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06.やさしいひかり

「来島、それは」

「…お嬢が食べたいと」

「…ああ、俺が持っていこう」

名前の部屋に入れるのは兄である晋助と彼女に付いている来島、そして自分だけだ。とはいえ自分は看病を除けばここへ来ることは殆どないと言っていい。あの晋助によく許可されたものだ。奴に余程信頼されているらしい。名前は何故か俺にもよく懐いてくれている。

「名前、入っていいか」

「…万斉さん?」

どうぞと弱々しい返事が返ってくる。
案の定名前はベッドに横になっていた。

「体調が思わしくないのか」

「大したことないの。ちょっとだるくて」

季節の変わり目だからかなと努めて明るく笑うが起き上がったその顔色はいつにも増して真っ白だ。

「来島から預かってきた」

差し出したのはガラスの容器に入れられた小さな氷。

「ありがとう」

スプーンでそれをひとつすくって口に入れると、カリ、と歯を立てる音がした。
氷食症。異食症の一種で、氷ばかり食べたくなる症状だ。名前は重い貧血を持っている。鉄分が足りず貧血の状態に陥っているときに無性に氷が欲しくなるという。他にも強いストレスに晒されるとその症状が出ることがある。何にせよ名前が氷が欲しいと言い出すのは体調が悪い証拠だ。

「あまり身体を冷やさないようにな。食事をしっかり摂って薬を飲めばすぐに良くなる」

「うん…」

高校に上がってから調子が良かったものの、ここのところまた体調を崩しがちだ。その原因は言わずもがな許嫁の件にある。
先日誕生日を迎え16になったばかりだというのに早々に将来の夫を紹介され『好きになる』努力をすることに精神的なダメージを受けているのだ。相手は同盟を結んでいる伊東組の跡取り。二十歳になった頃合いか。博識で聡明と評判だが窺い知れない裏の顔を隠し持っているように見える。オヤジは何を考えているんだ。もう少し待ってやってもいいだろうに。

顔合わせは滞りなく済んだと聞く。
名前の心身の美しさに惹かれたと言い帰っていったのを晋助が見送った。それから思い立ったように屋敷を訪れては仲を深めているようだったが、これが少なからず名前のストレスになっているらしい。

ゆっくりとした手つきで氷が小さな口に運ばれる。
冷たさを確かめるように目を閉じた。長い睫毛が揺れる。

「…体力を、つけようと思ってたくさん歩くことにしたの」

「急に身体を動かすからだ。程々にしないと」

「…鴨太郎さんの…お兄様は長く入院されているんだって。その上わたしがこんな身体じゃ、お荷物になっちゃう」

「…名前」

「送り返されないようにしなきゃね」 

はたから見ても2人は仲睦まじい様子だった。微笑みながら並んで庭を歩く姿は背中がむず痒くなる程に。関係は良好と言っていいだろう。問題は伊東鴨太郎にあるのではない。
一言で言えばプレッシャーだ。名前は家同士を繋ぐ人柱のようなもの。もし何かあって組に迷惑がかかれば…なんてことを考えているのだろう。

「もし戻ってくることがあればその時は俺が貰おう。名前は良い妻になる」

「…ありがとう万斉さん」

「こんなオッサンは嫌だろうが」

「万斉さんのことおじさんなんて思ったことないよ」

「……名前、本当は俺ではなく晋助の側にいたいんじゃないのか?」

名前は答えずにまた氷を一粒口に運んだ。
カリ、口の中で砕ける音が響く。

「伊東さんのおうちでもお花を生けられたらいいな」

「…そうだな」

この子の無言は肯定だ。婚姻を断りここを出ることだって出来るだろう。だが彼女には高杉家に迎え入れ育てて貰った恩がある。高杉組のために自分にできることを充分過ぎるほどに理解し受け入れている。それが時に痛々しく見えて仕方がない。極道の家に育てられたのに誰よりも優しい子に育った。
彼女は最近急に女らしい表情をするようになった。これも伊東の影響か、それともこの子が今考えている男のせいなのか俺にはわからない。

