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11.かみさまとのひみつ

「晋助、俺はもう限界だ」

万斉がいつになく苛立っていた。
珍しい。こんな風に感情を人に見せるタイプではないのをよく知っている。

「どうした、えらく虫の居所が悪そうじゃねェか。魔死呂威組の動向は様子見で手を打っただろ。それとも女と喧嘩でもしたか」

「そうじゃない。名前のことだ」

「…なぜアイツが出てくるんだ」

俺達を乗せた黒塗りの車は馬鹿でかい屋敷の前で静かに停車した。お疲れ様でしたと運転席の武市が言う。名前は屋敷にいるはずだ。アイツの話をするなら車内の方が都合が良いだろうに万斉はさっさと車から降りた。サングラスの奥の視線がお前も降りろと言っている。武市が空気を読んで後部座席のドアを開けた。

「あの子の結納が決まるまでがタイムリミットだ。機を逃せば取り返しがつかない」

「何が言いたい」

「…俺は知っている。お前がどんな気持ちであの子を見ているか」

…そうか、知っていたのか。特段驚く事でも無かったし今更でもある。どこか他人の話のような感覚で走り出した車のボディを眺めた。
名前が嫁に行くことはもう何年も前から決まっていたし自分にはどうにもできないことだと理解していた。決定権は兄ではなく親である父親にあるからだ。きちんとした所で守って貰いながら少しでも恋を知って笑って暮らしていけるのならそれで良い。願うのは名前の幸せだ。アイツが居なくなった後の部屋、残された庭の花、飾られることのなくなった花瓶たちがその後どうなるのか…この心の始末がいつどのようにつくのか、そんなことは名前に関係ない。

「ならどんな気持ちで嫁に出すのか分かるだろ。あの次男は極道者にしちゃあ真面目でアイツの事も本気で好いてる」

「晋助、」

ちょうど高杉組の門をくぐると伊東の次男が送りの舎弟に頭を下げていた。名前に会いに来ていたんだろう。だがその表情は暗い。名前も見送りに出ていないようだった。体調は悪くない筈だが。夕暮れの赤が細い眼鏡のフレームに反射して光る。

「おはようございます。お邪魔しました」

「お前達も喧嘩か」

「いえ、」

「なら良い」

そう言って横を通り過ぎようとした時だった。

「名前さんが何にあんなに怯えているのか分かりました」

言い放ったのは伊東の次男だ。振り返れば真っ直ぐにこちらを見ていた。握られた拳は強く力が入っている。怯えている?誰が?アイツが?

「何だと?」

「貴方との関係が切れることを何より恐れている。俺は………こんなこと、続けていられる自信がない」

悔しそうに零すが言っている意味がわからない。万斉もコイツも何が言いたいんだ。

「あの子は貴方の妹であるために結婚するんです。この意味が、分かりますか」

「どういうことだ」

「…本当に何も知らないんですか。貴方だけが、何も」

何か確信めいたことを言おうとしたその言葉を遮るように万斉が前に出た。踏みしめた砂利が擦れて音を立てる。

「おい、もういいだろう。ここからは高杉の問題だ。…また名前の様子を見に来てくれ」

ぐっと言葉を飲み込んだ伊東は、失礼しますと頭を下げて今度こそ屋敷を出ていった。数秒、いや数十秒俺達は立ち尽くしていた。万斉は俺に何か隠している。そしてそれを伊東でさえも知っている。

「晋助、話がある。大事な話だ」

屋敷の外に連れられ敷地内にある車庫に入り予備の車の一つに乗り込んだ。運転手もいない完全な密室。まるで誰かに聞かれるのを忍ぶようなそれほどまでの秘密を、若頭である俺だけが知らないだと?

