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02.音に沈む、光は要らない

「雨宿りして行かない?」

夜の歓楽街以外で俺に声を掛けてくる女は少ない。大体がスーツにサングラス、そしてこんな上等な傘をさして歩いていれば周りが存在を察するのに充分だろう。しかし他の誰でもないこの俺に話しかけた女は…数日前に詐欺グループに襲われていたアクセサリー店の店主だ。スーパーの袋を持っている。買い物帰りか。そう言えばここはあの店の通りに近い。

「ヤクザを店に招く気か。客が減るぞ」

「今日は定休日なの」

話しながら店に入ると散らかされたあの光景は跡形も無くなり商品が綺麗に陳列されていた。

「綺麗な傘。歩いているのすぐ分かったわ」

「命より大事な傘だ」

「え?嘘」

「俺が冗談を言うように見えるのか」

見えないわねと少し微笑み通り沿いに位置する窓のカーテンを閉めた。俺の姿が外から見られない為だろう。

「ねぇ…この間も思ったんだけど」

「なんだ」

「香水、付けてる?今日は特にすごく良い香り。摘みたての花みたいな」

「今朝花を運んだせいだろう。お嬢は花と本が好きだからな」

高杉組は周囲の評判とは正反対に平和と花の香りに満ちている。玄関にはお嬢の生けた花が飾られ庭には色とりどりの花が咲いている。そう説明するとその光景を想像したのかすう、と俺の纏う空気を吸い込んだ。

「ヤクザの家にお花畑があるなんて意外だけどすごく素敵ね」

「…お前はあの子に少し似た所がある」

「え?どんなところ?」

「言うなれば雰囲気、か」

「顔は?」

「正反対だな」

「失礼ね」

くす、と微笑んで持ち上げたティーカップに目を伏せるのをサングラス越しに見た。どちらかと言えば美人の部類に入る。可憐と言う言葉が似合うお嬢とは対照的に、ほんのりと成熟した大人の色香を持ち静かに微笑む様は儚ささえ感じられる。己も目の前のティーカップに口を付ける。この店の空気が心地良いのは媚びないからだ。身体に纏わりついてくる鬱陶しい人間や高価な物はない。ただ穏やかな日常を飾る物で溢れていた。

「河上さんはお嬢様と仲が良いのね」

「5歳の時から面倒見ているからな。娘のようなものだ」

不思議そうに俺を真っ直ぐに見る。貴方幾つなの?と視線が聞いてくる。

「娘?妹じゃなくて?」

「兄は一人でいいだろう」

「そうかしら。兄妹は何人いても嬉しいものよ。うちはひとりっ子だから羨ましいわ」

そう言って窓の外を見た。小雨になってきたようでカーテンの向こうからは雨音が消え微かに日の光が漏れてくる。

「祖父に育てられたと言っていたな」

「…そう。父は酷いアルコール中毒でお金の無心と暴力の末に蒸発したの。すぐに母も亡くなって…それで祖父の所に」

「なら勝手に借金の保証人にされていてもおかしくはないな。あれは詐欺だったが」

「生きていればね。もう随分前の話よ」

意図せず思い出される記憶を打ち消すように髪を耳にかける仕草を目で追う。さら、と揺れる艶のある髪が窓際から入る光に透けて煌めいた。整った形の耳に刺さったピアスが揺れる。クリア素材の、雨の水滴からできたような形をしたそれは彼女の儚げな透明感を際立たせていた。

「それも作ったのか」

「意外ね。興味あるの?」

「無いな」

「ふふ、変な人」

変だと言うのに追い出さない。受け入れられていることに安堵感さえ覚える。

「名前」

「……何?」

「いや、」

名前を覚えていたことに自分でも驚いた。女の名前などこれまで気にしたことがなかった。名を呼ばれた本人も意外そうな顔をした。

「もうすぐ雨が上がるわ」

「そうだな」

「また雨が降ったら………」

来てくれる?
消えてしまいそうな微笑みの奥で、そう言われたような気がした。






次にその通りを通る頃にはおよそ半月が経っていた。店内は暗く入り口にも『close』の看板が掛かっている。何気なく見たつもりが残念に思うのはあの空間を心のどこかで求めていたからなのだろうか。

「河上さんっ」

店の前を通り過ぎようとした時、名を呼ぶ声がした。振り返り見上げると店が入るビルの2階の窓から身を乗り出してこちらを見下ろしている女がいた。

「落ちるぞ」

「もう会えないと思った」

「いいから中に入れ」

「時間ある?」

「ああ」

下手な誘い方だな。裏口に周り外階段を登りながら呟いた。さほど大きく無いビルは元々アパートだったようでいくつか部屋があったが使っているのは彼女だけのようだった。呼び鈴も鳴らさずにドアを開け中に入るとキッチンに立ち湯を沸かしていた。

