06.だいじにだいじに壊してしまう
「指輪、ほんとに格好良いよね」
「そうですねぇ」
車内でお嬢と武市が楽しそうに会話を弾ませている。今までは微笑ましかったが内容が自分の事となると途端に居心地が悪い。
「うまく言えないけど万斉さんの事すごく良く分かってる感じがする」
「男衆にも人気ですからねぇ」
「えっそうなの?」
「ええそれはもう。冷徹非道、罪は血で償えと言わんばかりの振る舞いは夜の街では伝説に……」
「武市。お嬢の耳に汚い言葉を入れるな。火を付けるぞ」
「おお怖い」
「ねぇ万斉さん。お姉さんとはどんな風に過ごしてるの?」
いつからかお嬢は名前のことを『お姉さん』と呼ぶようになっていた。名前を伝えていないが歳は晋助と同じくらいだと言ったことがある。
「…主に会話を」
「へぇ、どんな?テレビの話とか?」
次いだ質問に内心狼狽る。ゆっくり会話するというより肌を合わせている時間の方が長いのではと思案したからだ。思えばあの部屋にテレビはない。
「こらこら、大人の男女の会話を知るのはまだ早いですよ」
武市が助け舟を出すがまた晋助の話のネタにされることは明白だ。
「会話…会話かぁ。家族以外で心から安心できる人がいるってすごいことだよ」
「お嬢にもそのうち現れるさ。そういう相手が」
「…わたしは晋助とお屋敷で一緒にいられたらそれでいいの」
返す言葉が見つからない代わりに頭を撫でれば手入れの行き届いた髪が揺れる。その言葉の意味は自分だけが知っている。お嬢と俺は秘密を共有している。本当の兄妹ではないからこそ叶う事のない願いだけを持つ少女の想いの、なんと儚いことか。沈黙を誤魔化すようにスマホを取り出した。
「あ、何か落ちたよ。……?」
ポケットからスマホを出した拍子に落とした紙を見てお嬢の動きが止まった。例のマークだ。この子の目に触れて良い物ではない。
「すまん、ただの落書きだ」
「……それ……」
「何?もしかして見たことがあるのか?」
「…気のせいみたい。ごめんなさい」
「いや、その方がいい」
気のせいだと言う割に表情が曇ったお嬢はそれ以降窓の外の景色を眺めて何か考えているようだった。
*
その日、珍しく昼間に名前の店を訪れると閉まっていた。相変わらずの自由営業だ。となると作業中か。しかし鍵をこじ開けて入った2階の部屋にも家主はいなかった。空振りか。また夜にでも顔を出そうと思い玄関に向かおうとすると作業台の隣に置かれたパソコンが新着メールを知らせた。オーダーか。スリープしていた画面が光る。何気なくそちらに目をやると開きっぱなしの画像が映し出されていた。それは今最も目にしている形のマークだった。
「…何故これがここにある?」
思いがけず声が震えた。嫌な予感がする。まさか名前はこの組織に関係している?いやそんなはずはない。部屋をくまなく探したが『葉っぱ』のような物は出てこなかった。それに少し安堵しつつ作業台の引き出しを開けるとあのマークを象ったネックレスが現れ心臓が早鐘を打つ。
「どういうことだ」
電話が鳴る。この部屋の固定電話だ。受話器に耳を当てると馴れ馴れしい話し方をする若い男の声が響いた。
『あ、店長さん?アレ、もう出来ました?そろそろ取りに行きたいんすけど。てか近くにいるんだけど今から行っていー?』
「店長代理だ。アレとは何だ」
『え…あの、オーダーしたネックレスっすけど、緑の丸い、』
「それをどうする気だ?」
『……アンタ本当に店長代理?』
「今直ぐに取りに来い」
ガチャリと切った電話を床に投げつけたくなるが我慢した。1階に降り店を開けてその男を待っていると二人組だった。不審に思い仲間を呼んだのだろう。
「ちわーっす。ブツ取りに来ましたー」
「待たせたな。20分も時間を無駄にした」
手の中のネックレスを一つ投げてやれば手の中に落ちたそれを見て興奮した表情をする。
