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09.なめらかな恋がしたいのですが

『来週の二日間は予定を空けておくこと。ただし緊急その他学業や就職活動等に関する予定については知らせるように』

「………これってデートのお誘い……だよねぇ?」

昼間来たメールを何度も読み返している。お兄ちゃんはメール派だからLINEはやっていない。まるで業務連絡のような内容に、これが仮にも彼女に送る内容なのかと疑いたくなる。指定された日は平日の二日間。休み取れたのかな。

「『承知しました』…………ってなにこのやり取り。もう新入社員の気分なんですけど」

変なの。とりあえず語尾に可愛いひよこの絵文字を付けて返信した。

「…あ!何着てこう!」

かばっとベッドから起き上がってクローゼットを漁る。デート服なんて持ち合わせてないし自分の好みの服しかないのだけど…今は絶賛就活中なので黒髪。鏡の前で合わせてみてもどれもしっくりこない。あー困った。しかも二日間なんて…当然二日分必要になる。こうなったら買い物に行くか!今日は買い物だ!そうと決まれば最近の雑誌を取り出してパラパラと参考になりそうなコーディネートを探していると目に入る王子様の微笑み。

モデルの沖田総悟くん、今月も美しいわぁ。癒される。王子と付き合う女の子ってどんな子だろう。めちゃくちゃ綺麗で美人な子なんだろうな。いやあんなイケメンが四六時中目の前にいたら精神崩壊しそう。こんなスッピンのパジャマ姿なんて絶対見せられない…って何考えてるんだろう。王子と付き合えるわけでもないのに。そういえば王子が出るドラマもうすぐ始まるなぁ、絶対録画しよーっと。しばし現実逃避してまたお兄ちゃんのことを考える。どんな系統が好きなんだろう。いつも足を出すなってうるさいからショートパンツやミニスカートは履かない方が良さそう。メイクや髪型は?……なんて考えていたらあっという間に数日が過ぎていた。こんな風に週末を過ごすの、なんだか恋する乙女みたい。二十歳越えた大人が必死になって、なんか笑える。






というわけで迎えたデート当日。
考えまくって空回りした感がある清楚系なコーデで車に乗ると少し驚かれた。髪も就活で見慣れたひとつ縛りじゃなくてゆるく巻いてまとめてみたりして。助手席に座るわたしをまじまじと見てくるものだから耐えきれなくて荷物が入ったバッグをお兄ちゃんに押し付けた。

「そんなに見なくてもいいじゃん」

「いやお前も女なんだと思って」

「うっざー」

「デートかと思ったか」

「…まさかただの買い出しとかだった?」

マジか。まさかのノーデートですか。舞い上がっちゃってめっちゃ恥ずかしいじゃん。わたしの荷物を後部座席に移してシートベルトを締めたお兄ちゃんは楽しそうに言った。

「デートだよ」

「……もう、揶揄うのやめてよ」

車が走り出す。今日は機嫌が良いらしく柔らかい雰囲気だった。車内では就活の悩みや面接官の愚痴をたくさん聞いてもらった。来月最終面接があると伝えると喜んでくれて、「頑張れよ」と言ってくれた。頼りになる兄だよ本当に。そしていつの間にか知らない道をどんどん走っていることに気が付いた。

「ところでどこ行くの?何も教えてくれないじゃん」

「何処だろうな」

眩しいからとサングラスをしてちょっと気怠そうに運転する横顔を見てもう胸はドキドキしっぱなしだし写メ撮りたいくらいなんだけど流石に馬鹿っぽいからやめておく。代わりに心のシャッターを切りまくる。ふと標識が目に入って来た。

「あ……熱海!?」

「正解」

「意味わかんないんだけど…」

「息抜きさせてやろうと思ってな。お前、そういうの下手だから。まぁ俺も久々に遠出してぇし」

「だからって熱海………」

「初めてだろ」

「そうだけど…」

初デートでこんなところに来るとは思わなかった。社会人の大人の力、ヤバいな。スケールが違う。惚れるわ。惚れてるけど。煙草以外にお金使うところなさそうだもんなぁお兄ちゃん。仕事大変そうだし。

