05.おさなき空想の屍骸よ
「鍵、開いてたぞ。ちゃんと戸締りしろ」
ギシ、とシングルベッドが音を立てるのと俺の声で目を覚ました名前はゆるく笑いながらまた目を閉じた。時刻は朝5時になるところだ。仕事の合間以外でこの部屋を訪れるのは深夜か朝方になる。眠たそうにしながら枕元に置いた俺の手を握り指輪を探り当てて撫でた。
「どれだけ厳重に戸締りしてもこじ開けて来るじゃない。この間鍵を壊したのは誰?」
「あんな物飾りと同じだ。代わりに性能が良いのを付けてやっただろう」
「それさえも開けてくるなら鍵を閉める意味ないわ」
「普通の防犯には十分だ」
起き上がればカーテンを開けて薄らと明るくなってきた外を確認して着替え始める。二度寝する気は無いらしい。
「何か食べる?」
「いや、いい」
さほど広くはない寝室にはベッドと小さなチェストのみが置かれている。クローゼットを開けた名前の背中を目で追う。寝巻きにしては薄着のキャミソールとショートパンツを脱ぎシンプルな白いリネンのワンピースを手に取る。無駄な肉がない、やや痩せ過ぎの脇腹に残る暴力の跡が痛々しい。ワンピースに袖を通しながらそういえば、と名前が振り向いた。
「若頭さんはどんなデザインの刺青を入れてるの?」
「若頭は刺青を入れていない」
「えっそうなの?なんか…上に行くほど凄いのかと思ってた」
「最近は組長であっても入れない場合が多い。伝統がある組なら若いうちから入れてるが…ウチはそんなものに拘らないし強制もしない。オヤジは全身染まってるがな」
「へぇ…若頭さんってどんな人?」
「…なぜ奴を気にする?」
「お嬢様のお兄さんなんでしょ?どんな人なのかなって。お嬢様、きっと良い環境で育ったのね。手紙を読んでそう思ったから」
「それはお嬢が元から優しい子だったからだ」
「それだけかしら」
会話を重ねて行くうちによく笑うようになった、と思う。半分開けていた窓の隙間から入る朝の風が彼女の服をふわりと揺らした。
「…珍しくまともな服を着るんだな」
「駅前のショップに商品を幾つか置いてもらえることになったの。今日は顔出しに行くから」
「良かったな」
「店は暇そうに見えるけど結構忙しいのよ。これでも」
「分かってる。普段は揶揄ってるだけだ」
「ふふ、何それ」
名前が作るアクセサリーはどれも手作りとは思えないほど美しく、しかし彼女らしい温かみがあった。全ての工程に真摯に向き合い愛情を込めているからなのだろう。己の指に光るシルバーの指輪達も今となってはなくてはならない自身の一部のように思える。
「客の男女比は?」
「んー…物にもよるけど全体では女性の方が多いかしら。7対3くらいかな。でも最近は男性のオーダーも増えたかも。友達でお揃いのモチーフの物を身に付けるのが流行ってるみたいよ」
話しながらチェストの引き出しを開け指輪やネックレスを付ける様子を眺め……徐に立ち上がり窓を閉めてから名前のところに向かい、後ろから抱き寄せれば不思議そうにこちらを向いた。
「…どうしたの?眠い?」
「いや」
「え、嘘、河上さん、なに急に」
「何故だろうな。お前が白い服を着ると脱がせたくなる」
たった今着たばかりのワンピースのボタンを外していく。戸惑いは見せるが抵抗はしない。すぐに布の塊になったそれを床に落とし髪をかきあげて姿を表した首筋に唇を当て吸い付いた。
「あっ、やだ…こんな時間から」
「仕方ないだろう。仕事以外だとこの時間になる」
「まだ5時前よ?どうしてそんなに元気なの?お爺ちゃんみたい、あ、ん、」
文句の言葉が徐々に甘い声に変わっていく。どこが弱いのかはもう手に取るようにわかる。上の下着をずらし柔らかい胸の感触を確かめながら飾りを刺激すればビクッと身体を震わせた。
「俺は夜型だから今が寝る前みたいなものだ。それより誘惑した方が悪い」
