう、

「俺以外は名前に相応しくない。どんな男も…あの兄貴さえも。消してやりたい、名前の視界から」

似てない。あの人に全然なんにも似てない。ただその雰囲気に面影を浮かべて、あの人の手だったら良いなって思いながら繋いだ。北大路くんのこと見ようとしなかったから。好きでもないのに付き合ったから。弄んだから。これはその仕返しだ。頬に触れる手が気持ち悪い、

「やだ、触らない、で…きたおうじ、く、」

「今日からまた恋人なんだからよそよそしい名で呼ぶなよ。それとも…俺とも『お遊び』するか?一生終わらせないけどな」

もう、眠りに落ちてしまう。視界が、思考が閉じていく。

「死んじゃえ……」

「なら殺してみろよ」

いつでも刺して良いって笑う顔を睨み付けた。
刺してやる、絶対。


title by パニエ