5:すたーとらいん
ナミさんやルフィさんは、方角を見るからと嵐の中で海を見つめている。
貸してもらったネイビーのワンピースに袖を通したわたしは、皆が集まるラウンジを訪れた。
「ナマエちゃん。おなかすいてない?何か食べるかい?」
「あ……今は大丈夫です。ありがとうございます」
席に着くとオレンジジュースを差し出してくれたサンジさんに声をかけられたが、それをやんわりと断った。
彼の気遣いはとてもありがたいけれど、わたしに食べ物を出さなくていいことを早くきちんと伝えなければならない。しかし、言えばきっと理由を問われるだろう。そうなると先程いただいたポタージュを吐き出してしまったこともバレてしまう。それこそ申し訳ないので、わたしはなかなか言い出せずにいるのだ。
ローグタウンを通過していよいよ
ふとサンジさんの方を見ると、前髪に隠れていない右目とぱちと目が合った。
「……まだいまいち顔色がよくないみてェだけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
思わずはっと目を逸らしてしまった。
すると不意に扉が開き、びしょ濡れのルフィさんに続いてレインコートに身を包んだナミさんが中へ入ってきた。
ルフィさんはわたしの向かいの席に着き、ナミさんは「みんな聞いて」と机上に海図を広げてみせた。
「"
「山!?」
思いもよらない発言に、皆声を揃えて驚く。ナミさんと一緒に海を見ていたはずのルフィさんもわたしたちと同じようにしているのは何故なのだろうか。
「これ見て」とナミさんが目の前の海図の一部を指差し、皆が覗き込むようにして集まった。
「"導きの灯"が差してたのは間違いなくここ、"
「何だ、山へぶつかれってのか?」
「違うわよ。ここに
「運河!?バカいえ、運河があろうと船が山を登れるわきゃねェだろ!」
ウソップさんの言葉にナミさんは少し苛立ったようにムッと眉間に皺を寄せる。
「だってそう描いてあるんだもん」
「そうだぞお前ら。ナミさんの言うことに間違いがあるかァ!」
「そりゃバギーから奪った海図だろ!?当てになるかよ」
「山登んのか船で!おもろーっ!"不思議山"か」
口々に話す皆に圧倒されながら、ちらと海図を見やった。
可能かどうかはともかくとして、もしこの海図通りに船で山を登ったとしても、山を越えた正面の運河は
「だいたい何でわざわざ"入口"へ向かう必要があるんだ。南へ下ればどっからでも入れるんじゃねェのか?」
「それは違うぞお前っ!!」
「そう、ちゃんとわけがあんのよ」
「入口から入った方が気持ちいいだろうが!!」
「違うっ!」
「あの、ナミさん」
「おい!」
疑問を口にしようと声をかけたところで、窓の外を見るウソップさんが皆を呼びかけた。
「嵐が突然止んだぞ」
「本当だ静かだ」
「…………え……そんなまさか……。嵐に乗って"入口"まで行けるハズなのに……」
皆賑々しく、ナミさんは恐る恐る甲板へと足を運び、わたしもその後に続いた。
空を仰ぐと先程までの嵐が嘘のように晴れやかで、風ひとつ吹いていない。遠くで唸る雷雲をぼんやりと見つめていると、ナミさんが「しまった」と僅かに声を震わせて呟いた。
「"
「カームベルト?」
「あんた達、早く帆をたたんで船を漕いで!嵐の軌道に戻すの!」
「何あわててんだよお前、漕ぐってこれ帆船だぞ?」
「何でまたわざわざ嵐の中へ」
「いいから言うこと聞け!!」
尋常でないナミさんの慌てように帆をたたみオールを準備し始めたが、緑髪のひと(ゾロさんというらしい、先程ナミさんから聞いたのだ)だけは気を落ち着かせたまま空を見つめるばかりだった。
「せっかくこんなに晴れてんのに」
「じゃあ説明してあげるわよ!今この船はあんたがさっき言った通り南へ流れちゃったの!」
「へェ、じゃあ"
「それができたら誰でもやってるわよ!」
ゾロさんは目つきが悪いし寡黙なので少し怖い人だと感じていたけれど、この会話を聞いている限りではもしやそうでもないのだろうかと思う。なんというか、天然だ。
「"
「"
「要するにこの海は……!」
ナミさんが何かを言いかけたところで、突如船が大きく揺れた。体勢を崩したわたしは転びかけたけれど、すぐそばにいたサンジさんが咄嗟に片腕で受け止めてくれたので立て直すことができた。
「あ……ありがとうございます」
「あっぶねェ……なんだ突然」
「何だ何だ、地震か!?」
「バカ、ここは海だぞ!?」
しかし荒波とはまた違った、本当に地震みたいな揺れ方だ。次第にそれは落ち着いていき、やがて治まった。一体なんだったのだろうか。不意に船の外を見ればそこにはあるはずの水平線が見当たらなくて、その代わりに──。
「…………!!」
「でか……!」
