「勝呂クン!」
不意にどこからか聞こえた声に揃ってそちらを振り返ると、下顔部に青髭をこさえた黒いトレンチコートの男性がこちらへ向かってくるところだった。
「椿先生」
「いやすまない、待たせたネ」
先生……正十字学園のだろうか。失礼ながら、名門校の教師という肩書が意外すぎるくらい印象的な見た目だ。
椿さんは遅れたことに一言謝罪を述べ、ふとわたしに目線をやった。
「フム……この子かネ」
「はい。仰ってはった
2人で何やら話しながら、両の視線がちらちらとこちらへ突き刺さる。そんなにも疑るように見つめるのはやめてほしい。
遠巻きに聞こえてくる話からすると、どうやらわたしは任務で探しているゴーストではなかったようだ。ていうかゴーストってそんなにいっぱいいるものなのか。
そもそも霊体なんて非科学的なものがこの世に実在するだなんて、いざ自分がなってみるまで知りもしなかったわけだし、というか今でもまだ若干信じ切れていない部分があるし、いやはや世界はまだまだ知らないことだらけである。
「それじゃあこの子は後で…………おっと、失礼」
2人の話に決着がついたらしく椿さんが何か言いかけたところ、彼のポケットが震え、そこから携帯電話を取り出した。着信だ。
「もしもし……なんだネ?ん、何……なるほど。わかったヨ」
そう短く終え、携帯電話は再びポケットに戻された。
そしてその顔の作りに似合わない神妙な面持ちをわたしの側に立つ彼に向け、言葉を続けた。
「緊急でフェレス卿に用事ができたのでネ、やはり彼女もこのまま一緒に連れて行くとしまショウ。塾生にもすぐに集合をかけるからキミは先にエントランスへ向かいタマエ」
「フェレス……卿?」
フェレス卿って誰なのかとか、わたしの意見は聞かないのかとか。まあ今の自分の状況は訳がわからないし、聞かれたら聞かれたで困るのだけれど。
そんな風に悶々と考えているうちに、指示を受けた彼は「わかりました」と短く返事をした後ちらとわたしを一瞥して、エントランスへと向かっていってしまった。
「あ……っ!」
体調を気にかけてくれたことなどいろいろお礼を言いたかったことはあったというのに、呼び止めようにも、そういえば彼の名前も聞いていなかったことに気がついた。椿さんに呼ばれていた気がしたけど……ウーン、聞き逃してしまった。不覚だ。
「……ではキミ、ご同行願えるかネ」
「あ、はい」
まあクヨクヨ悩んでもどうしようもないので、今はこの人についていこう。もしかしたらまた会えるかもしれないし。ん?会えるのかな。つい忘れがちだし未だに実感もないけれど、わたしは死んでしまっているわけだし。会えないかも。
「また会えたらいいな……」
わたしの呟きは空に溶かしたまま、スタスタと歩いていく椿さんの背中をゆっくりと追っていった。
──それにしても、だ。
前を歩く椿さんの視線がこちらに向いていないことを確認して、バク宙をするイメージでクルリと一回転、二回転。やばい、楽しい。
何度考えても空を飛べるなんてあまりにも夢のようで、先程までのまじめな話をしていた間も、頭の隅ではずっとずっと飛ぶことばかりを考えてしまっていた。
普段なら頭がある高さに足を置いて、両手を広げて再びクルリと右に回ってみせた。
ヒールを履くなどして少し視線が高くなるだけでも世界は変わって見えるものなのに、ここまで視界が変わるとどうにも楽しくって仕方がない。
緩む口角を抑えられないまま、前に後ろに、右に左にと宙でくるくると回っていれば、不意に「オホン!」と椿さんの咳払いが聞こえ、わたしはハッと我に返った。
「……よろしいかネ」
「え……えへ、すみません……つい」
顔を赤くしながらヘラヘラと謝るわたしに椿さんは呆れがちにため息を吐きながら、手招きしてすぐ近くの従業員入り口までわたしを呼び寄せた。素直にその側まで行けば、椿さんはコートの内ポケットから沢山の鍵の付いた輪を取り出し、そのうちの一つを手に取った。
「えっもしかしてその鍵でこの扉開けるつもりですか?どう見ても鍵穴と形合わないですけど」
「いいからキミは黙っていなサイ」
投げるようにそう吐いた椿さんはそれを鍵穴に押し込んで右に捻り──ガチャリと音を立てて開けた。
「えっ?」
驚嘆の声をあげたのも束の間、ギィと押し開けたその扉の向こうは、なんと屋外だった。
目の前の大きな門の向こう側には西洋のお城のような立派な建物が見え、後ろを振り返ってみればどうやらここは随分と高台らしい、町中を一望できた。テレビや雑誌で見たことがある正十字学園町の景観。沢山の住宅や施設が連なりひとつの山のようになっているこの町を、まさかこうして上から見下ろすことができるとは。
というか、どうして従業員入り口を開けたはずなのに屋外に出たのか。どうして穴に形の合わない鍵を使ったのに難なく開いたのか。わからないことだらけで頭がパンクしてしまいそうだ。
「行きますヨ」
そんなわたしなんてお構いなしに椿さんは歩みを進めていくんだから、わたしはとにかくそれについていくしかない。
「ま、待ってください!」
重い門が、ゆっくりと開いていった。