「アトリエか」

「狭いけどね」

リビングの中心にある作業用の大きなテーブルの上には見たこともない道具や細かなパーツが山となって広げられていた。日当たりのいい窓際に小さなテーブルと椅子が置かれている。一脚しか無いその向かいに作業用の椅子を置いて向かい合わせに座った。

「なんだか変な感じ。晴れてる日に会うのは初めてだから」

「陰気なこの店も陽が当たればそれなりに見えるものだな」

「本当に失礼な人。落ち着いた店って言ってよ」

「よく潰れないな」

「店は気紛れにやってるの。認知度を上げるためと作業中の時間を有効に使いたくて開けてるからそんなに利益が無くてもいいのよ。収入は主にネットでの受注製作だから」

「成る程な」

「そうだ。もしまた会えたら渡そうと思ってたの」

思い立って棚から持ってきた透明の包みに入っていたのは細い金具に取り付けられた白い花の飾り。

「何だこれは」

「ブックマークよ。お嬢様、本を読むって言っていたじゃない。あと花が好きだって」

「そうだったか」

アクセサリー以外も作れるのか。芸が細かいな。そう言った部分を見るとあの子と気が合いそうだ。

「この間助けてくれたお礼。宜しく伝えて」

「…ならば俺にくれるのが筋だろう」

「だって興味ないって言ってたじゃない。せっかく作っても使ってくれなければ愛情を込める意味ないわ。私の作品は全部その人の幸せを願って作ってるの」

「…確かに俺にはかけ離れたものだな」

包みの中の花が揺れる。光を反射して眩しいほどに輝いて見えた。

「お嬢様の幸せを願う貴方もまた、誰かに幸せを願われてもいいはずよ」

「誰がそんなものを」

「少なくとも貴方に助けてもらった私にはその権利はあると思うけど」

小さなテーブルを挟んだ、他人にしては近い距離で内緒話を囁くように紡がれた一言。サングラスをかけていて良かったと思う。この女は自分には綺麗すぎて真っ直ぐに見れそうにない。どうしても惹かれるものがあるのは、お嬢に似た雰囲気を持つという理由だけなのだろうか。






「わあ綺麗!どうしたの?これ」

「知人がお前にと」

「嬉しい!ありがとう万斉さん!」

大切にするね、と溢れんばかりの笑顔を向けてくるお嬢の頭に手を乗せると「この人だったんだね」と意味深に呟いた。

「最近良いことあったのかなって思ってたの。万斉さん機嫌良いから」

「俺が?」

「気付いてなかったの?こう、るんるんって感じ」

「る………いや、見間違いだろう」

寒気がする。そんな言動は一つもしていない筈だ。

「晋助!見て、万斉さんのお友達がくれたの。綺麗でしょ。ブックマークだよ」

「…ああ」

部屋から出てきた晋助にそれを見せ「また子さんにも見せてこよう」と廊下を『るんるん』と歩いていく小さな後ろ姿。俺があんな風にしていたとは考えたくもない。

「例の詐欺グループに目をつけられていた店か。確か若い女が営んでいたな。美人と評判の」

妹とは正反対の底意地の悪そうな顔をする晋助はあの贈り物を誰が作ったのか既に知っているようだった。

「そこまで調べがついているなら放っておいてくれ」

「別に調べてねぇよ。お喋りな運転手が車内で意気揚々と話してくるだけだ。相当脚色されていそうだがな。それはもうドラマチックな出会いだったそうだなァ?」

「武市…次に余計な事を喋ったらスピリタスを口に流し込んで火を付けてやる」

「クク、流石高杉組一冷酷な男だな」

しかし…と鋭い視線が向けられる。

「お前が特定の女に入れ込むのは珍しいな。それとも今まで知らなかったただけで影ではいつもそうやって囲ってるのか」

「そんな訳ないだろう。くれぐれもあの子に余計な事を言うなよ」

「確かにここのところやけに機嫌が良かったな。アイツに勘付かれるほど浮き足立っていたとなると面子も丸潰れだな」

「お前まで何を言い出すんだ…」

そう言う晋助こそ機嫌がいい。流石にカタギの人間と関わらを持ったことは黙っているつもりではなかったがあの女とはそれほどまでの関係ではない。

「外で何をしようが口を出すつもりはないさ。だが…ヘマだけはするなよ」

「分かっている。晋助、お前もな」

「背中を刺されるなよ」

クク、とオヤジに似た低い笑い声を残して去っていった。
昼間彼女が言った『幸せを願う』という言葉が頭に浮かんだ。俺が立っているのは地獄だ。これはただの一時の気紛れだと言い聞かせた。


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