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08.とられたくないもののはなし

「うー…やっぱりさっき飲んだコーヒーかなぁ」

眠れない。なんで夕飯にコーヒーなんて飲んでしまったんだろう。テレビで健康に良いとかいってて、なんとなく飲みたくなってしまったのが失敗だった。こんな日に限ってお兄ちゃんはいない。ここのところずっと家にいてくれてたけど、坂本さんが家に来て以来夜出ていくことが増えた。それでも以前よりは帰りが早くなった。少しずつお兄ちゃんの中で変化があったのだと思う。

それにしても眠くないのにお布団の中にいるのも飽きてきた。もう明日のお弁当の支度でも始めてしまおうか。そう思って誰もいないキッチンに行って冷蔵庫を開けると牛乳がない。そういえばちょうど今日の朝でなくなっちゃったんだっけ。お兄ちゃんよく飲むからなぁ。……コンビニ、行こうかな。散歩して身体を動かせば眠くなるかもしれない。部屋に戻って上着を羽織って家を出た。



近所のコンビニにはゆっくり歩いても15分くらい。その間、お兄ちゃんとの毎日が頭の中を駆け巡っていた。
あれ以来、おまじないは唇を介して行われている。触れるのは一瞬なのにすごい熱量で好きって伝わってくる。熱っぽくわたしを見る目がもう、この人はわたしの知らない誰かなんじゃないかって思い始めてしまって訳がわからなくなる時がある。それなのに拒もうとは思わない。ただ受け入れる。わたし、今までどんな気持ちでお兄ちゃんのこと好きって言ってたっけ。軽々しく言えなくなった言葉。でもこれは幼い頃からわたしたちを繋いできた物。

「おい」

「わっ!」

突然声をかけられて思わず小さなバッグを落としてしまった。慌てて拾って振り返ると…警察の制服を着た男性が怖い顔してこっちに歩いてきていた。

「こんなところで何してる?」

その声は低く明らかにわたしのことを警戒していた。向こうに車が停まってる。やばい、補導される。今夜はとことんついてないみたい。

「…あの、お散歩です」

「こんな時間に一人でか?誰かと一緒か?」

「ひとり、です」

「夜は一人で出歩くな。特にうっせーバイク乗りが騒いでやがるからな。わかったな」

それ多分うちの兄のことです…とは言えないので黙って頷いた。

「家の人は?迎え呼んでやる」

「今日はひとりなので大丈夫です。自分で帰ります、すぐそこなので」

「その歳で一人暮らし…って訳じゃねぇよな?」

「えと…仕事?で出かけてて」

そうか、と全然納得していなさそうな返答が返ってきた。不良少女に見られてるのかな。困ったな。

「未成年を置いて出かけられる親の気が知れねぇな…。乗りな、送ってく」

「乗るってまさか…」

そこに置いてあるパトカーですよね。どうしよう、あんなのに乗って家に帰って、万が一ご近所さんに見られたら明日から噂になっちゃう。ただでさえお兄ちゃんの素行の悪さが目立ってるのにその上わたしも不良なんて噂がたてば部屋を追い出されちゃうかも知れない。

「けっこうです。本当にすぐそこなので」

「いやそういう訳にもいかねぇんだ。こんな時間に見つけた学生を一人で帰す警察がどこにいる?」

「じゃあ…その一人目になってください」

「なるわけねぇだろ。いいから大人しく乗れ」

うー、どうすればいいんだろう。困った。外に出るんじゃなかった。でもお兄ちゃんは毎晩のようにフラフラしてるのになんでこうならないの?今度秘訣を聞いてみよう。

「…なんか事情があんのか?署に行くか?」

変に遠慮していると何かを察してくれたらしく少しだけ優しく声掛けをしてくれたお兄さんにいよいよ家出だと思われてしまいそうで困り果てたその時、バルルルルと耳に響くバイクの音がわたしと警察のお兄さんの横を通り過ぎようとして……急ブレーキをかけた。

「お前、坂田じゃねぇか」

「名前!?」

「お兄ちゃん!」

「はぁ?」

警察のお兄さんは驚いてわたしたちを見比べた。はい、わたしたちあんまり似てないんです。お兄ちゃんは路肩にバイクを止めてこっちに来てくれた。

「名前お前…なんでこんなところにいんだよ。とっくに寝てる時間だろ。しかも絡まれてるし」

「それは…」

「絡んでねぇ。職務質問だ。だいたい何時だと思ってる?こんな暗い道を女一人で歩くなんざ補導されて当然だろ」

「あ、土方さんじゃないっすか。見回りお疲れさまでーす。じゃ。俺たち帰るんで」

「待て待て待て待て」

お兄ちゃんの肩をガッチリと掴んだ警察の…土方さんは是が非でも帰さないと言わんばかりに引き止めてきた。離せよ離すかよと言い合う2人は初めて会ったような感じがしない。名前も知ってるみたいだし何度もお世話になっていることがわかる。