「してないわよ、着替えただけっ、あぁ、」
「静かにしてないと上の住人に聞こえるぞ。まだ夢の中だろうがな」
「んん……っ」
「いいから感じてろ」
自分でも驚くほど詰まらない嫉妬だった。オーダーを受けたアクセサリーがどれほどの愛情を受けて作られているのかを知ったからだ。それが他の男に届けられ、何も知らずに身につけられる。その様を想像し、処理し切れない感情を名前に押し付けている。まるで他の兄弟に向けられる親の愛を独り占めしようと気を引く子どものような行為だった。もっとも、実際にはそんな場面に出くわしたことはないし自分にそんな感情があったことに驚いた。
チェストに手をつかせればガタ、と開けっぱなしの引き出しが抗議するかのように音を立てた。中に並べられている彼女の為のアクセサリーが俺達を見ている。舌を使い口の中に入り込めば、戸惑いながらもしっかりと絡ませて応えてくる。背中に回された腕と密着する肌の温度がどうにも心地良い。役立たずになった下着まで落とし何も身に付けていない状態にしてやれば恥ずかしいのか俺にしがみ付いてくる。
「明るい、から嫌、は…ぁ、っん」
「今更だな」
苦しそうな呼吸に舌を離せば混ざり合った透明な糸が繋ぐ。それを舐めとるのと同時に片足を軽く上げさせ中心に指を立てればそこはもうすっかり潤んでいた。
「ぁあっ、っ!」
聞こえるように音を立て掻き混ぜると足が震え始める。支えがなければ床に倒れ込みそうなほど感じながら達するまでそこを執拗に攻め、くたりと力が抜けた頃漸くベッドに身体を横たえた。間髪入れずに取り出した己の物をず、と奥に埋め込んでいく。脇腹の跡を撫でながら全てを収め腰を引こうとしたその時だ。規則的なスマホのバイブが場違いな音を立て俺を呼んだ。
「…っ!」
名前の身体が硬直する。無視を決めても良いがこの時間にかけてくるのは奴しかいない。待てと視線で伝えキスをしてから幸か不幸か直ぐ側に脱いだジャケットのポケットを手繰り耳に当てる。
「どうした」
『朝帰りとはいい夜を過ごしたみてェだな』
「さっきまで一緒にいただろう。用は何だ」
『平賀と連絡が取れた。お前が持ってきた例のスマホの待ち受けだが…組織の人間が共通して持っているマークらしい。『工場』との関連も合わせて重点的に調べてくれ』
「分かった」
『それと…コイツの守りを強化したい』
コイツ、とは今晋助の隣で眠りについているだろうお嬢のことだ。俺達が危険な事に足を突っ込むということは、屋敷を留守にする時間が増えるという事だ。同時に敵に狙われやすくなる。お嬢の警備も固めるのが決まりだった。
「学校へは何人か回して交代でつかせよう。今日は俺が行く。お前もたまには付いてやれ。お嬢が喜ぶのはお前だからな」
『学校なんざ誰が好き好んで行くか』
「連れ立って外出すれば狙われるのはお嬢だろうからな」
そういうこった、と答えた声は覇気がなく穏やかだった。あの子を起こさないように配慮しているのか寝顔を見て機嫌が良いのか、どちらも正解だろう。
『クク、取り込み中失礼したな』
一方的に切られた。だったら始めからかけてくるなと文句の一つでも言いたいところだ。半分わざとだろう。しかも本題は恐らくお嬢の警備についての方だ。スマホを放り投げてやっと組み敷いた名前に全神経を向けた。
「…よく我慢していたな」
名前は自分の腕を口に当てて声が漏れないよう必死に耐えていた。通話している間、中に入ったまま腰を揺すったり花核を親指で刺激していたからだ。頬を赤く染め涙目で睨んでくるが迫力がなさ過ぎて乾いた笑いが漏れた。
「っ、もう、貴方って本当自分勝手」
「別にバレても良かったんだがな。若頭は薄々気付いてたようだし」
「私が良くないの!」
「そう怒るな」
