冬蝶夏草ノベル | ナノ


□2.気にしなくていいよ



 「大した事ではないです。」


 「…でもぉ。」



 白い襯衣[シャツ]に滲んだ染みを見て、少女は涙を浮かべ、しきりにしゃくり上げる。
褐色の芳しい染み。
そして、床の無残にも粉々になってしまった白磁の陶器[カップ]。

 医師見習いの頃から、事務の最中に珈琲をよく口にしていた。
好きと云う程ではないが、作業中の気休めである。
そんな私を見て、彼女なりに気を利かせたのだろうか。
驚いたことに彼女が淹れてきてくれたのだ。

そして、手渡す瞬間にこの様。



 「大して熱くもなかったし。もう、泣かないで下さい。」



 「ホント…?」



 「気にしなくていいです。」



 少女を宥めるが、すぐに会議を控えていたので、時間的にもうこの襯衣を着替える間もない。
この格好で出席するのかと思うと、正直泣きたいのは私のほうだ。
恐らく、その事の成り行きも問われるだろう。





 案の定。

 会議中にて学者共に、その染みについて尋ねられ、事の一部始終を話さなければならなくなった。
己で零したと、嘘を吐く事も出来たが、敢えて正直に話した。

 彼らは、少女に熱いものを持たせるのは危険だと、口を揃えて云う。
周知である少女の気質[パアソナリティ]への懸念なのか。
身体的配慮なのか。
はたまた、少女への恐怖心からなのか。

私は只々、生返事を繰返した。




 癪に障る。






 某日、彼女にまた珈琲を淹れて貰うことにした。
個人が為すことに制限が多い施設の内側で、せめてこのくらいは自由にさせて遣りたい。

これからは、これが彼女の仕事である。




 少女の淹れる珈琲は、若干薄くてやけに甘い。

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