09.いけない理由
「…ねぇ銀時。私、振られたの初めてなのよねぇ」
「は?つーかアンタ誰だっけ」
「覚えてないわけ?本当信じらんない……!見た目だけじゃん。なんでこんな男好きになったんだろ」
放課後。集会に行こうとバイクを置いている裏口に回ると香水臭い女に声を掛けられた。しばらくして前にバイクに乗せてとせがんできたギャル女だと思い出した。それに、名前に変なちょっかいかけたことも。この間あった時より一段とギャル度が増している。制服を着た風俗嬢みたいだ。いや見たことねーけど。
「あー思い出した。アンタ、うちの妹にいらねーこと言っただろ。打たれ弱いんだから辞めてくんない」
「あんなお子ちゃま私が相手にする訳ないじゃない」
「気に入らねぇなら俺に直接言えよ。めんどくせーんだよそういうの。ていうか俺、好きなんて言われた覚えないけど」
「言う前にアンタが彼女いるって言ってきたんでしょ。……まぁいいわ。もう銀時より格好良い彼氏できたし」
「あーそりゃ良かったな。お幸せに。じゃ」
「待てよ」
男の声と共にバイクのボディにガン、と外から加わった衝撃の方に顔を向ける。黒いスーツを着た30代くらいの男。いかにも柄の悪そうな風貌。
「俺よりこんなヤクザみたいなオッサンの方が格好良いって?マジで見る目ねーんだな」
「…ヤクザみたいなオッサンじゃなくて本当にヤクザなんだけどなぁ?兄ちゃん?」
マジかよ。なんでヤクザが高校来てんだよ。
「俺の女が心に深ーい傷負ってるみてぇだからヨォ、ちょいと挨拶がてらツラ見に来てやったんだわ」
黒スーツにスキンヘッドにサングラス?今時こんないかにもヤクザいるのかよ。
「銀時、この町で生きていくならこの人達には逆らわない方が身の為よ」
「気ィつけろよ?この魔死呂威組が黙っちゃいねーからなァ。そろそろ目障りな高杉組にも消えてもらうつもりだからなぁ」
「…高杉組?」
「なんだお前、知ってんのか?」
知っているも何も、そこのお嬢さんとはひょんなことから友達になってしまったのだ。今や定期的に顔を合わせる仲になっている。
「いやー…まぁ…この辺じゃあ夜出歩いてるとよく聞くんで」
確かに有名ではあるが実際そんなに聞いたことねーけど。興味ねーしこえーし。だって俺まだ幼気な高校生だし。
「そうだろうな。だがもう奴らの時代じゃねぇ。魔死呂威組も一度は倒れたが高杉の首を斬ってまた頂点に立つさ。あちらさんは伊東組が足を引っ張ってるからなァ」
「…はぁ、なんか大変っすね」
何言ってんのか全然わかんねぇけどとりあえず相槌を打っておく。
「お気楽にお見合いなんてやってるくらいだから平和ボケしてんだよ。高杉にはお嬢さんがいるからうまく利用すりゃ直ぐにでも潰せるさ。ま、暴走族チームなんてお遊びやってる高校生のガキには難しい話だろうよ。……なぁオイ」
男に手招きされて嫌な予感をビシバシ感じながら一歩前に出るとバキッと顔を殴られた。よろけたが踏み止まった。
「いって……、鼻血出たんすけど」
「俺の女を誑かした礼だ。釣りは取っときな」
「じゃあねぇ銀時。『夜遊び』もほどほどにね」
「釣りも何もねーだろ……クソカップル」
やるだけやって帰りやがって。鼻血をパーカーの袖で拭いて家に帰ると案の定名前にめちゃくちゃ驚かれた。
「お、お兄ちゃんなにそれ……!」
「転んだ」
「転んでそうなる訳ないでしょ!また喧嘩したの?こっち来て」
リビングで名前が残った血を丁寧に拭いてくれた。まだ油断するとたらたら垂れてくる。あのオッサン、ガチでやりやがって。鼻の骨折れてたらどーしてくれんだよ。
「痛い?大丈夫?」
「あーダメかも」
「え!病院行く?」
どうしよう、と救急箱を抱えてリビングをうろうろする名前を呼んで腕の中に収めた。
「あー名前かわいー。落ち着く」
「そんなことしてる場合じゃないでしょ!ティッシュ詰めなきゃ」
腕の中でティッシュをちぎって丸めている名前に癒される。……本当、汚れまくった世界の中でお前だけが綺麗で真っ白で…純粋だ。守ってやりたい。真っ黒に汚れた俺のせいでお前を汚してしまうかもしれない。それでも、俺が。
「目閉じて」
「お兄ちゃ、」
心配そうに眉を下げる顔を手のひらで覆って視界を奪って、唇を合わせる。むせるような香水の匂いじゃなくてシャンプーの香り。肌を強調した服じゃなくて校則通りのセーラー服。可愛いからって『高嶺の花』なんて呼ばれ、坂田銀時の身内だからと碌に友達も出来ない孤独な妹。そして俺の好きな女。
「汚して良いのは俺だけだ」
簡単に押し倒される細くて小さな身体。こんなことされても拒否せず受け入れるのは何故だ。気持ち悪いだろ、兄妹でこんなことして。お前が警察に行ってこれを話せば一発でサヨナラだ。
悩んで、考えると、一緒に苦しむと言ったこの女は、今俺がどれだけ胸が苦しいか知ってるか?それなのに唇が触れる度に幸せで、まやかしだとわかっていても希望の光を感じずにはいられないこのバカな兄貴を許してくれるか?