「お前が幼い頃に懐いていた…吉田松陽を覚えているか」

懐かしい名前が耳に触れた。父親の幼馴染みで親友だった男だ。この近くで小さな剣道の道場を開いていて、高杉組にもよく出入りしては俺に剣道や勉強を教えてくれた。
柔らかく、常に穏やかに笑う男だった。本を読むことが好きになったのはその男がよく話して聞かせてくれたからだった。吉田はヤクザではなかったが高杉組に出入りしているのを気に食わなかった当時の対抗勢力に目をつけられ襲われた。親父が駆け付けた時にはもう手遅れだったと聞いた。葬式には行けなかった。俺達はヤクザだからだ。高杉組に関わらなければ奪われることのなかった命。あの頃のほんのひと時の交流が走馬灯のように思い出された。しかしもうかなり昔の話だ。

「それがどうした」

「今からあの子との約束を破る」

万斉は息を止めたように苦しげな表情をしていた。次の言葉を発すれば撃たれるとでも言わんばかりに全身が強張っている。やがて、堰を切ったように一呼吸で言い切った。

「…名前は、吉田の一人娘だ。オヤジの妾の子なんかじゃない。お前と名前は、血なんて一滴も繋がっていないんだ」

次に全身が硬直したのは俺だ。それは思ってもみない言葉だった。名前が、あの吉田の娘?ならばあの日、腹違いの妹だと言われ親父と共に目の前に現れたアイツは一体何なんだ。

「吉田は生前、オヤジに頼んでいた。自分に何かあったら妻子を頼むと。その言葉通り高杉組は吉田の死後金銭的な援助をしていたが、すぐに母親が死に娘は親戚も居らず1人になった。オヤジはその子を養子にし高杉家に引き入れたんだ。お前の腹違いの妹として」

「………じゃあ、名前は」

「あの子は全て知った上でここに来た。本来こんな場所で生きるべき人間ではない。ただひとつ、お前との絆をつなぎとめたいが為にここにいる」

「ーー……」

絆とは何だ。アイツの笑顔が頭をよぎった。晋助、と花が咲くように笑いかけ俺の腕を求めてくる。いつからか、お兄ちゃんと呼ばなくなった声。許嫁と対面するために慣れない化粧をして赤い着物を着飾ったあの艶やかな横顔。早く大人になろうとする反面、抗うように体調を崩していた日々。名前が、必死に守っているもの。

「お前の妹であるために、血が繋がらないならせめて高杉の名の中で生きようとしているんだ。………お前を、愛しているから」






5歳で身寄りのなくなったわたしの前に現れた、かみさま。ヤクザの跡取り。わたしのすべて。『お父さん』は家に帰るとよく彼の話を聞かせてくれた。高杉の長男は教えたことをすぐ覚えて、頭が良く、判断力に優れていると。ただ『人を思う優しいこころ』が今ひとつ足りないと。

『あの環境の家に生まれ育ったのだから仕方ないと言えばそうなんですけどね…名前のような子が近くにいれば良いのかもしれませんね。か弱くて、泣き虫で、守ってあげたくなるような可愛い子が』

お父さんが突然帰らぬ人となり、お母さんは悲しみを振り払うように働いた末に持病が悪化してある日倒れて亡くなった。行き場のなかったわたしは高杉組に引き取られた。そして出会ったのだ、かみさまに。男所帯の厳しい世界にただの一般人である女の子どもが入るのは難しいだろうと判断したお父様は、わたしを半分だけ晋助と血の繋がった妹ということにした。そして同時に『晋助の妹』という居場所と、『高杉組の長女として組の為の結婚をする』という役割を与えられた。

晋助はいつも一人でいた。たまに万斉さんと話す事はあっても、屋敷には大人や舎弟さんがたくさんいたのに仲良さそうにしているところは見たことがなかった。わたしのことも怖い顔で見下ろしているばかりだった。年が離れすぎていたし、子どもとどう関わればいいかわからないと言った様子だった。そもそも父親の愛人の子どもが同じ屋根の下にいるなんて良い思いをするわけがない。わたしは何を話すでもなく彼の背中をついて歩いた。長い時間をかけて…はじめて触れたのは三ヶ月近く経ってからだった。

彼の後をついて行くといつのまにか撒かれてどこかに行ってしまう。もともと身体が丈夫じゃないし体力がないから大体はそのうち諦めて自分の部屋に戻る、その繰り返し。でもお父さんが可愛がっていた晋助がどんな人なのか知りたくていつも背中を探していた。万斉さんからあまり出歩くなと言われていたのに天下の高杉組の中を何も知らない子どもがうろうろしてる様は内心ヒヤヒヤしていただろうなと今なら思う。

