05.うつくしきいつわりを齧る
「銀時の彼女にしてはずいぶん可愛いのね 」
放課後、帰る途中だった。
知らない女の人に突然話しかけられて足が止まった。可愛い、という言葉の中に黒いものを感じて嫌な気持ちになる。この人は誰なんだろう。高等部の制服を着てるからお兄ちゃんの友達なんだろうか。それにしては、怖い目をしてる。
「彼女じゃありません、妹です 」
「妹?この間仲良さそうに手繋いでるの見たけど本当に妹なの?」
「……はい」
「なーんだ、勘違いしちゃってごめんねぇ。てっきり貴女が彼女だと思って。確かに銀時の彼女が中学生じゃあおかしいわよね。…でも彼女の邪魔にならないように気をつけてね。
手繋ぐのもやめた方がいいんじゃない?じゃあね妹ちゃん」
女の人は一方的に話して帰っていった。強い、香水の香りに吐き気がしてくる。なんだったんだろう。お兄ちゃんの彼女の邪魔にならないように?彼女、いたんだ。知らなかった。じゃあ、もう手繋いだりできないね。これからは彼女とするんだからもう朝のキスも終わりだね。
わたしは1人でも大丈夫。お兄ちゃんが幸せになれるなら嬉しい。心を許せるひとができることは良いことだ。妹のわたしにそれを咎める権利はない。
お兄ちゃんに彼女ができたのにどうしてこんなにさみしいんだろう。取られたくないから?わたしにはなれないから?こわいな、何かに気づいてしまいそう。
「名前」
顔を上げるとお兄ちゃんが苦しそうに見つめていた。
困らせてる。ごめんなさい。そんな顔して欲しいんじゃないのに。おまじないをせがんだからだ。
「わがまま言ってごめんなさい。もうおまじないしなくても大丈夫だから」
「オイコラ待て」
部屋を出ようとしたけど簡単に引き寄せられてそれは叶わなかった。また向かい合うように座らされる。肩に置かれた手が、震えてるのはどうしてなの。
「本当にもういらねぇ?名前が嫌なら止める」
「だって…」
「だってもクソもどーでもいいわ。欲しいか欲しくないかだけ言って」
「……ちょうだい」
「悪ィ、俺もう無理だわ」
苦しそうに呟いてお兄ちゃんが触れたのはわたしの唇だった。
「神楽ちゃん!ごめんね遅くなって」
「大丈夫アルヨ〜」
日曜、神楽ちゃんと映画館に来ていた。
神楽ちゃんの観たい映画があって2人で来ようと約束していたのだ。タイトルは『愛とポテチの逃避行〜コンソメの逆鱗〜』となんともB級感のある映画である。ポップコーンと飲み物を買って席に着くとすぐに暗くなりCMが流れ始める。ポップコーンを半分こしながらぼんやりとそれを見ていた。
あ、あの人最近人気の…なんて言ったっけ。そうだ、沖田総悟くん。男性の俳優さんはあまり詳しくないけどあの人は綺麗でなんか目について見てしまう。最近見かける化粧品のCMで、すごく綺麗な女の人とキスしそうなほど顔を近づけていたっけ。恋人みたいな雰囲気で素敵だったなぁと思い出す。甘い雰囲気でおとぎ話みたいに美しかった。
2人はあのままキスしたのかな。唇がくっついて……そう、この間のお兄ちゃんの『おまじない』も、くっついたのは唇だった。おでこ以外にされたのは初めてだった。あれは、キスになるんだろうか。
目の前に広がるのはポテチとポッキーの許されない恋。
コンソメが2人の仲を引き裂こうとしている。なぜなら2人は結ばれてはいけないからだという。だからってどうしてコンソメがそれを引き裂こうとするのだろう。ダメだと決めたのは誰なんだろう。なぜダメなんだろう。どうして好きじゃだめなの?
好きな人が好きだと思ってくれているのに。
想いが通じ合っているのにどうして許されないのだろう。
2人が幸せならなんだっていいじゃない。
コンソメはああだこうだと理屈を捲し立ててポテチに斬りかかる。ポテチは貫かれ割れてしまった。ポッキーは傍らで泣いていた。心臓が痛くてつらい。かわいい絵柄のアニメなのにどうしてこんなに感情が持っていかれるんだろう。ちらりと隣を見たら神楽ちゃんはボロボロ涙を流していた。そうだよね、2人には幸せになって欲しいよね。
「いやー感動したアルな!最後のポッキーが自分のチョコを使って割れたポテチをくっつけるところでもう涙腺崩壊ヨ!」
「ねぇ〜、まさかあんなラストとはねぇ…」
「あの2人幸せになれるといいアルな」
「うん。わたしも色々考えるのやめた!」
「ん?名前、なんか悩んでたアルか?」
「神楽ちゃん、わたし決めたよ」
「お兄ちゃーん!」
「うおっ、なんだよ」
神楽ちゃんとバイバイして家の近くまで来ると、バイクを押してのろのろ歩くお兄ちゃんがいた。後ろからバシッと背中を叩くとお兄ちゃんは簡単によろけた。なんかフラフラしてる。ご飯食べてるのかな。
「どこ行ってきたの」
「神楽ちゃんと映画」
「乗るか?」
「乗らない」
「あっそ」
あの日唇に触れてからよそよそしい。
目を合わせてくれない。学校まで送ってくれない。お弁当も食べない。夜はいない。おまじないもない。次は何がなくなるのだろうか。……そうはさせるか。
マンションに着いてバイクを駐輪場に停めるお兄ちゃんをエレベーターの中で待った。2人で住む部屋は4階だ。しばらくして乗り込んできたお兄ちゃんのパーカーを力の限り引っ張って身体を引き寄せて、唇をくっつけた。
「んっ!?」
勢い良すぎてごち、と音がしたような気がした。キスと呼ぶにはあまりに子どもっぽくて、ごっこ遊びのようで滑稽だった。沖田総悟くんがテレビでやってたみたいにはいかなかった。バランスを崩して2人ガタンと床に雪崩れ込む。
咄嗟にお兄ちゃんが下になって受け止めてくれた。身体を起こすと馬乗りになるような格好だったけど気にしない。お兄ちゃんは心の底から驚いた顔でわたしを見た。やっと、目を合わせてくれた。二週間ぶりだね。
「お兄ちゃんが目を逸らすなら、わたしは正面から受け止めるよ。お兄ちゃんの分も悩んで、考える。だから遠ざけないで。一緒に苦しむから。だから……言って」
「………名前」
「言って」
その声は掠れてた。よく見れば顔色も良くないしへらへらした笑顔の面影もなかった。それでも、ゆっくりとその口が動いた。
「好きだ」
こんなに弱々しい声を聞いたのは初めてだった。
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