こんなに汚い俺なんて見せられない、見せたくない、それなのに全て曝け出していっそ大声あげて泣いてしまいたい。兄妹として産まれた運命を呪いたい。
「…だいじょうぶ?」
「………ごめん」
気がつけば名前の顔は血まみれだった。俺の鼻血で。まだ止まってないのに下向いて興奮してキスし続けたお陰でフラフラだ。もたれ掛かるとたいへん!と声を上げて俺を寝室に引きずってベッドに寝かせるとまた顔を拭いて鼻にティッシュを詰められた。ブサイクなことになってんだろうな。
「こっち向いて」
濡れたタオルを奪って名前の顔も拭いてやった。
「…心配させないで。お兄ちゃんの血なんて見たくない。痛そうなとこ見たくないよ」
「わかってる。今日のはマジで不意打ちだったし俺絶対悪くねーし」
「喧嘩するならお兄ちゃんにもそれなりに悪いところがあったんじゃないの?」
「ねーって。アイツら全然人の話聞かねーんだもん」
「意地っ張り」
とにかく少し休んでてね!と部屋を出て行った。キッチンで夕食を作り始めた音がするのを聞いてから起き上がった。引き出しに閉まっていた一枚の名刺を取り出す。まさかコレを手に取る日が来るとはなぁ。でも、なんか不穏な空気がするんだよな。
「あー緊張する」
番号を押す指が震える。落ち着け俺。何もとって食われる訳じゃねぇ。
『誰だ』
2コール目で出た低い声。切りたくなるがここで切ったら多分イタ電で殺される。
「あー…あのー…前に高杉さんのお嬢さんと友達?になった坂田という者なんですけどー……」
…ヤバくね、これ。自分で言っててめちゃくちゃ怪しい。
『…白髪のガキか。用は何だ』
「あ、ハイ」
機嫌が悪いのか平常時なのか全く読めない万斉サンにさっき会った男のことを伝えた。魔死呂威組という奴らが高杉組を狙っていること、お嬢さん、潰す、など平和ではない言葉を聞いて高杉サンが狙われているんじゃないかと思ったと話す。しばらく黙って聞いていた万斉さんは電話口で笑った。
『やはり小物はどこまでいっても馬鹿の集まりか。カタギのガキにそこまで話すとは…未来はないな』
ぞわっと鳥肌が立つ。こえー……マジで怖すぎる。
『いい情報を貰った。礼を言う。幾ら欲しい?』
「い、いやそういうの結構っす!お役に立てて光栄っす…」
『そういえばまだ名前を聞いていなかったな』
「坂田銀時です」
『覚えておこう。間違ってもお嬢に手を出すなよ』
「もももも勿論です」
電話口の向こうがザワザワと騒めきだす。女の子の声と男の声。女の子の方は高杉サンだ。焦ったような声。何かあったのだろうか。あの子、いつも上品で落ち着いてるけどそんな声出るんだな。……なんか男の方、申し訳ないとかけじめとか言ってるように聞こえる……マジで怖。聞いてないフリしよ。
『急用だ。切るぞ』
「ハイ」
あー怖かった。無駄に正座していた足を崩してベッドに崩れ落ちた。………ふと気付く。これで俺の連絡先と名前が高杉組に握られたということに。
「…これが全部仕組まれた罠とかだったらどうしよう」
考えすぎだ。でもヤクザと関わる人生なんて想像してなかった。
「お兄ちゃーん、鼻血どう?ご飯食べれる?」
「あー食べる食べる」
ひょいと顔を覗かせた名前を手招きして頭を撫でた。あー嫌だな。ずっと家でゴロゴロして名前とくっついてたい。コイツもいつか他の男とキスしたいとか思うのかな。あー嫌だな。あーなんかもう生きるってめんどくせーな。名前と二人だけの世界なら良かったのに。
title by 花洩