その日は朝からざあざあ降った雨が上がってカラッとした良い天気だった。晋助の背中を見失ってしまったわたしは広い屋敷を歩き回りすぎて縁側でくたりと横になってしまった。すぐそこの庭で雨露に濡れて光る緑たちが綺麗で、ひんやりとした廊下にほっぺをくっ付けてこのまま寝てしまおうかなと思った時に頭の上から声がした。

『んなことで寝るな』

『………』

晋助だった。たまたま通りかかったのか追いかけて来ないわたしを心配したのかは分からない。とにかく動けないのだと理解した晋助はひょいとわたしを抱き上げた。

『チビで弱ぇ癖に追いかけて来るな』

『じゃあ…おはなししてくれますか?』

『……暇だったらな』

『おにいちゃんってよんでもいいですか?』

『いいですかって、俺の妹じゃねぇのかよ』

『…おにいちゃん』

あったかい腕の中でお兄ちゃん、お兄ちゃんと何度も呼んだ。晋助お兄ちゃん。全部無くなったわたしの前に現れた、新しい家族。

『何だ』

『これからずっといっしょにいてもいい?』

『…てめぇがここから出て行くまでならな』

『みて、あじさいがキラキラひかってきれい』

一瞬だけその方向を見た晋助はやがて『そうだな』と呟いた。

それから晋助は何にもない日は部屋にいるようになった。わたしの一方的なお喋りをああとかそうかとか適当に返事する。本を開く彼の横で昼寝するのがお気に入りだった。
そのうち屋敷の中でも手を取って歩くようになり、転べば砂をはたいて抱き上げてくれた。低い声で静かに微笑むようになり、熱を出せば傍で手を握り、頑張った分だけ、頬に唇が落とされた。幸せだった。わたしは、偽物の妹なのに。

ほんとうの妹になりたかった。血の繋がりがあれば、妹ならどこに嫁ごうと最後まで家族だから。血を分かち合えないのなら、せめて高杉の名前だけでも守りたかった。だからわたしは、高杉家での役割を果たすためなら鴨太郎さんと結婚したっていいと思った。時間をかければ少しずつ、彼のことを愛せると思った。だってそれがわたしに与えられた役割だから。

血の繋がりがないことを彼に言えば、あるはずの無い可能性を期待してしまうから。だから、晋助には何も知らせないでと唯一ひみつを知る万斉さんに口止めしたのはわたしだ。今でも晋助はわたしのことをお父様の愛人の子で異母兄妹だと思っている。半分どころじゃ無い、わたしの身体にはただの一滴も同じ血など流れていないのに。

「名前」

いつの間にか眠ってしまっていたわたしをいつものように起こした晋助は、ひどく疲れているようだった。

「お帰りなさい。…疲れたの?」

「…ああ」

ジャケットだけ脱いですぐにわたしが横になるベッドに雪崩れ込んできた。呼吸から薄らと煙草の香りがした。晋助は殆ど煙草を吸わない。わたしが煙の匂いが苦手だから。吸うとしたらそれは何か理由がある。確か前に吸ったのはお友達が亡くなった日。

「晋助?」

「…頭がおかしくなりそうだ」

「どうしたの?大丈夫?」

背中に腕を回して一生懸命さすると深呼吸するかのようにわたしの髪の香りを吸い込んだ。

「お前こそ、伊東と喧嘩したのか。見送りもしないで帰すなんざ機嫌を損ねたか」

「…し、てないけど…逃げちゃった。嫌われちゃったかも」

「アレには余程のことがないと嫌われねぇだろう」

「…鴨太郎さん、他にやりたいことがあるの。伊東組を継ぐのは鴨太郎さんじゃなきゃダメなのかな」

「潰しちまうか、いっそ。そうすりゃあ、お前も嫁がなくて済むぜ」

「…なんか、今日の晋助、変だよ。もう寝よう?」

「お前は、人のことばかりだな。昔から」

「しんすけ、」

ネクタイを緩めて改めてわたしを抱き込んだ晋助はすぐに眠ってしまった。煙草の香りを纏う晋助は、違う人になってしまいそうで怖かった。わたしはこの人がどこかに行ってしまわないように広い背中をぎゅうと抱きしめた。


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