「ところで名前。マジで何してんだ。俺がいない日は家から出るなって言っただろ」

「眠れなくて…牛乳なかったからコンビニまでお散歩しようかなって」

「バカお前、牛乳なんてなくたって別にいーんだよ」

「家に一人にして外出てたお前が言うことじゃねぇな」

土方さんが横槍を入れてくる。それは確かにそうなんだけど…。案の定返す言葉をなくしたお兄ちゃんはぐしゃぐしゃとわたしの頭を掻き撫でた。その隣で土方さんは指を立てる。

「お前らに提案、その一。このまま二人で真っ直ぐ帰る。ただしお前らの学校には連絡させてもらう。提案そのニ。署まで来て有り難い説教をくらってから帰る。その際コンビニに寄るのを許可する」

「え…っと…?」

それ、どう考えても後者じゃないのかな?

「…あーーめんどくせーな!行きゃあいいんだろ」

「妹がいると素直だな、坂田銀時」

「うっせ」

そう吐き捨ててバイクに跨って家と反対の方向に行ってしまった。土方さんにお前はこっちだ、と言われてパトカーを初乗りすると道中で本当にコンビニに寄ってくれた。

「車から出るなよ」

待ってろと言われた通りそこから動かことなくぼーっとしているとしばらくしてコンビニから出てきて渡された大きな袋がガサガサと音を立てた。覗いてみるとおにぎりやパンやお菓子がたくさん入っていた。もちろん牛乳も。

「えっ、こんなにたくさん?」

「二人暮らしだって兄貴から聞いてる。アイツ何度も追いかけ回してるからな。まさか妹をパトカーに乗せることになるとは思わなかったがな」

煙草のついでだから金はいらねぇと振り向かずに言われ車は交番に着いた。ありがとうございますとお礼を言ったけれどあんなにたくさん、悪いなぁ。このお兄さん、見た目はちょっと迫力があるけどそんなに怖い人じゃないのかもしれない。

「おせーよ」

「うるせーよ」

交番に入ると一足先に着いていたお兄ちゃんが椅子に寛いでいた。

「お兄ちゃん、警察の人にそんな口の聞き方したら逮捕されちゃうよ」

「そんなんで逮捕されたら刑務所パンクするわ。うちの子かわいーだろ土方さん」

「そう思うなら一緒にいてやれ」

「わーってるよ」

「坂田くんお茶飲むー?……おうトシ、見回りお疲れ。今夜は偉い若い子をナンパしてきたなぁ」

「ナンパじゃねえよ」

「こんばんは。おじさんは近藤って言うんだ、よろしくね。お嬢ちゃんお名前は?」

優しそうなおじさん…近藤さんが子どもに話すかのように丁寧に挨拶をしてくれた。実際子どもに見られてるのかもしれないけど。

「坂田名前です」

「おー君が坂田くんの妹さんか!まさか会えるとはなあ!話に聞いていた通り可愛いなぁ」

例えお世辞だとしてもそれを感じさせない雰囲気の話し方をする人。土方さんとは対照的だ。この二人のおまわりさんが少なからず夜のお兄ちゃんのことを知っているんだと思う。

「それで、君はどうしてここに来たのかな」

そしてまた土方さんに聞かれたことと同じような質問をされて返すと、危ないから夜中に出歩いちゃダメだと優しく諭してくれた。なんだかお父さんみたいだなぁ。その横で土方さんがお兄ちゃんに何か言い聞かせていた。警察からの有り難いお言葉をポケットに手を突っ込んで大きな態度で聞いている兄を恥ずかしく思う。でも多分あの二人、仲が良い気がする。古い知り合いのように見えて…お兄ちゃんも少なからず心を許している雰囲気があった。

帰りはまた土方さんが車で送ってくれた。車内ではほとんど会話はなかったけどひとつだけ質問された。

「お前、兄貴のこと好きか?」

すぐに答えられなかったのはおまじないの時に唇が触れる瞬間を思い出したから。どんな意味の好きかわからなかったから。単純な質問なのに。今までなら即答できたのに。

「…………はい」

たっぷりと時間をかけて言えたのはそれだけだった。そうかと呟いて終わったこの会話に意味はあったのだろうか。




title by またね