05. わたし傷つかないことに決めたの
就職活動が始まりました。
現実がわたしに迫ってしんどいです。
大学の講義で概要を聞き、興味のありそうな分野をピックアップして参加する説明会のスケジュールを立てる。うーん、大手以外は手っ取り早く合同説明会に行ってまずは情報を集めようかなぁ。雰囲気に慣れるのも大事だもんね。スマホでもいくつかエントリーしておこう。
「名前!今週はどこの合説行く?」
「とりあえず大きそうなこの辺りかなぁ」
友達にスマホで予定表見せるとあーそうだよねと友達も予定を見せてくれた。似たり寄ったり。
「良さそうなところあったら教えるね」
「ありがとーがんばろうね」
「しばらくは合コンもできないねー」
「いやわたし当分いいや、この間のアレで完全になる気無くした」
「あれはマジで萎えたね」
アレとはアレである。相席屋のラブホ連れ込まれ未遂事件だ。からのお兄ちゃんとのプチ喧嘩。お兄ちゃんは忙しくなってなかなか顔を合わせなくなってしまった。高校生が夜バイクで走り回ってるらしい。くそ、気楽でいいなぁ高校生は。楽しい恋愛ばっかりしてるんだろうなぁ。
「あ?どうしたそれ」
家に帰ると珍しくお兄ちゃんが先に帰ってきてた。
そうか、髪の色暗くしてから会ってなかったから。
「就活だよ」
「あー、そうだったな」
リビングのソファでコーヒーを飲む姿はいつも通り。
ちゃんと顔を合わせて話すのは交番で怒られて以来なのに。大人だよなぁ。気まずい空気は全部取り払って接してくれる。お説教もグダグダするわけじゃない。口うるさいのはその時だけ。オンとオフがはっきりしてるっていうか、メリハリがあるっていうか。そういう接し方に何度も助けられてきた。
「髪黒いの久しぶりだな、しばらく見慣れねぇな」
「真っ黒じゃないよ、薄ーくブラウン入れてるから」
「お前は黒髪も似合うぞ」
「…ありがとう」
お兄ちゃんが座るソファの隣に、わたしも腰を下ろす。
もう気まずくはない。でもこれといって話す話題がなかなか見つからない。
「お兄ちゃん、わたしにもコーヒーいれて」
「自分でいれろ」
「お兄ちゃんのコーヒーが一番美味しいんだよねぇ」
「…どっかで聞いた台詞だな」
薄く笑いながら立ち上がってバリスタくんを動かすお兄ちゃんの背中を見ていたら自然と言葉が出た。
「この間はごめんなさい」
「…おう」
「ありがとう。お兄ちゃん来なかったらソープ送りだった」
「ソ………、まぁ、無事で良かった」
「格好良かったよ」
「…そうか」
やっぱアイツ自重聴取するべきだったなと呟いてコーヒーが入ったマグを差し出してきた。
「ありがと」
手が触れた。でももう大丈夫。
わたしたちは元どおりだ。
「あまーい」
「コレ好きだろ」
「うん」
砂糖とミルクたっぷりのコーヒー。もうブラックだって飲めることは知らないんだろうなぁ。甘いなぁ、ほんとに。
夜、説明会に向けて企業研究をしているとコンコンとノックの音がする。誰だろう。もう夜中なのに。あー、パソコン見過ぎて目がじわじわする。
「…どうしたの?」
「あー…、その、」
お兄ちゃんだった。自分から来たくせに歯切れ悪そうにしてる。
「明日なんかあるか?」
「明日って、今日のこと?」
時計は日付を超えていた。お兄ちゃんこそ、こんな時間まで起きてて大丈夫なの?朝早いのに。
「ちょっと外出ねぇか?息抜きに」
「今から?」
「だから予定聞いてるんだろ。俺は明日夜からだから」
「大丈夫だけど…」
「なら、上着着て来い」
「えー……?」
お兄ちゃんが夜遊びに誘うなんて、珍しい。っていうか、初めてだ。夜、部屋に入ってからはお互い顔を合わせないのに。お兄ちゃんは部屋からあったかそうなダウンを手に持って出てきた。煙草買いにコンビニにでも行くのかな。
わたしも部屋着の上に大きめのカーディガンを羽織ってついていった。すぐ戻るよね。スマホも財布も置いていこう。
「えっ車?」
「寒ぃだろ」
コンビニは歩いて10分くらい。そんなに煙草吸いたいのかな。まぁ楽でいいけど。助手席に乗り込むと暖房をつけてくれた。
「お兄ちゃんの車、久しぶり」
「そんなに乗る方じゃねーからな」
「え、運転大丈夫なの」
「馬鹿にすんな。仕事でアホほど乗ってる」
すっかり暗い道を走り出す。あ、と言ったお兄ちゃんは赤信号で止まった時に後部座席からブランケットを引っ張り出してわたしの膝の上にかけた。お兄ちゃんにしては可愛い柄だ。もしかして。
「彼女の?」
「んなわけねーだろ」
「元カノ?」
「ちげーよ」
「じゃあ、」
「名前用」
「……そう」
なにそれ。そんなに乗ってたっけ。でもわざわざ用意してくれてたんだ。嬉しい。いつか彼女ができたら貸してあげてもいいわよ。なんちゃって。
「あれ、コンビニ過ぎたよ」
「寄りたかったか?」
「え?コンビニ行くんじゃなかったの?」
「コンビニ行くなんて一言も言ってねーぞ」
えっ、じゃあどこ行くの本当に。
こんな夜中にやってるところなんて漫喫とかカラオケとか居酒屋とか…とにかく真面目なお兄ちゃんは寄り付かないところばかりだ。
「たまにはドライブもいいだろ?」
「うん、まぁそうだね」
まあいいや。あったかいしぼーっとしてられるし。お兄ちゃんと夜中のお出かけなんて初めてだからなんだか変な感じがする。
「眠かったら寝ていいぞ」
「うん」
お兄ちゃんの声が好き。低くて、でも優しくて心地いい。
「なんか面白い話しして」
「そこは助手席のお前がしろよ」
「特にないよ」
「最近あったこととか」
「んー…合コン行ったら知ってる人がいて相席屋行ったらクズ男に引っかかった」
「ろくなことねーなぁ」
「本当にね。お兄ちゃんは?」
「合コン行ったら妹がいてパトロールしてたら妹がラブホに連れ込まれそうになってた」
「どんな妹なのそれ。首輪でも付けといた方がいいんじゃない?」
「できることなら付けておきてーよ。交番に繋いでおくわ」
「そしたらわたし就活しなくて済むなぁ。前向きに検討してください」
「えらく煮詰まってるじゃねーか」
「……うん」
あー現実、考えたくない。すぐ4年生になって卒論書いたら卒業、そして社会人かー。あ〜イヤ。なんかもう嫌。こんなんでお兄ちゃんみたいな立派な社会人になれるのかな。全然実感わかないよ。悩んでたらなんか眠くなってきた。しばらく無言が続いたあと、ぐしゃぐしゃって髪を散らされながら頭を撫でられた。
「寝ろ」
「うん」
車の揺れが心地いい。ブランケットを抱えて目を閉じた。
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