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05. twilight breeze

その日、わたしは生け花のため以外で久しぶりに着物に袖を通した。身なりを整えて、髪を結い、少しだけお化粧をしてその人が来るのを待った。

許嫁だと紹介された人は笑顔を崩さずにわたしを見下ろしていた。

「伊東鴨太郎と申します」

「高杉名前と申します」

お互いに頭を下げ挨拶をするとお父様と伊東組の組長さんは早々に部屋から出て行った。2人で親睦を深めろという意味だ。
高杉組と伊東組は同盟関係にあり鴨太郎さんはその跡取りだ。彼の姿は遠くから一度か二度目にしたことがあったけどこうして正面から顔を合わせて話すのは初めてだった。近いうちにこの人のものになるんだ。他人事のようにぼんやりと思った。

「少し見ないうちに美しくなりましたね。着物が良く似合う」

「…いえ、そんな」

鴨太郎さんもわたしのことを見たことがあるようだった。わたしは高杉組の、ことヤクザのお仕事についてはっきりと把握しているわけではない。お兄ちゃんをはじめ周りのみんなもその内容について話すことはしないしわたしから聞くようなこともしない。「知らなくていい」と言われていたからだ。
極道の家にいながらその家業について遠ざけられてきたわたしはこの人に何を捧げられるだろう。与えられる全てを『そういうもの』と受け入れてきた。目の前にいるこの人のこともそのひとつだ。

「以前お見かけした時貴女はまだ中学生だったと記憶しています。女性の成長は目まぐるしいものですね…目が離せなくなりそうだ」

台本でもあるのかと思うくらいにさらさらと歯の浮くような台詞を言う鴨太郎さんの第一印象は想像よりずっと紳士的で優しそうだと思った。でも、眼鏡の奥の瞳は違う色をしてる。
この人も意思とは関係なくこんな年下の女を娶ることになった件について少なからず何か思うところがあるらしい。

「…いくら高杉組の『物』とはいえ、丈夫でもなく気質もない女を迎えることになるなんて、とお思いではありませんか?」

鴨太郎さんの貼りつけたような笑顔が消えた。こちらが本当の顔なのだろう。でも怖くない。その方がこの人らしい。

「…流石にあの晋助さんの妹君には通用しないようですね。貴女の事については本当にそう思っていますよ。ただ、大切に育てられてきたようなので素を出すと怖がれるかと思いまして」

「お気遣いありがとうございます。けれど、親睦を深めようと思うのなら本音でお話ししたいです。ここにはわたしたちしかいません。家の決めたこととはいえ、…近いうちに夫婦になるのですから」

「…そうですね、僕も貴女の意見に賛成です」

「家柄を除けばこの通りわたしには何もありません。でもせめて…鴨太郎さんの望むような立派な女性になります。精一杯、応えます」

それが高杉家に育てられた女であるわたしの覚悟だ。わたしの役割を果たすために、この人に相応しい女になろう。

「貴女が想像以上に大人びていて驚きました。覚悟が、あるのですね。………気に入った」

低く言って笑った鴨太郎さんの表情にはさっきまでの紳士的な微笑みはもうなかった。






「お嬢、お疲れ様でした。お夕飯は…」

「今日は要らない、ごめんなさい」

声をかけてくれたまた子さんに短く返して人が通らない真っ暗な廊下を進み、一番奥の裏庭が見える縁側に腰を下ろした。1人になりたい時に来る場所だ。

はあ、疲れた……。
着物を脱ぐ気にもならないほど身体が重い。
ついに将来の旦那さんと顔を合わせてしまった。そして殆ど初対面なのに生意気なことを言ってしまった。
あれから鴨太郎さんは敬語をやめて家のことや兄弟のことを話して聞かせてくれた。纏う空気も柔らかくて、心を許して貰えたようだった。まずは、良かった。

伊東組の跡取り。鴨太郎さんには双子のお兄さんがいるのだと教えてくれた。その方は病弱で心根が優しいので弟である自分が組を継ぐのだと。そう話す鴨太郎さんの声は僅かに曇っていた。そこに何があるのかはわからないけれど、心に引っかかった。これから婚姻まで何度も顔を合わせるだろう。少しでも心に寄り添いたい。そう思うのに。

「……晋助」

鴨太郎さんのことを考えてるはずなのに口から出るのはあの人の名前。無性に会いたい。

「なんだ」

「っ、」

返事が返ってきて驚いた。目を凝らして歩いてきた真っ暗な廊下を見ると黒いスーツに身を包んだ晋助が立っていた。いつからいたんだろう。

「風邪引くぞ」

「……うん」

暗くてよく見えないけど隣に座る気配がした。

「お前は何かあるといつもここだな。アイツが気に入らなかったか」

「ううん…素敵な方だったよ」

「上手くやったらしいな。ありゃあまたすぐに会いに来るぜ」

褒めてくれるのは嬉しいけど素直に喜べないのはどうしてだろう。

「他の男のために着飾るのがこんなに妬けるとはな」

「…え?」

「いや、何でもないさ」

長い指が髪飾りに触れた。
初めて着物を選んだときに赤が似合うと言ってくれたのは晋助だ。いくつもある着物の中で今日赤い着物を選んだのは、自信と勇気を貰いたかったから。

「今日、お兄ちゃんのことばっかり考えてたよ」

「俺もお前がヘマしないかそればかり考えてたぜ」

頑張ったな、と言って頭を撫でてくれた。

「ご褒美ある?」

「そう言うと思ってお前の好きな店のタルトがある」

「ほんと?ありがとう」

「それと、コイツもだろ」

言葉を切った晋助の顔が近づいて頬にキスしてくれた。

「それがいちばん嬉しい」

「機嫌治ったか?来島が心配してたぞ」

「最初から悪くないよ、少し疲れちゃっただけ。晋助が来てくれたからもう大丈夫」

立ち上がってみんなのところへ歩き出す。頑張ろう。この世界ではもっと強くならないと。心も身体も。




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