──見渡す限りの、巨大な海王類たちで溢れていた。
「海王類の…………巣なの……大型のね……」
マストにしがみつくナミさんはしくしくと涙を流す。この船は今、どうやら特に大きな海王類の頭上に乗っかっているらしい。
ザブンと音を立てて海へ潜っていく海王類たちを黙って見送る。思わず腰を抜かしたわたしは、結局その場に座り込んでしまった。
海王類がまだこの船の存在に気がついていないらしいことは不幸中の幸いだ。おそらく他の海王類と同じようにそのうち海へ潜るだろう。その時を見計らって逃げようと、ルフィさんやサンジさん、ゾロさんがオールを手に取った。
しかしそうしたのも束の間、海王類が大きなくしゃみをした勢いで船ごと飛ばされてしまったのだ。
「ああああああああ!!!」
吹き飛ばされそうな風圧に耐えながら、なんとか近くのロープを握り締めることができた。これであとは船さえ無事に着水できればいい。そうは思いながらも、自分でも驚くほどに指に力が入らなかった。
「あっ……!」
手の中からロープが離れ、わたしの身体は重力に従ってみるみる下へ落ちていく。
ああ、終わったな、なんて意外にも冷静に考えた瞬間、硬い何かに勢いよく打ち付けられた。
「あっ、う」
強くぶつけた背中がひどく痛む。恐る恐る眼を開けると、そこには小さく仕舞われたドクロマークの載った帆があった。
せっかく着替えたワンピースを雨が次々濡らしていく。どうやらわたしはなんとか海に落ちずに済んだらしい。
「……よかった……ただの
「これでわかった?入口から入る理由」
「ああ……わかった……」
くしゃみで飛ばされたこの船は運良く嵐に軌道を戻せたようだ。
起き上がり、背中をそっと摩る。弓矢を部屋に置いてきていてよかった。もし背負ったままだったら、せっかく新しく買ったのに先程の衝撃できっと折れていただろう。
皆疲れて寝そべっているけれどきちんと全員揃っているし、誰も振り落とされたりしなくてよかった。尤も、そんなわたし自身が振り落とされかけたわけだけれど。
すると不意に、はっと顔を上げたナミさんが「わかった」と小さく呟いた。
「? 何が」
「やっぱり山を登るんだわ」
「あ……そうだ、ナミさん。さっき聞きそびれたんですけど、仮に運河を登れたとしても出るのは向かいの
「ううん、私も今気づいたの。
なるほど、と頷く。たしかにここが"
「そうだとしたら、四つの海流は運河をかけ登って頂上でぶつかり、"
つまり、わたしが思っていたようにわざわざ船を転回させなくても、海流が勝手に"
「リヴァース・マウンテンは"冬島"だから、ぶつかった海流は表層から深層へもぐる。誤って運河に入りそこなえば船は大破。……海の藻屑ってわけ……わかる?」
「ははーん、要するに"
「まあわかんないでしょうけど……」
呆れて深く息を吐くナミさんに「すげーぜ」とサンジさんが称賛の言葉を送った。
なんとなく大まかなことは理解できたように思うけれど、細かなことは難しくてよくわからない。
ふと船の外を見やると、濃い霧の向こうに大きな黒い影が見えた。
「不思議山が見えたぞ!」
「あれが……"
するといよいよ山を登る海流が勢いを増して、船もぐんぐんとスピードを上げていく。
「吸い込まれるぞ!舵しっかり取れ!」
運河の入口には門のようなものが連なって取り付けられていて、なんだか"
「ずれてるぞ!もうちょっと右!右!」
「右!?おもかじだァ!」
ルフィさんの焦るような声にサンジさんとウソップさんが舵を取ろうと力むけれど、波の強さにうまくいかないらしい、力一杯押し込んだところ、なんと舵がボキと嫌な音を立てて折れてしまったのだ。
「舵が……!」
「ぶつかる!!」
まさに門へ突っ込もうとしたその時、何やら叫んだルフィさんが船から飛び出した。一体何を、そう思う間もなく、ルフィさんの身体はまるで風船みたいに丸く膨らみ、門と船の隙間に挟まってクッションのような役割を果たした。
一連の騒動ですっかり忘れかけていたが、そういえば彼はゴムゴムの実を食べた能力者なのだ。腕を伸ばしたりするだけでなく、そんな使い方もできるのか、とひっそりと感心した。
見事に正常な軌道に乗ることができた船はそのままどんどん山を登っていき、頂上で別の運河へ乗り移った。今度は山を下る海流だ。
「あとは下るだけ!」
厚い雲に覆われた行く末も、次第に晴れて先が見えるようになる。
お気に入りなのだという船首の羊によじ登ったルフィさんが遠く先を見据えて、おお、と感嘆の声を漏らした。
「見えたぞ、"
ゴクリと唾を飲み込んだ。ようやくわたしは
うんざりするほど広い海の中でたった一人を見つけ出すのはきっととても難しいことだけれど、わたしは絶対にやり遂げてみせる。
両親を殺した食人鬼を、絶対にこの手で殺してみせる。