腰を引き寄せて軽く持ち上げる。上から落とすように中の壁を味わえば声も出せないほどの刺激にシーツを掴んだ。
「っ!あぁっ、!やっ、はげ、しっ」
「焦らした詫びだ。好きなだけイけ」
「あっあっ、っ河上さん、っ!」
悲鳴にも似た嬌声を聞きながら自身も快感の海に溺れ高みへと登り詰めた。だがまだ足りない。そうやって求めるまま幾度か抱き合い満足すると呼吸が整うまで触れるだけのキスをする。
「最近この辺りに不穏な空気がある。気をつけろ」
「…、終わって一言目がそれ?」
「愛の言葉でも囁けばいいのか」
「愛とかよくわからないから遠慮しておくわ」
「奇遇だな。俺もだ」
*
「おい万斉、聞いたぞ!彼女ができたのか!お前がそんな浮ついたことを話すのは初めてだなぁ」
「誰もそんな話はしていない」
「この間の電話で晋助さんが嬉しそうに言っていたよ」
「……天下の高杉組の情報が筒抜けだな」
「えらく美人らしいじゃないか。今度紹介してくれよ」
「断る。カタギの人間だ」
「へぇそりゃあ珍しいな。お前のことだから一般人なんて面倒だと言いそうなもんだが」
ていうか、と目の前の男は酒を煽る。
「認めたな、今。彼女って」
ニヤニヤと反応を楽しむ意地の悪い顔に火を付けてやりたくなる。
「そんな明確な関係じゃない」
「えっじゃあなんだ、まだ告ってもないのか?お前、意外と奥手なんだなぁ!そんな強面な雰囲気でさぁ!そのゴツい指輪も迫力あり過ぎるだろ。せっかく私服で来てんのにオーラ真っ黒だぞ」
「もっと一般人に化けてくれねぇとヤバいだろうが」とジョッキを口に運ぶ。ヤクザと麻取の密会だと悟られないようにする為平賀と会う時は私服を身につけるのが暗黙の了解だ。
「…お前と話すと疲れる。さっさと本題に入ってくれ」
麻取とは思えない無造作にパーカーとジャージ姿の平賀は人の良さそうな笑みを崩さず個室の居酒屋チェーン店の名前が書かれた箸入れの紙を指で弄んだ。
「この辺りでデカい手押しが複数あった。ルートを調べたがどうやら海外から持ち運ばれたモンじゃない。なのに量がやたらと出回っている。おまけに新鮮と銘打って。とすりゃあ違法栽培だな」
「やはりそうか。この間渡したスマホの情報解析は?」
「ネット上で何者かに指示されていたとこまでは分かったがやり取りは暗号化技術が使われたアプリ内で行われていた。おまけに連絡を取る度に消去していたようで復元はまず難しいな」
「となると今のところ手かがりはこのマークだけか」
『葉っぱ』のような緑の植物と銃の形のようなハンドサイン。このマークを持つ組織が麻薬を栽培し売っているに違いない。
「コイツら、多分若い集団だと思う。手売りの他にもネット使って全国から買い手を募ってる奴がいるが同一組織かも知れねぇ。10代や20代の子達が興味本位で試すって例も出てくるぜ。そうなりゃ瞬く間に使用者が増える」
「ネット、か」
「万斉、お前もそろそろ勉強した方がいいんじゃないか。彼女にでも教えて貰えよ」
平賀がより一層明るい声を出す。この件の話は以上だというように笑った。
「余計なお世話だ」
「それよりお嬢様は元気か?相変わらず鳥籠の中の生活か」
「最近は体調も良いし学校にも通ってる。自由は無いが」
「晋助さんもどこまで考えているのかねぇ」
「さてな」
スマホが鳴る。お嬢からのメールだ。
『この間のうさぎの林檎、上手にできたよ!万斉さんの分は冷蔵庫にあるから帰ったら食べてね。お仕事頑張ってね』
貼り付けられた林檎の写真には晋助の背中が写り込んでいた。この二人は本当に兄妹らしく穏やかに過ごしている。お嬢が『役目』を全うする頃にはこの日々は終わる。期限付きの平和。終わりを待つだけのあの子に一体、何をしてやれるだろう。
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