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07.ここにあるのはこれだけ


「そろそろ行くか」

「うん」

手を繋いだまま歩いてきた海岸をゆっくり戻った。
もう日はしっかりと登って眩しかった。

「わっ」

砂が盛り上がっていたところに足を取られてスニーカーが片方脱げてしまった。しゃがみ込むとお兄ちゃんがスニーカーを拾ってわたしに差し出した。ありがとうと言ってそれを手に取り履こうとすると、両脇に腕を入れられて急に抱き上げられた。

「きゃあ!えっ何!?」

子どもの頃にしてもらった高い高いみたい。突然の浮遊感と身体が密着する体温にドキドキする。

「靴しっかり持ってろよ」

下ろしてくれるかと思ったらそのままお兄ちゃんの腕の中に収まって歩き出した。半分担がれてるようなものだけど何これ、ドラマでしか見たことないよこんなの。すごく恥ずかしいし心臓がバクバクいってる。スニーカーを落とさないようにしながら自分も落ちないようにお兄ちゃんに抱きついた。

「ここでならなんでもできる気ぃするわ」

「なんかすごく大胆でついていけないんですけど…本当にお兄ちゃんですか?」

「お兄ちゃんじゃねーかもしれねぇな」

「じゃあいったい誰なのよ」

「お前のことを好きなだけの男」

一瞬心臓が止まったかと思うほどの衝撃だった。わたしの気持ちに気付いてて、キスしてくれただけでもう充分だったのに。言葉になんてしたらいけないと思ってた。ずっと。なのに貴方がそれを言うの?

「……それってガチの方?」

「ガチの方」

夢みたい。夢かもしれない。こんなことある?でも、ねぇ言っていいの?それ。

「…兄妹だよ、わかってる?」

「わかってる」

「それでも?」

「ガキの頃からずっとお前が一番大切だった。名前を守りたくて警官になったんだ」

「…なんか泣きそう、」

「泣いちまえ。お前は昔から素直じゃねーから。こういう時こそ泣け」

「……好き」

「ああ」

ハラハラと涙が溢れてくる。絶対にあり得ないと思っていた、手に入らないと思っていた人。間違っているのかもしれない。それでも、気持ちに蓋をして一生過ごしていくよりずっといい。

「一般的な幸せは与えてやれねぇかも知れねぇ。けど一生かけて守る」

「…うん、いいの、もう…お兄ちゃんと同じ気持ちってわかっただけでこの先一生幸せだから」

「こんなんで満足すんなよ」

車のドアを開けてわたしを助手席のシートに下ろしたお兄ちゃんは屈んでキスをした。降りてくる唇を受け入れる。二度目のキス。そして車は同じ家という現実に向かって走り出す。夢のような景色が遠ざかる。

「…お前この間『何で抱きしめたりしたの』って俺に言ったよな」

「…うん、不純とか言って…嫌な言い方してごめん」

「図星だった。何も言い返せなかった。不純な気持ちで抱きしめたのは事実だし、ずっと不純な目でお前のこと見てたからああ言われて目が覚めた。ちゃんとしねぇとって思った」

「……うん」

「好きだよ」

「…………なんで今言うの」

「あれで終わったら景色に情が流されただけだと思われるだろ」

「そんなこと思わないよ。本当真面目だよねぇ」

「その分名前が不真面目になっちまったけどな」

「そういうこと言わなくていいから」

家に帰って部屋に戻るとさっきまでのことが嘘みたいになにも変わらない部屋があった。スリープモードにしておいたPCと開きっぱなしのノートとボールペン、その横のスマホ。……本当に海に行ってきたのか怪しくなる。それでも、目を閉じるとあの光景が目に浮かぶ。綺麗な海だった。ひんやりとした砂の感触とキラキラ朝日を反射する水面。十四郎お兄ちゃんが好きって言ってくれた。キスしてくれた。それを証明するのは甘く痺れる胸を抱えた潮の香りが残る自分自身だけ。今はそれだけで充分だ。






「もしかして名前か?」

「…あ、北大路くん」

説明会の帰り、会場から出ると同じようにリクルートスーツを身につけた黒髪の男性に声をかけられた。同じ大学で学部は違うものの友達の紹介でほんの少しだけ付き合った北大路斎くん。落ち着いていて、真面目そうなところがお兄ちゃんに似ていて周囲の勧めもあってなんとなく付き合ったけど、すぐには好きになれなかった。その空気が伝わってしまったのかギクシャクして数ヶ月もせず別れた。学部が違うと講義も被らないから顔を合わせることはほとんどない。だから会うのは久しぶりだった。

「髪黒いと誰だかわからないな」

茶化すように言われる。本当それ。恥ずかしいな元彼に黒髪見られるの。気付いたとしてもスルーして欲しかったわ。しかも地味スーツだしメイクもうっすいし。

「よく気付いたね」

「歩き方ですぐ分かった。後ろ姿が好きだったから」

「え?そんなの初めて聞いた」

「言ったところで……だろ?」

含み笑いを浮かべてどこか寄って行かないかと誘われる。まあいいか、たまには。いいよと答えて近くのカフェに入った。北大路くんはブラックコーヒー。わたしも同じものにした。今日は全身黒い上に飲み物も真っ黒。なんか笑える。

「説明会、気になるところあった?」

「学部が違う名前だから言うけどもう内定貰ってる」

「え!?早すぎない!?」

「父親のツテで紹介してもらえたんだ。丁度異動があるらしく新人が欲しいと言われて。タイミングが良かっただけだ」

「なるほどー、それは良かったね。タイミングも北大路くんの運だよ。でもじゃあどうして説明会来てたの?」

「内定先のライバル会社の説明会も聞いておくかと思って。これで何もせず余裕こいてたら周りも迷惑だろ」

「相変わらずだねぇ」

「名前もたまに話聞くぞ。まだフラフラしてるんだろ」

「フラフラって…どんな話聞いてるの」

誰だわたしがフラフラしてるとか言ってるヤツ。確かに最近は合コン行ったり相席屋とか行って失敗しまくってたけど。

「今彼氏いないんだろ」

「あー……うーん、…いるようないないような」

お兄ちゃんの顔が頭に浮かぶ。わたしたちのこの関係ってなんて言うの?彼氏なんて、言えない。堂々と言えるわけない。でも気持ちは繋がってる、はず。こういうとき関係に名前がないと困る。北大路くんは言葉を詰まらせたわたしを変に解釈したようだ。

「何、セフレでもいるわけ」

「いないよそんなの。北大路くんは彼女いないの?」

「いるわけない。俺はずっと……、」

「ずっと?」

何でもないとコーヒーに口をつける動作をぼんやりと見た。今になって思う。お兄ちゃんと北大路くん、全然似てない。どこが似てるなんて思ったんだろう。それだけお兄ちゃんとの繋がりを探してたのかな。この人を振り回して、別れる時きっと傷つけたと思う。こんなわたしが恋愛なんてしていいんだろうか、元よりこれは恋愛なのだろうか。それでも、この胸にある気持ちだけは揺るぎない真実だ。




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