天竺牡丹の囁き(2/3)


 わたし達が電車で訪れたのは羽田空港だった。これから島根県へ向かうらしい。出雲ちゃんが捕らえられている場所がその稲生大社付近だそうなのだ。

 飛行機に乗り込むと、雪男くんが取ってくれた1列の座席に皆疎らに座っていた。燐くんの通路を挟んだ隣の席が空いていたのでそこへ掛ける。ようやく腰を落ち着けたことでふうと息を吐くと、ふと燐くんがきょとんとした表情でこちらを見つめるのに気がついた。

「わ……どうしたの、燐くん」
「んん?いや……名前、座るのこっちでいいのか?」

 怪訝そうに視線を向けた先を追えば、わたしがいるのとは反対側の窓際の席に竜士くんが座っている。まだその隣が空席なので、わたしがそこに座らないのかということなのだろう。燐くんは抜けているように見えるのによく気がつくなあ、なんて考えた。

「うん、竜士くんの隣には子猫丸くんが座ると思うし」
「おー、それもそっか」

 咄嗟に思いついた言い訳だったけれど燐くんは納得してくれたようだ。再び竜士くんの方へ目をやると、予想通り隣に子猫丸くんが座ろうとするところだった。
 最後に残った空席であるわたしの隣の窓側の席にねむくんが着いたところで、不意に燐くんが「ああ……」と何やら呻きながら頭を抱え始めた。

「え、ど、どうしたの?」
「俺……飛ぶのコエーんだ、空って飛んだことねーし」
「ええ……。そんな構えなくても大丈夫だよ、ちゃんと整備されてるんだから」
「んなこと言ったってわかんねーだろ!!」

 声を張り上げた燐くんは涙目で隣の雪男くんの腕をがっしりと掴んだ。その様子がなんだか無邪気な子供みたいでおかしくて、肩の力が抜ける。
 突然絡まれた雪男くんは空いた右手で眼鏡を押し上げながら「兄さん離して」なんて冷静に言い漏らした。それでも燐くんは腕を離そうとしない。
 雪男くんは腕を掴まれたままで小さくため息を吐いたかと思いきや、燐くん越しにわたしと視線を合わせて口を開いた。

「苗字さん、体調はあれからなんともないですか?」
「うん。なんだかんだ夜もちゃんと眠れたし、もう全くなんともないよ」

 わたしの返事を聞いて、雪男くんは「それはよかった」と眼鏡の奥でゆるりと目を細めて微笑んだ。
 すると機内にまもなくの離陸を知らせるアナウンスが鳴り響く。いよいよだ。
 出立に向け座席ベルトを締める隣で、燐くんはより一層雪男くんの腕を掴む力を強くした。

「コッ……コエーッ!」

 そんな風に顔を青くしながら喚くのをよそに機体を傾けた飛行機は、無事に地面を離れたらしい。空を飛ぶのはゴーストの時ぶりなので結構ワクワクしていたのだけれど、燐くんはやはりまだ怖いらしい。雪男くんごと掴んだ腕をガクガクと揺らし悲鳴みたいな声をあげた。

「飛んだ!おい、飛んだぞ雪男!!」
「兄さん静かに」
「あっ私!お弁当つくってきたんだけどみんな食べる?」
「しえみさん水平飛行に入ってからです」

 中央の席でマイペースな2人に挟まれながらも冷静に対応する雪男くんは、まさに『奥村先生』って感じだ。同い年なのにこんなにも落ち着いていてすごいなあ、なんて改めて尊敬した。
 すると不意にポン、と無機質な音が鳴らされた。ベルト取り外しの許可、つまり水平飛行に入った合図だ。
 それを皮切りに、しえみちゃんが作ったお弁当の包みがわたし用とねむくん用の2つ回ってきた。片方をねむくんに手渡すと、ねむくんは特になにも言わずに黙って受け取った。ふと、昨日の廉造くんとのやり取りやその後の雪男くんの話を思い出す。
 ねむくんが上一級祓魔師エクソシスト……。だとすれば、昨日廉造くんと戦っていたのはイルミナティから出雲ちゃんを助けるためだったのだろうか。でも出雲ちゃんは廉造くん側にいたわけだし。それにそもそも、塾生の中にこっそり祓魔師エクソシストを忍ばせるのはどうしてなのだろう。
 メフィストさんは胡散臭い。だけどわたしに悪魔祓いエクソシズムの世界を教えてくれたのは他でもない彼なのだ。悪い人だなんて考えたこともなかった。
 だけど、この2日間ですっかりわからなくなってしまった。メフィストさんは何を考えているのだろう。

「それでは」

 ぼーっと考え込んでしまっていたのが、雪男くんの声で一気に現実に引き戻された。
 わからないことだらけだけど、メフィストさんのことは今考えても仕方がないし、とりあえず今回の件が片付いてからまたゆっくりとしよう。わたしは身体を右向きに傾け、雪男くんの話を聞く体勢に入った。

「島根到着まで1時間半。現状について話をしましょう。昨夜、正十字騎士團本部・全支部・出張所はイルミナティによる熾天使セラフィムの自爆攻撃を受けました」
「……昨夜から明陀の人達と連絡つかんのんですけど、それは……」
「恐らく京都出張所も攻撃を受けて混乱しているはずです」

