04.ブレーキよりもアクセルを選んだ
危なかった。
お酒飲んでなかったら絶対眠れなかったやつだわ、あれは。上着の匂いが臭すぎて。いや悪い意味じゃなくて。いい意味でもないけれど。
包まれた身体の感覚が消えない。むかつく。お兄ちゃんのくせに。バカ真面目の天然タラシが。
好きな人に抱きしめて欲しいなんて言ったけど、お兄ちゃんのことなんてひとことも言ってないじゃない。何を思ったんだあの酔っ払いは。いやわたしも酔ってた。あんなこと言うんじゃなかった。反省。全てはお酒のせい。大人って言い訳ばっかりだ。
リビングに降りるともうお兄ちゃんは出勤したようだった。上着はファブリーズしまくってソファにかけておいた。
「名前、週末空いてない?相席屋行こうよ」
「相席屋?」
わたしと同じく彼氏なしの友達からの誘い。
聞けばその場で初対面の男女がお酒を楽しく飲んでついでに出会いもゲットできるというサービスの居酒屋らしい。ふーん、合コンのセッティングする手間が省けてお手軽そうだ。その分冷やかしや変な人たちもいそうだけど。
「もしおじさんとか来たらどーする?」
「チェンジできるらしいよ。だいたいの年齢も希望出せるっぽいし女の子タダだし。一回行ってみようよ! 」
「んー……気乗りしないけど一回だけなら 」
そうして迎えた週末。わざわざ混み合う週末を選んだのは会社勤めの年上男性を狙うためらしい。勉強になります。
正直言うと最近は躍起になって彼氏を作ろうという気持ちは無くなっていた。お兄ちゃんがうるさいからとか、お兄ちゃんとの距離が微妙になってきたことが影響しているわけではないけれど、なんか恋に対して前向きになれなくなってきたっていうか。理想のひとなんて存在しないんじゃないかって思う。悟ってるわ。なぜならサトリ世代だから。
「こんばんはー」
「初めましてー」
相席したのはお兄ちゃんくらいの会社員2人だった。良かった、おじさんじゃなくて。話もまぁまぁ面白いし明るいタイプの人だった。1時間くらい飲んでお店を出ると友達と片方の男の人がなんだかいい感じで、2人で2軒目に行くと言うので見送った。良かったね、うまくいくといいなぁ。さてわたしはどうしようか。
「駅まで送るよ」
「あ、じゃあお願いします 」
名前、なんだっけ。とりあえず歩き出す。別に顔は悪くないし優しそうなんだけどなんかピンとこない。いつの間にか腰に手が添えられている。おっ、さすが会社員。手が早いなと冷静なことを思ったり。
「名前ちゃん可愛いのに彼氏いないんだ」
「そうなんですよー 」
「じゃあさ、ソープとか興味ない?いま大学生の子に人気だよ。お小遣いいっぱい稼げるし 」
うっわ。スカウトじゃんこの人。最悪。
会社員をしながら副業で女の子にお店を紹介しているんだと軽く言う。あーそういうことかぁ。だる。
「全然興味ないです、うち兄が警官なんでそういうのバレたらやばいですよ」
「げっマジ?内緒にしてね?じゃあ個人的に俺と今夜遊んでよ 」
それならいいよね?と耳元にキスしてくる。うわっ、やめて。そしてタイミングの悪いことにラブホ通りに入ってしまった。いや、多分これ誘導されてる。確信犯じゃん。これは逃げないとヤバいやつだ。ヤられる。そしてソープにサヨナラバイバイされる。
「そういうの間に合ってます 」
「俺は間に合ってないんだよねー。相手してくれたらお礼してあげるよ?いくら欲しい? 」
「お金要らないから帰りたい 」
「俺さ、君みたいにちょっと気強い子が好きなんだよね。ベッドの上で虐めたいっていうか」
「聞いてないんですけど。大きい声出していいですか? 」
本格的にやばい雰囲気がする。お酒と煙草の匂い。がっちりと肩を組まれてぐいぐいラブホの方に引っ張られる。更に片手でスカート越しにお尻を触られる。あーーやだ。もう相席屋なんて絶対行かない。友達は大丈夫かな。とにかく逃げよう。大きく息を吸った。
「おまわりさーん!」
「警察だ。ちょっと話聞かせてくれるか」
ナイスなタイミングで本当におまわりさんが来てくれた。男の人に警察手帳を見せている。助かった。
「嫌がってるようだけど同意してるのか 」
「え〜いや〜ちょっとナンパしただけなんで〜じゃあね〜 」
あからさまにやばそうな顔でお兄さんは去っていった。あんなに迫ってきといてよくそんなに態度変えられるなぁ。ラブホの前でおまわりさんとわたしが残る。
「…署に来い 」
「わたし被害者なのに 」
無言。絶対怒ってる。
前を歩く制服姿のその人の背中がやけに遠い。
「……お兄ちゃん 」
おまわりさんは振り返らなかった。
「このバカ!この時間にあんな通りをフラフラ歩いてんじゃねぇ!俺たちが巡回してなかったら今頃やられてたんだぞ!男についてくなってあれほど言ったじゃねぇか! 」
「ついてってないもん相席屋で飲んだだけだもん 」
「相席屋ァ!? 」
やばい、火に油を注いでしまった。
おまわりさんに怖い顔でガミガミ怒られている。交番の外まで声聞こえてんじゃないのこれ。友達に連絡したら向こうもスカウト来たからさっさと逃げたらしい。男運のなさに笑えてくる。踏んだり蹴ったりだよ。
「お前なぁ……。マジで危ないところだったんだぞ」
「わかってる」
「わかってねぇ。相席屋なんて二度と行くな。男はみんな不純物の塊だと思え」
「お兄ちゃんもそうなの? 」
「兄貴は違ぇだろ」
「……じゃあなんで抱きしめたりするの」
「……、あれは」
「お兄ちゃんが一番不純なんじゃないの」
充電が切れたように言葉を失ったお兄ちゃんはそれ以上喋らずに、気まずそうな、悔しそうな表情でわたしを見下ろしていた。
「帰る。仕事頑張って」
「名前ちゃん、送るよ」
交番を出ると近藤さんが追いかけてきてくれた。お兄ちゃんの同期だ。何度か家に遊びきたこともある。聞かれてたかな。まぁもういいや、なんだって。
「巡回していたら名前ちゃんに似た子が絡まれてるのを見つけて一目散に走ってったんだ。いつも冷静なあのトシが」
「………」
「…そうかぁ、トシは本当に名前ちゃんのことが心配なんだなぁ」
わたしさえ知らない何もかもを知っているような声色で近藤さんは優しく微笑んだ。その表情を見て、無性に泣きたくなった。
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