12:もちはもちや

「あら? ナマエさん、飲まないの?」

 そんなふうに首を傾げるウェンズデーさん、もといビビさんが指を差すのはわたしの掌に包まれたピンク色のドリンク。サンジさんが船員全員に用意してくれたこのスペシャルドリンクだけれど、中にフルーツがゴロゴロ入っていて、口をつけるのに少し躊躇してしまっていたのだ。せっかくよく冷えた状態で手渡してくれたのに、わたしの手の中にいるうちにグラスは汗をかいてすっかり人肌の温かさである。

 ビビさんは一国の王女様だと聞いたけれど、先ほどのミス・オールサンデーが現れた時といい巨大イルカが船を襲った時といい、物怖じすることなくすぐに対応していてわたしはその強さに感心するばかりだ。否、それだけ強いからこそ王女という立場が務まるのかもしれない。
 そんな彼女とは裏腹に弱い一方であるわたしは、彼女の問いかけにさえはっきりと答えられないままでいた。
 すると不意に顔を上げた際にナミさんと視線がかち合ったことにより、彼女が神妙な面持ちでわたしを見つめていたことに気がついた。

「……ねえ、前から少し気になってたのよ」
「へっ? は、はい……?」
「ナマエってなかなか食べ物に口をつけようとしないし、前もサンジくんがポタージュをくれた後に戻してたわよね。体調でも悪いの?」

 ひゅ、と息が詰まるかと思った。バレてたんだ、あの時のこと。
 隣のビビさんは心配そうにわたしに目を向け、甲板の男性陣はいつもと違う空気感にどうしたのかと集まり始めた。皆の視線に囲まれ、とうとうどこにも逃げられなくなってしまった。
 ──いや、逃げるつもりなんか毛頭ない。わたしにはこの船に乗せてもらう以上、きちんと事情を説明して食事提供は無用であることを伝える義務がある。
 だけどわたしは弱いから、自分の“異常”をひとに話すのが怖いのだ。

「──っ……」

 言葉が出ない。何て説明をすればいいんだろうか。わたしの話に皆は何て言うのだろうか。思考はぐるぐると廻るばかりで、着地点がどこにも見当たらなかった。

「──ナマエ!」

 呼び掛けられた声にはっと意識を取り戻したわたしがそちらへ顔を向ければやはりナミさんで、彼女はどこか困ったように眉尻を下げている。

「ちょっと、大丈夫? 別にアンタを責めてるとかじゃなくて……心配なのよ。どんどん窶れていくみたいだし……」
「すみません……。……わたしって、そんなに窶れてますか?」
「ええ……そう見えるわ」

 目を合わせ肯く皆に目を見張った。たしかに海へ出てから体重が落ちた自覚はあったけれど、ひとより痩せている程度だと思っていた。まさかそんなふうに指摘されるほどだなんて。
 ただでさえ船に乗せてもらっている立場なのに、これ以上の迷惑をかけたくない。心配だってさせたくない。言わなくちゃ。
 言葉を口にしようとするたび喉に詰まって嗚咽が漏れそうになるけれど、なんとか堪えて、わたしはゆっくりと一言一言を紡いだ。

「…………っ、…………りょ、両親が……殺されたんです」

 ようやく放てたわたしの声に皆がじっくりと頷く。以前にこれだけは伝えてあった。

「……見たんです、その現場を。若い男の人が、父と母の……腕を、腹を、……食べていました」
「…………?! 人の身体を……?!」

 ざわつく一味の皆に今度はわたしがこくりと頷いた。
 ああ、吐きそうだ。冷たい嫌な汗が流れているし涙だって止めどなく溢れているけれど、それよりも戻しそうになるのを抑えるのに必死だった。
 だけど伝えなくちゃ。話さなくちゃ。震える身体は無視して次の言葉を探したけれど、不意に誰かに背後から肩を支えられた。

「……充分だ。無理すんな、ナマエちゃん」

 ──サンジさんだ。どうやら彼のジャケットを掛けてくれたらしい、視界の端で肩口に黒い袖が揺れて見えた。

「それだけのことがありゃァ、トラウマにだってなるさ。これまでよく頑張ったな……」
「サ……っ、ジさん……ごめんなさい……ごめ、なさ…………」
「ナマエちゃんが謝るこたねェ。悪ィのは全部食人鬼の野郎だ」

 肩から伝わる彼の手の熱が心地よくて、気持ちを落ち着かせてくれる。おかげで吐き気は治まりつつあるけれど、なんだかどっと疲れてしまった。自力で立つのも難しいくらいで、わたしは支えてくれるサンジさんに身体を預けた。
 するとナミさんがナマエ、とわたしの名前を呼んだのでそちらへ顔を向ければ、眉間にきつく皺を寄せた彼女がそっとわたしの頭を撫ぜてくれた。

「ごめんなさいね、ツラいこと思い出させて……。ありがとう」

 わたしが具合が悪そうにしているものだから、ナミさんはこの話題を出したことに責任を感じているのかもしれない。だとしたらそれは全くナミさんのせいではないし、弱いわたしが悪いのだから非常に申し訳ないことだ。
 わたしは何か言いたかったけれど、うまく頭が回らなかったので精一杯ニコリと目を細め、そのまま目を閉じて意識を手放した。








「……ナマエ?」
「寝ちまったみたいだ。今の話で随分体力を消耗したらしい……部屋で休ませてやろう」

 そう言ってナマエを横向きに抱えたサンジくんは扉を開け中に入っていった。
 残った私達がシンと静まり返ると、ふとゾロが口を開いた。

「仇を追って偉大なる航路グランドラインにまで入るたァ、何か事情がありそうだとは思ってたが……まさか親が食われちまってるとはな」
「ひ、人を食っちまうような恐ろしいヤツがこの海にはいんのかァ?!」
「つーかよ、人ってうまいのか?」
「美味しいわけないじゃない! 異常よ、そんなの……。ナマエさんが何も食べられなくなるのも無理ないわ」

 口々に話し始めた皆をじっと見つめる。
 顔を青くして辛そうに話すナマエは、思い出すだけで胸が締め付けられるようだ。事情は全く違うけれど、圧倒的な悪意に苛まれる彼女はどうしても先日までの自分に重なった。どうにかして助けてあげたい、けれど。

「私達にできることはなるべくナマエにトラウマを思い起こさせないようにするくらい。いい? ナマエに食事の催促は絶対にタブー! 食のことは料理人サンジくんに任せましょ」

 餅は餅屋って言うじゃない?
 彼にナマエを押し付けるわけではないけれど、一先ずは私達はサポートに回るのが、きっと堅実だ。

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