 座席の位置的に顔は見えないけれど、子猫丸くんの控えめに話す声が聞こえた。
 爆発が起こったことは聞いていたけれど、まさかそこまで範囲が広かったとは。出張所ということはほぼ全ての都道府県に被害が及んだということだ。

「全体の被害状況はまだ不明ですが、本部の三賢者グリゴリも重傷を負われたらしいと情報が入ってます」
「…………!」
「日本支部でいうと破られた結界の修復と群がる悪魔の駆除、一般マスコミへの対応に追われています」
「……ウェブニュースにはなってますね。『原因不明の爆発事故、テロの可能性……?!』」
「……まあ、あながち間違ってもいないですね」
「あの……」

 雪男くんと子猫丸くんの話に一区切りついたところで、恐る恐る手をあげつつ口を挟んだ。中途入塾のぶん、悪魔祓いエクソシズムの教科書を読んで予習や復習はしているつもりだけれど、正直わからないことだらけだ。

「話の腰を折ってごめんね。昨日から思ってたんだけど、"イルミナティ"って何なの?」
「それ、僕も聞こう思てました。名前だけは知ってましたけど……まさか本当に存在する組織やとは思ってませんでした」

 申し訳なく思いながらそう問えば、子猫丸くんも同調してくれた。どうやらイルミナティを知らないのは皆も同じなようで、少し安心だ。
 わたし達の問いを受けて雪男くんはイルミナティのことを簡潔に説明してくれた。二百年以上前に設立された有名な秘密結社の一つだが、現代では間違いなく消滅が確認されていたこと。しかしここ十数年の悪魔がらみの事件で"イルミナティ"の名前を聞くようになったこと。騎士團もその実態を調査中であったこと……。

「それがまさかこんな巨大なテロ集団だったとは……。……僕が知っているのもこの程度の情報です」
「テロ集団……」

 飛行機内はざわざわとさんざめいているはずなのに、子猫丸くんの不安げにひどく震えた声がいやに耳につく。

「志摩さんは……そんなとこにいってしもたんか」

 胸がズキンと鈍く痛んだ。思い出すのは気絶する寸前に見た廉造くんの瞳だ。
 あの時、もしもわたしがきちんと動けていたなら、もっと違う今があったのだろうか。出雲ちゃんが連れていかれずに、廉造くんのことも引き留められたような今が。

「僕は何一つ志摩さんのこと判っとらんかった。みんなのこと人一倍見てる気ぃでいた自分が恥ずかしい…………て、笑顔で去ってく志摩さんを見た時は、そう思ってたけど」

 ふと聞こえた言葉に、ぱっと顔を上げた。

「でも、僕は……子供の頃から見てきた志摩さんを信じる」

 わたしの場所からは子猫丸くんの顔は見えないけれど、はっきりとした声色はとても力強いものだった。

「僕自身の目を信じる。……そのくらいの自負心持っとらんと、参謀なんて目指されへん……!」
「そ……そうだよ。わ、わ、私は、三輪くんに言ってもらった事、的を射てたもの!だからきっと……!」
「杜山さん……ありがとう……」

  2人の会話に思わず息を呑んだ。子猫丸くんは、そんなふうに前を向けるんだ。偉いなと、胸の奥がジンと熱くなる。
 わたしも、廉造くんは竜士くん達2人の幼馴染みだし、きっと何か理由があるのだと信じているつもりだ。だけどあの時の……わたしや出雲ちゃんを刺した時の顔が忘れられない。いつもと変わらない飄々とした態度で錫杖を振るった、あの顔が。
 廉造くんはあの時、一体何を考えてわたしに手を下したのだろう。

「……じゃあそろそろ、しえみの弁当でもいただこうぜ!」

 不意の燐くんの声にふと我に返った。いけない、また考え込んでしまっていたらしい。
  1人でぐるぐると思い悩んでいたって仕方がないじゃないか。それを確かめるための今日なのだ。
 わたしはしえみちゃんのお弁当を食べようとし始めた皆に倣って手の中でその包みを広げた。野菜……いや、薬草だろうか。沢山の種類の緑が贅沢に挟まれたサンドイッチだ。そういえば前にしえみちゃんの家の前に行った時、外からしか見えなかったけれど素敵な雰囲気の庭園があったのを思い出した。おうちが薬草などを取り扱う祓魔師エクソシスト向けのお店だとも言っていたし、きっと良い効能とかがあるのだろう。

「あの、味はよくないと思うけど体にいいから食べて!」
「またまた……」
「いただきます!」

 皆で揃って、サンドイッチにぱくりと噛みつく。

「………………う」

 ……嗚咽を漏らさずにはいられなかった。
 口に含んだそれは、喉を通る前に薬草独特の臭みを鼻腔中に充満させる。なんと、表現したらいいか。迫り上がる胃液と格闘しながら、なんとか一口目を胃に流し込んだ。思わず涙すら溢れそうになる。
 行儀悪くも、通路に向かって勢いよく吐き出したのは燐くんだ。

「草の味じゃねえか!!!」

 わざわざ朝から皆のぶんを作ってきてくれた本人の前で、そこまでストレートに言ってしまうのもどうかと思うが──正直、人間が食べるものではなかった。



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