名前が高杉家に引き取られてから2人をずっと見てきた。晋助の指が繊細なガラス細工を扱うように優しく名前に触れる様を。それを受け入れる名前の、花が咲くような表情を。






定期の血液検査のためにいつもの病院を訪れると、スーツに身を包んだ知った顔が病棟の方に歩いていくのが見えて咄嗟に駆け出した。

「鴨太郎さん…!」

「名前さん、走らない方がいい」

わたしに気付いた鴨太郎さんは慌てた表情で肩を抑えた。忘れてた、病院の中だった。数十メートルの距離だったのに息が上がる。鴨太郎さんは落ち着くまで待ってくれていた。

「ごめんなさい、見失っちゃうかと思って」

「いや、大丈夫だ。貴女は細いから転んだら事だ。名前さんは何故ここに?」

「定期検査で帰るところでした。鴨太郎さんは?」

「兄の見舞いに来た。寄っていくか?」

鴨太郎さんの双子のお兄さんだ。

「はい」



「これは驚いたな…。はじめまして。伊東鷹久です」

「高杉名前と申します」

「鴨太郎から聞いています、許嫁だと」

「はい」

鷹久さんは穏やかな表情で迎え入れてくれた。
双子というだけあって確かに2人はよく似ていた。けれどそれは外見だけで雰囲気も表情も全く違う。

「鴨太郎から自慢されているよ、とても美しくて優しい心の持ち主だとね。君が家族になるのを楽しみにしているよ」

「婚姻までに鴨太郎さんに相応しい女性になれるよう頑張ります」

「はは、貴女は充分素敵な女性に見えるよ」

「兄さん、頼まれた本持ってきた」

「ああいつも済まない」

鴨太郎さんが取り出した本には見覚えがあった。

「宮沢賢治ですか」

「この人の童話が幼い頃から好きでね、たまに読みたくなるんだよ」

「わかります。兄がよく聞かせてくれました」

「高杉組の若頭が?それは意外だな、もしお薦めの本があれば教えてください」

「はい、ぜひ」

鷹久さんの病室を後にすると鴨太郎さんが心配そうにわたしを見下ろした。

「急に来てくれてありがとう。兄には紹介しないとと思っていたところだったんだ」

「いいえ、素敵なお兄様ですね。またお会いしたいです」

「ああ。君も、体調に気をつけて。また暇を見つけて会いにいく」

「お待ちしています」

鴨太郎さんと別れて迎えの車に乗り込む。だいぶ待たせてしまった。

「武市さん、ごめんなさい」

「大丈夫ですよ、疲れたでしょう。検査はいかがでしたか」

「…うん、またしばらく薬飲まなきゃ」

「そうですか。すぐに良くなりますよ」

「早く治すね」

鷹久さんにああ言った手前、貧血くらいで寝込んでいられない。早く治さなきゃ。






抱き上げられてる感覚がした。スーツからわたしの好きな香りがする。

「…しんす、」

「寝てろ」

帰りの車で寝ちゃったんだ。今日は武市さんに迷惑かけてばっかりだ。連れられたのは晋助の部屋で、ソファに置かれるとすぐに出て行った。お仕事かなと思いながらしばらくうとうとしているとお膳を持って戻ってきた。

「食えるか」

「少しなら…」

夕飯だ。晋助の分もある。だるい身体を動かしていただきますと手を合わせた。

「晋助とお夕飯、久しぶりだね」

「ここのところ立て込んでたからな」

隣でご飯を食べる晋助につられてご飯と卵焼きを少し口に入れた。最近めっきり食欲がなくなってしまった。早く元気にならないといけないのに心と身体が別々のもののように反発している。

「これなあに?」

「来島が作った氷」

薄く黄色みがかかった、氷というよりシャーベットに近いそれをスプーンで口に入れると冷たくてほんのり甘い味がした。

「りんごだ…美味しい」

「ただの氷食ってるよりいいだろ」

「嬉しい…」

心配かけてる。また子さんにも、万斉さんにも、忙しいだろうに隣でご飯を食べてくれる晋助にも。

「食ったらちゃんと薬飲め」

「うん、ありがとう」

「お前にはお前のペースがある。焦るな」

「……はい」

鉄剤を口に入れると錆臭くて、苦くて…慣れているはずなのに涙が出た。その間晋助はわたしの背中を撫でてくれていた。




title by さよならの惑星