「おーすげーカッケー!あれ?これ5個頼んだんすけど?残りは…ガッ!!」
顔を蹴り上げ倒れた喉元に革靴をめり込ませると隣にいたもう一人が喉奥から恐怖の悲鳴をあげた。
「ヒッ…!?何だアンタ…!?」
「このマークは何だ?」
「これは…チケットみたいなもんで、…これ持ってると安く手に入るから、」
「何がだ」
「や、野菜………」
「『野菜』、な。お前達はこの組織の一員か?」
「違う、違う!俺はただ取ってこいって、バイトで、」
「俺等はなんも知らねぇんだよ!だから」
「そうか。じゃあ死んでも支障ないな」
「ヒイイィッっ!」
「河上さん…っ!?」
ただならない圧に怯える男達が寝転ぶ店に入ってきたのは名前だ。タイミングが最悪すぎる。
「どういうこと?なんで貴方が……この人たち、お客さんなのよ」
「これが何か分かって作ってたのか?お前もこいつらの仲間なのか」
「待って、やめて、その人達を離して。これ以上殴らないで。どうしてこんな事するの?」
震えていた。男の口元に滲む血を視界に入れてしまった名前はテーブルに手をついた。こんな状況ではまともな会話はできそうにない。
「オイ行くぞ…!」
「待て」
逃げ出した男達を追おうとすると名前が腕を掴んだ。
「やめて…!河上さん、どうして、」
「名前、落ち着いてくれ」
「酷い……」
身体から力が抜け気を失った名前を部屋の寝室に運び、あのマークがついたネックレスを全て持ち去った。荒れた店内を前にしてせめて作品の一つひとつを手に取ろうとした時、ポケットから呼び出し音が鳴った。
『すいやせん兄貴 !お、お嬢が、お嬢がいなくなっちまいました!』
「……すぐに行く」
スマホを握り締めたまま店を出た。床に散らばったアクセサリー達が俺を恨めしそうに見ている気さえした。
*
屋敷に戻るとお嬢は既に連れ戻され晋助に酷く叱られているようで部屋からは泣き声が聞こえてきた。ともかく、無事で良かったと胸を撫で下ろす。…名前も、目が覚めている頃だろう。俺は別の奴を叱らねばならない。今日お嬢に付いていた舎弟を呼び出し裏庭で殴りつけた。
「すいやせん、すいやせん…学校に迎えに行ったら待てども来なくて…どうやら迎えがつく前にタクシーで移動されたそうで」
「何処へ向かったんだ」
「駅前のビルだそうで、何やらお友達の誕生日プレゼントを買いに行きたかったのだと、」
……嘘だとすぐに判った。お嬢が俺たちを欺いてまで誕生日プレゼントを買うような友達はいない。あの子が俺たちに嘘をついたことは一度もなかった。だからこそ晋助はあんなに怒っていたのだ。
「あ…あの、兄貴、若頭がお嬢の部屋に来いと…」
別の舎弟が控えめに声を掛けてくる。返事もせず縁側に上がり廊下を進んだ。お嬢の部屋の前には来島が不安そうに立っていた。
「あの、これ…お嬢に」
泣いているお嬢のことを思ってかお盆には濡れタオルと氷が乗っていた。それを受け取り中に足を踏み入れた。
「てめェが同席するなら話すとさ」
お嬢からは普段の花が咲くような笑顔は消え失せていた。俺を見て、またポロリと涙が溢れた。
「話してくれるか?何があったのか」
「……あの、マークのこと……思い出したの」
「これのことだな」
ポケットから例のネックレスを取り出すと頷いた。
「ねぇ、これは一体なに?」
「…身体に危害を及ぼす薬を売ってる組織のマークだ。今調べてる」
あくまでも簡潔に晋助が答えた。するとか細い声がゆっくりと話し始める。
「クラスの子が大学生の人と付き合ってて、よく話してるのが聞こえるの。この間、彼氏と駅ビルで買ったって…そのネックレスを付けてて…」
こうなれば話の筋は読める。晋助と目を合わせた。
「…この数週間でどんどん、痩せて、様子がおかしくて…学校に来なくなったの。ひと目見て分かった。…それ、お姉さんが作ったんでしょ?わたし、お姉さんが悪い人なんて思えなくて、だから確かめなきゃって…」
