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03.涸れ乞い

まさかお嬢に機会を与えられるとは。
俺はまたあのアクセサリー店を訪れていた。というのも、先日名前から手渡されたお嬢へのブックマークのお礼にと手紙を預かっていたからだ。そうでなければもう用はない。詐欺グループの動向も身を潜めているのか目立つ動きはない。もうこの街に見切りを付けたと言っても良いかもしれない。

「お嬢からだ」

店は開いていたが客のいない空間にあるテーブルに薄いイエローの封筒を置く。手に取られたそれから二枚ほどの便箋が姿を表す。暫く無言で読み進めていた。

「今時こんなに純粋な子が居るんだ。ふふ、すごく可愛らしい子ね」

こんなに嬉しそうに声を出して笑ったのは初めてだ。手紙の内容よりもそちらに気が行く。破綻した表情はやけに幼く見えた。

「『万斉さんとこれからも仲良しでいて下さい』だって。貴方一体どんな話をしたの?」

「何もしていない。勝手に憶測を囃し立てる男がいて迷惑している」

「あのブックマーク使ってくれて嬉しいわ」

「…今日は指輪を作っていたのか」

作業台にあるのは丸い空洞が空いたシルバーリングが二つ。まだ製作中のようで形は歪だ。

「結構力が必要で大変なのよ。特に女性用は細いから折れないように加工しないといけないから。カップルからの注文でペアなの。素敵よね」

そう言う名前の人差し指と中指にも細いゴールドの指輪が嵌められていることに気付いた。ピアスもこの間の物とは違う。良く見れば今日はやけに凛とした空気を身に纏っている。身に付ける物で雰囲気が変わるという当たり前のことを体感した気がした。彼女はこの仕事のこういうところが好きなんだろうなと推測する。

「自分を飾るのが上手いな。服は地味だが」

「汚れるから服は何でも良いのよ。…やっと貴方のその嫌味な言い方にも慣れてきたわ」

「…お前は俺をどう飾る?」

そう言って右手を名前の前に出すと訝しげに眉を潜めた。

「何?手相は見れないわよ」

「オーダーだ。俺にも作ってくれ」

「…残念。ネット受付で順番待ちよ」

「ネットはよく分からん」

「ふふ、そんな感じがするわ。手、貸して」

細い紙を取り出し指に巻き付けサイズを測っていく。「どういうのが似合うかしら」と職人の目をしつつその表情は歓喜に満ちていた。至近距離で手の平や指が触れ合うのを気にも留めていない。店の物をいくつか付けられ大まかなサイズ感や関節の癖を見て、真っ白な紙と鉛筆を取り出した。

「どんなデザインがいいか描いてみて」

「…任せる」

「河上さん絵下手そうだものね」

「……………」

「名前、どんな字なの?」

字を書くのは久しぶりだ。それも自身の名前を。偽名を使うことも多いため本名を紙に書くのは少々憚られたがゆっくりと手を動かせば名前はそれを見て目を細めた。

「総てのことを等しく平に整える…って感じかな。芯がある人なのね」

「名前で人像が分かるものか」

「ご両親の願いを汲み取ることはできるわ」

「お前は?」

「母が付けてくれたの」

鉛筆を渡すと隣に書かれた名前という名前。字の意味など考えたことも無い俺にすれば何を表しているかなど知る由もない。だが…。

「お前もお嬢に負けず純粋だと思うがな」

「ありがとう」

湯が沸いた音がする。名前はそちらに向かうと直ぐに小さな悲鳴とガシャンと陶器が割れる音がした。駆けつければ床にカップの破片が散乱している。

「大丈夫か」

名前は、蹲っていた。驚いているのか。丸くなった背中に声を掛けるが返事はない。肩に手を置くとビクッと全身を震わせた。

「ごめんなさい…!ごめん、なさい…!」

「…名前、どうした」

様子がおかしい。ただカップを割っただけなのにこの怖がりようは度を越して見える。腕を取ると指先から血が滴っていた。

「おい、血が」

「…っー!」

己の血を見て悲鳴を上げた。震え、もたれかかる。覗き込めば意識を失っていた。





「………?」

「部屋に運ばせて貰ったぞ。流石に破片まみれの中に寝かしておくわけにもいかないからな」

ビルの2階。アトリエの奥に寝室があった。一人分のベッドに寝かせて暫くして名前は目を覚ました。起き上がれば顔色は真っ白だった。

「私…倒れたのね。ごめんなさい」

「血を見て意識が飛ぶのは前からか」

知られたくなかったとでも言うように目を伏せた。やがて震える唇が「血が、怖くて…」と呟く。

「母は自殺だったの。お風呂に入るといって長く戻らなくて……様子を見にいったら…首と手を、切って…ふやけて沈んでいたわ」

その様子は容易に想像できた。その二箇所を失血死するほどまでに深く切ったなら相当な量の血で染められていただろう。幼い子どもが見た母親の最期がそれならトラウマになるのも頷ける。

「俺を怖がったのは何故だ」

「…父が酒に酔うと暴力を振るう人だったから、大きな音を立てて気が動転してたの、ごめんなさい」

「…そうか。初めて店に来た日、怖がらせたな」

そうとは知らずに目の前で男を殴り、店内を荒らしたことを今更ながらに申し訳なく思う。威勢よく声を上げていたが怯え、震えていた。あれが彼女にできる精一杯の抵抗だったのだ。やはり自分はカタギとは違う、名前を怖がらせる父親と同じ部類の人間なのだ。

