澄み渡る夏空に入道雲が聳える。穏やかな風に首筋を撫ぜられるも、わたしの心中は穏やかとは程遠いものだった。
まず、辺りを見渡してみよう。
少し先に見えるのはマスコットキャラクターを模した大きなバルーンのオブジェに観覧車、その手前にはメリーゴーランドもある。ここはCMなんかでよく見かける人気のテーマパークだ。たしか、メッフィーランドとか言ったっけ。
幼い頃両親に連れてきてもらった以来だからとても懐かしいのだけれど、問題は「どうしてこんなところで目が覚めたのか」という点だ。
わたしは夢遊病の類を患ってはいないし、仮にそうであったとしても自宅からメッフィーランドはさすがに遠すぎるので不可能だろう。不思議だ。
さて、次に目の前を見てみよう。
しゃがみこむわたしの近傍に立つのは、綺麗な黒髪のモヒカン部分だけを金色に染め上げたガタイのいい青年、もといどう見てもヤンキーである。
そのお世辞にもいいとは言えない目つきでチラチラとわたしの様子を伺いつつ、携帯電話で誰かに連絡をしている。まるで通報みたいで居心地が悪い。何か通報されるようなことをしただろうか。全く身に覚えがないのだけど。
そして最後に見るのは、そんなわたし自身だ。
相変わらずあちこちに跳ねている髪は癖毛だからもうどうしようもないのだけれど、服だって部屋着にしているラフなパーカーのままで、こんな恰好で屋外にいるのが自分のことながら不思議でならない。人の少ない夜中とかならともかく、今は真昼間だ。
目が覚めてからというものの、おかしな事ばかりだ。
しかし、それらはもはや大した問題とは言えないかもしれない。
現状、最大の問題は、
わたしの足元が薄く透けてるってことだ。
あまりの理解のできなさに首を傾げきれない。そろそろ伸びた首筋が痛い。
人間、驚きすぎると逆に驚けないなんて聞いたことはあるけれど、本当にそうなんだなあなんて思わず感心した。
足元だけかと思いきや、よく見ると手元も透けているようだ。透けているのに実体があるってのが逆にまたブキミである。
一体何がどうなっているのだろうか。なんでこんなところにいるのか、彼は誰なのか、わたしの手足はどうなってしまったのか。こんな透けた足で立てるんだろうか。ふと足元にぐんと力を込めて腰を上げれば、難なく立ち上がることができた。なんだ、できるじゃないか。
とはいえ足裏に地面を感じないというか、立ってるのに立ってないみたいな不思議な感覚がある。ていうかむしろこれ浮いてるんじゃないだろうか。そのまま水中を進むように空を掻き、徐ろに宙を目指してみれば、なんてことだろうか、わたしは空を飛んだのだ。
「え……?!すごい!!」
わたしは思わず声に出して喜んだ。
空を飛ぶだなんて誰しもが一度は夢見ること、わたしだってもちろん例外じゃない。
浮かれた気持ちのまま高い位置でクルリと一回転してみたところで、不意にヤンキーくんがいつのまにか電話を終えているのが見えた。彼はその場に立ち尽くしたまま、訝しげにこちらの様子を伺っている。
彼がいることをすっかり忘れて一人ではしゃいでいたのを見られたのが恥ずかしくて、わたしはそれを誤魔化すようにふよふよと彼の側まで近寄り、ふと声をかけてみた。
「ねえ、さっきからわたしのこと見て……どうしたの?」
「な……っ」
わたしの行動が予想外だとでも言うように、彼はわかりやすくたじろいだ。そして何やら少し考え込むように眉間の皺を増やした後、再びその口を開いた。
「……別に、なんもあらへんわ」
「わ、関西弁!」
はっと声を上げたわたしに彼の眉間はさらに深くなった。そんな怖い顔しなくても……東京に住んでいるものだから、自分とは異なるイントネーションについつい反応してしまったのだ。許してほしい。
「ていうか、何もないことないでしょ。ずーっとこっち見てたじゃん。なんか電話もしてたし」
「それは……そういう任務なんや。
「任務?…………ゴースト?」
きょとんと首を傾げた。なんだか今日は首を傾げてばかりだ。
任務ってなんのことだろう。そういえば彼が着ているのはあの名門の正十字学園の制服だし、きっとそこの生徒なのだろうけれど。授業の一環……?しかしそれで任務とは言わないだろう。
それよりも引っかかるのは「ゴースト」だ。ゴーストというとやはりおばけのゴーストのことだろうか。おばけを見つける任務?ますますわからない。
そういえばさっき電話していたし、ゴーストは見つかったということか。あれ、でもこの場にいるのは彼とわたしの2人だけだ。そんなわたしの手足は透けているし空も飛べるわけだけど……。
途端、変な汗が首筋を伝った。
「もしかして、ゴーストって………………わたしのこと?」
「……おお」
わたしの震えた声に、彼は怪訝な表情を浮かべながら浅く頷いた。
なんてことだ。わたしは知らない間にゴーストに……おばけに。つまり、
「わたし、死んじゃったの?」
零れた声は予想よりはるかに間の抜けたものだった。
「……気ィついとらんかったんか?」
「だ、だって……」
自分が頓馬であることは重々承知しているけれど、自身の生死にすら気がつかないって相当じゃないか。どうにか弁明したいところだ。
えーっと、確か昨日はいつも通り高校に行っていたはずだけど。放課後は特に用事もなかったのですぐに家に帰り、課題をしてから漫画を読んで……そうだ、陽もすっかり沈みきって暗くなった頃、なんだか無性にアイスが食べたいと思ってコンビニに向かったんだ。
そこまで遅い時間というわけではなかったけれど、東京郊外の町は眠ったようにすっかり静まっていて。夏が近づいていても夜はまだ肌寒くて、風が木々を揺らしていた。遠くにエンジンの唸りは聞こえていたのに、いつも歩いている道だからわたしは大して気に留めていなかったんだ。
角を曲がった刹那、視界いっぱいにライトの白が広がって────
「あっ」
そこまで思い出したところで、本能的に逃げようとしたのだろうか。記憶に蓋をするように意識が引き戻されてしまった。
しかしここまで思い出せたらもう十分だ。
……わたしは、あの時。
「おい……顔色悪いで。大丈夫か?」
「えっ……あは。うん、平気。ありがとう」
冷や汗が首を伝うのを感じた。思い出したショックなのか少しだけ貧血のように頭がクラクラするけれど、不思議と落ち着いている。
平気と伝えたものの彼は心配してくれているらしい。目つきが悪くてヤンキーだと思ったのに、もしかすると心優しいのかもしれない。わたしの顔を控えめに覗き込む様子がなんだかおかしくて、くすりと笑った。