そうだ。名前は自分の店の他に駅ビルの店舗に商品を置くことになったと言っていた。しかも『最近は友達とお揃いで付けるのが流行っている』のだと……そう言っていた。きっとそこでこのネックレスを売っていたのだろう。それを知ってこの子は一人で確かめに行ったんだ。
「お嬢、なぜそこで俺達に相談しなかったんだ。嘘までついて何故抜け出した?」
「…わたしなら面識がないからもし変な人がいても怪しまれないと思って…。それに、お姉さんがもし何にも知らないで作ってるんだとしたらとにかく早く教えなきゃって…今日は、晋助も万斉さんもいなかったから」
「理由は分かったがお前はその女に会ったことも無いだろう。何故無関係だと思った?本当は裏で危ない事をしてるかも知れねぇんだぞ。そうなりゃお前も、」
「……っ、…万斉さんが、選んだ人だから…っ万斉さんが、心を許せるって思った人だから…!」
はっきりと言い切ったお嬢が名前を頑なに信じたのはたったそれだけの理由だった。俺は、疑ったというのに。彼女がこの麻薬を扱う組織の一員なんじゃないかと。もしかしたら俺の背後にある高杉組にさえ危害を及ぼそうとしているのではないかと邪推し部屋まで調べ上げまた目の前で人を殴り店をめちゃくちゃにして…最後には気絶させて置いてきたというのに。
「万斉、店主は今どうしてる?」
「少し店で暴れさせて貰ったせいで気を失ってる。そろそろ目が覚めるだろう」
もうお嬢も無関係だと言い切れない。昼間あったことを二人に話した。
「成る程な。ネックレスは組織の認知度を上げ客を増やす為だろうな。ターゲットは若い連中か…」
「売り子と見られる二人に顔と名前を知られ逃げられている。ウチが動いていると知られただろうな」
「高校生にまで広まってんならそう長く付き合ってられねぇな。平賀に連絡付けとけ。俺は出る」
「待て晋助、俺がやる。もう少しここにいろ」
晋助にタオルを押し付けお嬢の頭を撫でてから部屋を出た。仲直りさせる時間が必要だ。自室に入り平賀に電話すると珍しくすぐに繋がった。
「そういう訳だ。アクセサリー店の店主に危険が及ぶ可能性もある。警察を動かしてくれ」
『それは問題ないが…おい万斉もしかしてその店主って例の子じゃないのか、お前の』
「頼んだぞ」
一方的に電話を切って漸く深い溜息を吐いた。長く、目まぐるしい一日だった。名前には暫く近づかない方がいいだろう。これ以上高杉組との関連を見せれば狙われる。身の回りの安全は警察に任せる他ない。それに…。
「…信じることもできない、暴力でしか解決出来ない」
こんな俺が一人の女を手に入れるなんて初めから無理な話だったのだ。これでは名前の父親と何も変わらない。目的の為ならどんな手段を選ばない。人を殺した後に女を抱ける人間だ。ヤクザの匂いが骨の芯まで染み込んでいる。だから彼女と組織との関係を疑った。あんなにも人の幸せを願い、丁寧に作品を作る名前が人を傷つける為の物を作るわけが無いと考えれば直ぐに分かることなのに。
「…万斉さん……ごめんなさい」
コンコン、と部屋がノックされドアの前に立っていたのは目を赤くしたお嬢だ。わざわざここまで来て謝りに来てくれたのか。中に入るよう促すと静かに首を振った。
「あのね、気付いてないかもしれないから」
手に握られた花の飾りが付いたブックマークの端、金具の隅の指差す箇所をよく見ると小さな文字のような物が彫られていた。外国の文字で『幸せに』と。
「こんなに素敵な物を作る人が利用されているなんて悲しいから……」
手を取られ、親指の指輪を抜き取られる。厚いシルバーの内側に同じ文字が刻まれていた。あの澄んだ笑顔を思い出して心臓が軋んだ。
title by sprinklamp