天竺牡丹の囁き(1/3)


 午前8時より少しだけ早いこの時間の正十字学園駅は、ラッシュが落ち着き始めているとはいえ未だ利用客で混雑している。
 雑踏を潜り抜けて集合場所の改札前を目指せば、既にほとんどの塾生が揃っていた。まだ来ていないのは雪男くんと燐くんの2人だけのようだ。
 昨日のことできっと皆にも心配をかけてしまっただろう。わたしがなるべく明るい声色でおはようと挨拶すると、真っ先に返事をしてくれたのは一番手前にいたしえみちゃんだった。

「名前ちゃん、おはよう。もう大丈夫……?」
「うん、平気。迷惑かけてごめんね」
「迷惑だなんて……!無事でよかったぁ」
「しえみちゃんから聞いたよ。名前ちゃん、昨日は大変だったんだね」
「うん……うん?!朔子ちゃん、どうしてここに……?!」

 いつものように何気なく返答していたけれど、よくよく考えてみるとここにいるはずのない人がいるではないか。
 以前祓魔塾に通っていたとは聞いているけれど、もう辞めているはずだし。思わず目を瞬かせていれば、朔子ちゃんは悲しそうに眉尻を下げて微笑んだ。

「みんなが出雲ちゃんを救けに行ってくれるって聞いたから、お見送りだけでもしたくて」

 そう言って、少し視線を落とした。そうだ、朔子ちゃんと出雲ちゃんは幼馴染みなのだ。おそらくこんな状況は気が気でないのだろう。彼女の内心を思うと胸が締め付けられる。
  ──そしてそれは、廉造くんと幼馴染みの竜士くんや子猫丸くんも同じで。
 ふと改札機の横に立つ2人に目をやった。2人とも考え込むように眉間に皺を寄せて押し黙り、心ここにあらずといった感じだ。
 家族同然の友人があんな風に想定外の行動を取れば、誰だって動揺する。その最中でわたしが気を失って余計な心配をかけてしまったことが本当に申し訳ない。特に竜士くんは夜遅くまでわたしについていてくれたと言うし、どうにか元気付けてあげることはできないだろうか。

「……りゅ」
「皆さん、おはようございます」

 とにかくまずは声をかけようと思ったところで、燐くんと一緒に現れた雪男くんの声に遮られてしまった。

「早速ですが、人数分の切符を購入してきました。次の電車に乗りますので、すぐにホームに行きましょう」

 そう伝えながらテキパキとそれぞれに切符を手渡し、皆受け取り次第改札を通り抜けた。
 最後に燐くんが改札機に通した切符を手に取ったところで、ふと朔子ちゃんがその手前で不安げに口を開いた。

「私には何も出来ないけど、みんな……気をつけてね」
「ああ、まかせろ!」

 力強く返事をした燐くんが大きく手をあげ、皆ホームに向かって歩き始めた。朔子ちゃんがしえみちゃんに何か話しているのを横目で見ながら、わたしは先を歩く竜士くんの元へ駆け寄った。

「竜士くん!」

 声をかけると、竜士くんはやはり思い詰めたように眉根を寄せて覇気のない表情をしたままだったけれど、わたしに合わせて歩幅を緩めてくれた。

「えっと……昨日、心配かけちゃってごめんね」
「いや……なんともあらへんくてよかったわ」

 そう言って少しの傷みを残しつつも柔和に微笑んだ竜士くんの瞳が優しくて、ぎゅうと胸が苦しくなった。
 こんなにも優しい竜士くんだから、きっと廉造くんの変化にどうして気が付けなかったのかだとか、幼馴染みなのにだとか、すごく思い悩んでいるはずだ。竜士くんは少しも悪くないのに。
 わたしがゴーストだった頃、両親が恋しくて泣いた日のことを思い出す。竜士くんに慰めてもらって、わたしは彼を居場所にしてもいいのだと、なんとか気持ちを落ち着けることができたのだ。
 あの日みたいに、僅かでも竜士くんの胸の痛みをわたしが取り除いてあげることができたなら。

「……あの、竜士くん」
「すまん、名前」
「へ?」
「ちょっとだけ1人にしてもろてええか」

 目も合わせずに早足で先へ行く竜士くんを見つめ、わたしは足を止めた。

「あ……うん、わかった」

 小さく呟いた言葉が竜士くんに届いたかはわからないけれど、別に届かなくてもいいのかとすぐに思い直した。
 じわじわと顔に熱がのぼっていくのを感じる。竜士くんにしてもらったみたいにわたしも彼の支えになれればなんて、自分1人で息巻いて恥ずかしい。身体中が熱く火照るのに、指先だけがいやに冷えて心地悪かった。
 当たり前だ。竜士くんは今、廉造くんのことで一杯一杯なのだ。そっとしておいてほしい時だってあるに決まってる。
 だから仕方のないことだときちんと頭では理解しているのに痛む胸が自身の身勝手さを象徴しているようで、ひどく不快だった。



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