11.うごけない
結局、昨日はお兄ちゃんに高等部の話はできなかった。今夜こそ話さなきゃ。今日は委員会の居残りで遅くなってしまった。薄暗くなった校舎を出て急いで帰ろうとすると玄関の辺りに赤髪の派手な出で立ちの男の人が立っていた。この辺のじゃない、知らない学校の制服を着てる。待ち合わせかな、と思いながら横を通り過ぎようとすると肩を掴まれ「ちょっとキミ」と呼び止められた。なんでわたし?
「坂田名前ってどの子か知ってる?」
え?どうしてこの人、わたしの名前を知ってるんだろう。
「…えと…わたしですけど……」
「へぇ、思ったより全然可愛いじゃん」
「……はぁ」
にこやかな笑顔の男の人はポケットから小さな手帳を取り出して見せてきた。
「あ、それわたしの生徒手帳…」
「この間公園の近くで拾ったんだ。いや〜名前書いてあったから助かったよ」
ただ生徒手帳届けてくれただけだったんだ。警戒しちゃって悪いことしたなぁ。
「わざわざありがとうございました。……あれ?」
受け取ろうとすると男の人は手帳を摘んだ指先を離さない。ぐいぐい引っ張ってもびくともしない。あれ、返しに来てくれたんじゃなかったのかな。
「あの…?」
「こんな所まで届けたお礼にさ、坂田名前チャン、ちょっと付いてきてよ。あんまり手荒なことはしたくないんだけどこっちも待ちくたびれたんだよねぇ」
「え……」
男の人の後ろを見ると大きなバイクが停まっている。後ろにも数人の男の人がいてニヤニヤしながらこっちを見ていた。あの制服、確か夜兎高校の………、目の前に立つ赤髪の人が笑みを深める顔に背筋が凍った。
「キミのオニイチャンに用があるんだ。痛いことはしないよ?可愛い女の子は好きだからね」
一歩後退りした瞬間、その人がわたしの肩を掴んだ。
*
「おーい辰馬ぁ、こんなとこまで来て何も無いのかよ。遠足じゃねーんだよガソリン代地味にかかんだからなコレ」
「分かっとるわうっさいのぉ」
ったく、早く帰りてーんだけど。
遠路遥々夜兎高校にまで来てみたものの新リーダーは不在。会合もないのにこんな遠いとこまで来てやったのに無駄足とはなぁ。おかげで今日は名前が帰るところも見れてねーしイライラする。
「『条例違反』を犯した新リーダーがどんなもんか挨拶に来てやったというのに拍子抜けじゃのう」
「この数週間でもう三校のチームが潰されてる。ウチまで来るのも時間の問題だろうけどな」
何も喧嘩するために来たんじゃない。俺たちは穏便に話し合いに来ただけだ。そもそも話が通じるかも分からないが。なんせ『高校生チームのリーダーを片っ端から潰す』と宣言されているのだ。そんな頭おかしい奴が話し合いに応じるかと問われても微妙なところだが。一帯のリーダーが顔を合わせる会合もまだひと月先だ。それまでに全部潰されちゃたまったもんじゃない。
「連絡先も教えて貰えねーしよー、舐められてんなぁ」
「もともと夜兎高校は頭のおかしな喧嘩馬鹿しかいないからのう」
「まぁそのうち俺たちんとこにも来るんじゃね。鉄パイプとか持って」
「それが嫌だからこうして来たんじゃろうが。とにかく『神威』という名前の男には気をつけることじゃ」
「顔もわかんねーのに気をつけられるかっつーの」
あーめんどくさ。喧嘩じゃなくてバイクしたくてやってんだよこっちは。なんでそこセットなんだよ。グチグチと文句を言いながら辰馬と別れ、やっと帰路に着くとマンションが見えてくる。俺たちの住む4階の部屋にはまだ明かりがついてない。…おかしい。名前はもうとっくに帰ってるはずだ。寝る時間には早い。
その辺に路駐してバッグの中に入れたままになっていたスマホを確認すると、名前からの不在着信が30件近く入っていた。嫌な予感しかしない。震えそうになる指でLINEを開くと、どこかの倉庫で後ろ手に縛られた名前が俯いている写真が送られて来ていた。『早く来てよ』。メッセージはその一言だけだった。鉄パイプ持って来るかもなんて辰馬と話したが、そんなもんよりずっとタチが悪い。
「…ックソ!!!」
名前のスマホに電話をかけると出たのは無邪気な妹の声…ではなく楽しそうな男の声。
『おっそいよー。アンタの代わりに妹チャンで遊んじゃうところだったよ。ねぇ『silver wolf』リーダー、坂田銀時クン』
「ざけんなよ…お前神威だな?名前に何もしてねぇだろうなァ!?」
『してないよ?怯えちゃって可愛いねぇ、この子。興味あるなぁ。ほら大好きなオニイチャンだよ』
『んー…!っんん…っ!!』
くぐもった声は恐らく口を塞がれているからだ。必死に何か伝えようとしている。
「名前!大丈夫か!?」
『じゃああともう少しだけ待ってるからね?港の倉庫だよ。俺の手が滑る前に来てね』
「ソイツに触ったらぶっ殺すからな!!」
乱暴に通話を切ってバイクの方向を変え急発進させた。
*
「ホントおっそいなぁ。せっかく来てやったのに。銀高の坂田銀時ってこの辺じゃあ有名なんだろ?早く戦いたいのに」
……怖い。このひとが何をしたいのかその目的を知ってしまった。『神威』と名乗った赤髪の男の人は、夜兎高校の制服を着た怖そうな人たちを引き連れてわたしを町外れの倉庫に連れて来た。紐で両手を縛られて、口にテープを貼られ身動きが取れない。わたしのせいでお兄ちゃんがこんな危ないところに来てしまう。ここから逃げ出せたら喧嘩なんてしなくて済むのに。