「ねぇ、」

「なんだ。不満か?」

「ううん、すっごく嬉しい。ありがとう十四郎」

「……昼飯にすっか」

立ち寄ったのは目が眩みそうなほど眺めのいいレストランだった。ガラス窓の向こうには見渡す限りの海がどこまでも続いている。

「めっちゃ美味しいー!景色も最高〜…これが就活中にしてることだと思うと背徳感がヤバい」

「別に休みの日くらい羽伸ばしたっていいだろ。詰めすぎると体壊すぞ」

「まさか旅行に連れて来てくれるとは思わなかった。よく連休取れたね」

「まぁな。手続きが面倒臭えだけで早めに申請出せば取れなくもねぇ。今まではそこまでして休みなんざ要らなかったが……家ん中じゃ避けられるし」

「避けてないよ!ただちょっと…無駄に緊張するだけで」

「今更意識してんのかよ」

「なんでおに……十四郎は平気な顔してるわけ」

「何年お前と同じ屋根の下で生活してると思ってんだ」

今更何言ってんだと言われてもそんなすぐ切り替えられない。わたし、頭の回転早い方じゃないし。

「…そ、そう言えば最近帰り遅いね」

「あ?ああ…ちょっと気になる奴がいてな。奴っつーか…兄妹だけど」

「兄妹?」

「高校生の不良兄貴と真面目でしっかり者の中学生の妹。まぁ夜中に警戒心なくフラフラ外に出るようなガキだが…、なんか放っておけねぇ。親が居なくて二人で暮らしてんだが…兄貴の方がそこそこ名の知れてる暴走族のリーダーだからそのうち危ねぇことに巻き込まれそうな感じがしてな」

「へぇー…それは妹ちゃんが心配だね。一人しかいない身内に何かあったらなんて考えるだけで嫌だよね」

それがもし目の前にいるその人だと思うとそれだけでズキズキと心臓が痛む。そのお兄ちゃん、早く目覚ましてくれないかな。妹ちゃん寂しいんじゃないかなぁ。十四郎が気にかけるのもよくわかる。

「兄貴の方はそりゃあ生意気でな。まるで若い頃の俺を見てるみてぇだってたまに思う」

「若い頃ってまるでお爺ちゃんみたいなこと言ってる」

「ああいう奴が意外と向いてんだよな、こういう仕事」

「碌に家にも帰らない不良が警察?それは無理だよ。お兄ちゃんとは全然真逆の人間じゃん」

「そうでもないさ」

ふーん。その子のこと、結構気に入ってるらしい。いつもなら仕事の話なんてしないのに。守秘義務がどーのこーの言うくせに。

「育成ゲームとか好きそうだよね。コツコツ育てる系」

「あー…ガキの頃やったな」

「その子のことも育てたらすごい優秀な相棒になるかも。あ、近藤さんがいるか」

「あんなクソ生意気なガキが相棒になんてなったらこっちの
ストレスが半端ねーよ」

「ハゲたら笑うね」

「彼女なら笑うなよ」

う、なんか……なんでそんな普通にさらりと彼女とか言えるの、この人。
レストランを出て温泉旅館に着いた。ホテルかなと思っていたらそれはそれはもう立派な宿を予約してくれていたみたいでわたしなんかが泊まっていいんですかと腰が引けてしまうほど素敵な所だった。

「ぜ……全室オーシャンビューの露天風呂付き……!?」

渡されたパンフレットはわたしの中にある温泉旅館の概念を簡単に覆した。なにここ、すごい。恐るおそる部屋に入ってみるとパンフレットよりも綺麗で広々とした洋風の部屋だった。ふかふかで大きなベッドが二つに広いバルコニー。ガラス張りの窓いっぱいに海が広がっていた。まさしくオーシャンビュー。バルコニーに出てみると海風が髪を散らす。

「すごいすごい!」

はしゃいでいるとわたしの分の荷物も持ってくれていたお兄ちゃんが適当にそれを下ろしてバルコニーに出てきて早速一服し始めた。

「うわ、本当に露天風呂がある。ちっちゃいけど。これはさすがに恥ずかしくて入れないね」

「せっかく来たんだから入りゃあいいだろ」

「えー?下に大浴場があるからそっちで充分だよ」

「それじゃ一緒に温泉楽しめねぇだろ」

「一緒にって…………一緒に入るつもり?」

「誰も見てねぇだろ」

「いや、待って無理。むりむり。おに…、と、と、十四郎とお風呂なんて絶対無理」

「ここまで連れて来たやったからにはお前に拒否権はねぇ」

後退りするとバルコニーの手すりに背中が当たった。抱きしめられる。外なのに。でも、ここにはわたしとお兄ちゃんしかいない。ねぇもしかして、ここに来たのって、

「海に来れば文句ねぇんだろ」

ぞくり。鳥肌が立つ。思い出すのはこの間、家でキスをしてきたときに言った言葉。本当にキスするために来たの?

「…あんなの……照れ隠しじゃん…」

「…因みに…分かってると思うが今夜は一部屋しか取ってねぇから」

意味わかるよなと囁かれ唇が触れ合う。右手に持ったままの煙草の煙がわたしの肺に入ってくる。身体の内側から染まっていく。わたし今日、この人の物になる。



title by moss