「貴方は人の為に腕を振るった。あの人とは違う」

ありがとう、と再度言われた。

「…それにしてもよく生きてこれたな」

「日常で血を流すことの方が少ないものよ」

「育ての親…祖父はどうしてる?」

「病気で去年亡くなったわ。それでこの店を開いたの」

その若さで天涯孤独か。自分には血の繋がった親兄弟はこの世にいないが、帰る場所はあるし盃を交わした『家族』がいる。それに一人でも生きていけるほどの体力と力を持っている。だが目の前にいる女は、高くそびえる崖と崖の間に貼られた細い糸の上を身ひとつで渡らされているような危うさを持っていた。

「お客さんに介抱して貰うなんて…失敗した」

「お前は俺を客だと思ってたのか」

「え?」

「この店の物を何も買っていない」

「さっきオーダーしてくれたじゃない」

「客を部屋に上げるのか?警戒心を持て。それと鍵空いてたぞ。下が店舗とはいえきちんと戸締りしろ。女の一人暮らしは狙われやすいからな」

「…ドライな人かと思ったら意外と世話焼きなのね。お嬢様が反抗期にならないことを祈るわ」

ポケットの中のスマホが震える。そろそろ屋敷に戻らないといけない。

「帰るの?」

「ああ」

「仕事中なのに長居させてごめんなさい」

「気にするな。それより…指輪はいつ出来る?」

「順当にいってひと月あれば出来てると思うわ」

「そうか」

胸ポケットの名刺入れから一枚の名刺を取り出して裏に番号を書いた。

「連絡してくれ。取りに来る」

「…今更だけど本当にその筋の人なのね」

「言っただろう、冗談は言わないと」

その時、天井の方からガタンと何か重い音がした。

「上に住人が入ったか」

「古いけど家賃は安いから少しずつ入居して来てるみたい。ついこの間も何人か引越しして来てるのを見たわ」

「なら益々気を付けろよ、無用心にしてると隙をつかれる」

「隙なんて言葉なかなか使わないわよ。それに…貴方がこの店に来てくれることが一番効果あると思うけど」

「俺も誰から恨みを買っているか分からない。あまり店に通えば関係者だと思われる」

「…そうよね。じゃあリングの引き取りで最後ね」

…ほんの少しだけ寂しそうにしたのは気のせいだ。じゃあ、と背を向けて彼女の部屋を後にする。

「気をつけて」

お嬢が見送る時と同じ言葉を送られる。
名前はこれからもたった一人でこの店を守り、折れそうな細い身体で作品を作り続けていくのだろう。







「手紙、渡してくれた?」

「ああ。お前達は気が合いそうだな」

「やっぱりそう思う?」

談話室にしている広いリビングでお嬢と二人、ソファに腰掛けている。少女は小さなペティナイフで林檎の皮を剥いていた。会話する時はいちいち隣にいる俺の顔を見るもんだからその度に手元が狂わないか気になって仕方がない。俺がいながら血を出させれば晋助に腕の一本でも折られても不思議ではない。心臓が汗をかいている。

「ちゃんと手元を見ろ、ナイフより物を動かせ」

「うん、わかってるよ」

「俺を見なくていいから」

「飾り切りとかしてみたいな」

「しなくていい。もう皮ごと食うから寄越せ」

「大丈夫だってば」

過保護だという自覚はあるがどうしても手と口を挟んでしまう。やがて少し歪ながら綺麗に剥かれた林檎を一切れフォークに刺して手渡した。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

「あのブックマーク、本当に綺麗で本を開く回数が増えたよ。手作りなんだね。すごく温かみがあって素敵な人なんだって思うよ」

「…そうだな」

「どんな人?教えて、万斉さん」

「まず…綺麗な女だ」

「外見から言うんだ」

「繊細で脆い、完璧とは言い難い」

「ふうん…?」

「だが作品には強さが込められている」

「あと優しさと、幸せも」

「………お嬢は全てお見通しだな」

にっこりと笑い林檎を齧る横顔を眺める。しゃく、と水々しい音が耳に届く。この子の隣にいるとただの日常が眩く色付いて見える。お嬢と過ごす何でもないような時間が俺にとっては大層特別だった。人を疑わなくていい、裏の裏の感情まで読まなくてもいい、唯一肩の力を抜ける相手だった。

「万斉さんは小さい頃から見てくれているからわたしのこと、良く知ってるよね?」

「そうだな。晋助の次くらいには知ってるか」

「同じように、わたしもずっと一緒にいたから分かるんだ」

「何をだ?」

「信じてもいいと思う。その人のこと」

「…考えておこう」

まだまだあどけない少女だと思っていた。いつの間に俺の人間関係まで見れるようになっていたんだ。女の…娘の成長は早いと泣いていた中年の舎弟の一人の顔が浮かんだ。『万斉さん、俺、娘にもう一緒に下着洗うなって言われちまったよォ〜まだ8歳なのに』。

「もう会わないの?」

「……指輪を」

「指輪!」

瞳をキラキラさせて手を叩いたお嬢は何か盛大な勘違いをしている。立ち上がり襖を引いて長い廊下の向こうに駆けていく。向かうのは恐らく奴の部屋。

「晋助ー!万斉さんが女の人に指輪プレゼントするんだって!どうしよう!お祝いしなきゃ!」

「走るな」

………いたのか、晋助。はしゃぐお嬢と機嫌が悪そうな低い声。見るからに対照的でいて絶妙にバランスが取れている。近づいてくる二人分の足音に溜息を吐きながらソファに深く腰掛け、脚を組んだ。腹いせにひとつだけうさぎの耳の形に残された赤い皮がついた林檎を口に運ぶ。

「あ!そのうさぎ晋助のなのに」

「そうだったか」

晋助は談話室に入ると無言でナイフを手に取った。

「丁度良い所に転がってんなぁ、万斉」

「待てお前、何もそこまで」

「お前の血を染み込ませたら立派な兎の林檎になるとは思わねェか?」

この日俺は初めて自分の血が染みた林檎を食べた。


title by alkalism