「震えちゃって、カワイソウだね。ねぇ名前チャン。話そうよ。君のオニイチャンはどれくらい強いの?」
口のテープをびりりと剥がされて痛みで視界がゆるむ。目の前にしゃがむ神威…さんはギラギラと瞳を輝かせていた。
「お兄ちゃんは…自分から暴力振るったりしない。理由もなく喧嘩しない」
「へぇ?そりゃあ勿体ないなぁ。この辺じゃあ喧嘩が強い奴が偉いんだろ?」
「知らない、そんなの…わたしたちに関係ない」
「怖いのによく強気になれるね。でもその顔、そそるなぁ」
親指で顎をくいと上げられる。キスされそうな距離。目が合ってるけど見てるのはわたしじゃない。わたしの奥の、お兄ちゃんの面影。ぐっと指に力が入る。骨が割れそうに痛い。
「オニイチャンが目の前で倒れるの見たらどんな顔するかな?もっと可愛くなりそうだなぁ」
「神威さん、来ました」
下っ端の人が声をかける。低い音を立てて倉庫の重たい扉が開いた。現れたのはたったひとり。パーカーに着崩した学ランの銀髪。ゆるい足取りはいつもの姿。
「随分と舐めたことしてくれんだな、夜兎高ってのは」
「ああやっと来た。待ちくたびれたよ」
「おにいちゃ、」
見たこともないこわい顔。遠くからでもわかる、怒ってる。
「俺とやり合いてーならコイツはもう関係ねぇだろ。そろそろ帰してやれよ中坊の門限何時だと思ってんの?ウチの子真面目なんだから夜遊び教えないでくんない?」
「そうだね。でもさアンタ、この子がいた方が強くなるんじゃない?ほら、」
背後にいた下っ端の一人が何かをわたしの頬に当てた。ひやりとした無機質なそれは、薄暗い倉庫の光をギラリと反射させた。
「……っ!」
ナイフだ、とわかった。こわい、こわい、動けない
「随分大事にしてるんだねぇ。この可愛い顔に傷が付いたらアンタはどれくらい本気で俺と勝負してくれる?」
「…下衆野郎だな」
「あれ?冷静だね。もっと怒るかとおもっ……!」
視界の端でお兄ちゃんが神威に殴り掛かった。ばき、と渇いた音とともにガラクタの山に吹っ飛んだ。それを合図に下っ端達が一斉に襲いかかる。
「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ離して…!」
「オイ暴れんな!」
力の限り暴れるとビリッと熱い痛みが首元に走った。でももうナイフなんて気にならない。わたしのせいでお兄ちゃんが怪我しちゃう、そんなのやだ、
「っ名前!」
お兄ちゃんはわたしを押さえつけていた人を蹴り飛ばしてナイフを奪い、素早く縛られた縄を切った。そしてわたしを抱えながら道を作り倉庫の出口まで連れて来るとポケットからスマホを出して握らせる。
「いいか!走れ!ここを出たらすぐ電話して助けを呼んで家に帰れ。誰でもいいから早くだ、俺が帰るまで絶対家から出るな!わかったな!」
「でもおにいちゃんが、」
「俺は大丈夫だから、行け!」
「っおにいちゃ、」
「行け!名前!!」
震える身体を動かして走り出した。追いかけて来ようとする人達を殴り飛ばしているその後ろで神威が笑いながらゆっくりと起き上がるのを見た。あの人、目が、おかしい、喧嘩したくて堪らないって顔してる。それだけでも恐ろしいのにたくさんの人がお兄ちゃん一人を取り囲んでた。あんなの喧嘩じゃない。ただの暴力だ。
「っ、っく、」
泣いちゃだめ、お兄ちゃんが無事に家に帰って来るまでは絶対泣いちゃだめ、
走りながら何度も落としそうになったお兄ちゃんのスマホを操作して発信履歴を開いて、一番上の名前に触れた。誰か助けて!お兄ちゃんを助けて…!鳴り出したコールはすぐに途切れた。
『なんだ』
「お願いっ助けて!お兄ちゃんが…っお兄ちゃんが怪我しちゃう!」
『………場所は何処だ』
言葉にならない説明を遮り、直ぐに行くから隠れていろと切れたスマホを両手で握ってようやく名前を見た。知らない人だ。物陰に隠れて『河上さん』と登録された人を待っていると本当にすぐ現れた。高級そうな真っ黒い車から降りて来たのは黒いスーツにサングラスを付けた…お兄ちゃんの友達にはとても見えない、『大人』の男の人だった。
「…お前か。電話して来たのは」
「はい…あの、」
「行け。ガキの喧嘩だ、殺すなよ」
「はい」
河上さんの指示で別の車から降りて来た数人の強面の男の人たちがお兄ちゃんのいる倉庫に向かっていく。
「お前は車に乗れ」
「……はい」
それ以外の言葉を返すことを許さない雰囲気の中、車に乗ると運転席にいたおじさんがにこやかに迎えた。
「おやこれは可愛らしいお客さんだ。お嬢以外に若い女の子が乗ることが無いのでこれは嬉しいですねぇ」
「桂先生の所に連れて行ってくれ」
「かしこまりました」
「あの、お兄ちゃんは」
「心配するな。明日には帰す。アイツには恩があるからな」
ぽんと頭に乗せられたのは大きな手の平だった。そうすることに慣れているような手つきだった。でも、サングラスの奥の瞳はとても暗い色をしていた。…この人達はいったい誰なんだろう。聞くチャンスはたくさんあったはずなのに知ってしまえばもう戻れなくなるような気がしてどうしても聞けなかった。
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