堕ちた先の世界 [ 12 ]

ルーシィは、何事もなかったように振舞っていた。


ナツに舐め上げられた時はさすがに我に返り、悲鳴に近い声を出してしまったのだが、
ルーシィのその反応にナツはいつものようにルーシィの瞳を見返しただけで、
驚きのあまりルーシィが手から落としそうになっているハムカツサンドを手にとって食べ始めた。
しばらく目の前で頬張りながらハムカツサンドを食べているナツを固まったまま見ていたルーシィ。
そのまま、何も言えなかった。


(でもあれってキス…よね。私、ナツとキ…キス)

(ナツは何を考えて…き、聞きたいけど喋ってくれないだろうし)

(ううん、きっと揚げた時についた匂いが残ってて…美味しそうだったとかそんな理由よ!)


思い出して赤面すること数回。
ルーシィは何度目かわからないくらい何度も思い出しては赤面しながら考え込むを繰り返した後、その結論を出した。
結論が出たからと言っても、また思い出して赤面するのを何度も繰り返してしまうのだが、ナツは今ルーシィの前を歩いている。顔を見られる心配はない。
人が通らない暗く荒れた道をルーシィが通りやすいようになのか石を蹴飛ばし高く伸びきった雑草を踏み均しながら前を歩くナツを見て、ルーシィは無性にうれしくなりナツの背中に跳びつきたくなった。
胸の奥からふつふつと湧き上がってきて渦巻いているこのむず痒くて温かい感情は何だろうと考える。


(わからないけれどこのままずっとナツと一緒にいたい。でも、ここにハッピーがいたら、もっと…)


ルーシィには何も言わずに突然いなくなってしまったハッピー。
始めはナツと喧嘩したのかとか、ナツを驚かす悪戯かとか、ナツを元気にするための何かの作戦かとか、色々考えてギルドの皆と共に戻ってくるのを待っていた。
でも、ハッピーは戻ってこなかった。
最後まで一緒にいたはずのナツだけは、ハッピーがなぜギルドを辞めてどこに行ったのか、理由を知っているのかもしれない。
しかし、ハッピーが出て行ってから特にナツは塞ぎ込んでしまい、誰が何を言っても聞いても駄目だった。
それでも仲間が傍にいて時間をかければ、いつも楽観的で明るかったナツのことだからきっと元気になってくれると信じていた。
だからナツが元気になるまで、ナツの代わりに皆でハッピーを探し続けた。

なのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
何が駄目だったのかわからない。
イグニールとの別れの時よりも、ハッピーがいなくなった時よりも、ギルドを出て行ったあの時のナツよりもずっと今のナツの方が抱えている心の痛みが大きいように見える。
感情を出してくれたほうがいい。嫌だと悲しいと泣き喚いてくれれば、それに応えることができるのに。
ナツはギルドの皆を家族のように想い、守り、闘ってきた。だからこそ、何か言ってくれれば皆はきっとナツを支えようとしてくれたはずだ。
怒りも悲しみも何の感情も見えない今のナツは、痛みに押し潰されて死んだように生きている空っぽの器のように見える。
これ以上、少しでも、小さなことでも、ナツに痛みを与えたくない。
ナツがこれ以上壊れないように、ナツに痛みを与える全てから守りたい。

聞きたいことも、言いたいこともたくさんあるけれど、そんなのは後回しだ。


「…待ってナツ!ここからすぐ先に街があるの。買出しに行って来るからここで待ってて?すぐ戻ってくるから!」


地図をトランクケースのポケットに押し込みながらルーシィは数メートル先にいるナツに向けて叫ぶ。
ナツはルーシィの声にすぐに振り返り足を止めてくれていた。
ルーシィは急いでナツに近づき顔を合わせて、街に行く度に毎回ナツに言う言葉を何度も繰り返した。


「すぐに戻ってくるから。絶対待っててね。絶対戻ってくるから、すぐだから!」


そう言いながらナツの様子を見るように後ろを何度も振り向きながら、ルーシィは進行方向から外れて街へと向かう。
いつもこの時は、ちゃんと待っていてくれているか心配で何度も振り向いてしまう。振り向けばナツと何度も目が合った。


(大丈夫、いつも待っていてくれてるし、早く済ませて戻ろう。)


ルーシィは足を速める。歩き続けてしばらくすると、街へと急ぐことだけを考えていたルーシィの耳にふと鳥の鳴き声が届いた。
足を止めて澄んだ青い空を見上げれば、遥か上空に青い鳥が飛行している。


「あ、青い鳥!…青い鳥って言うと確か幸せの青い鳥っていう話があったわよね。…えっと、どんな話だったっけ。」


確か兄妹が青い鳥を探しに行って、という所まで考えてルーシィは急がなければいけないことを思い出し、慌てて走り出した。
青い鳥の鳴き声が遠く離れていく。鳥はルーシィとは反対にルーシィが来た方向へと真っ直ぐ進んでいた。
色濃いきれいな青い羽がひらりと舞い落ちる。
しばらくルーシィが行ってしまった方向をぼんやりと眺めていたナツの元にもその羽が舞い降りた。
ナツは、地面に落ちた羽を手に取り顔を上げると、すぐそこに青い鳥がナツを真っ直ぐ見ていた。


「ナツ…やっと見つけた。」


青い鳥がそう言った気がしたと思った瞬間、鳥は青ではなく銀髪の少女へと変わった。



















「お、重い。買いすぎちゃったかしら…。」


ルーシィは、トランクケースを右手に持ち、トランクケースに入りきらなかった食材を紙袋に入れて左手で抱えこんでいた。
ふらふらと来た道を戻りながら、ルーシィは街で偶然見た求人広告のことを考えていた。
その中には魔法を使わなくてもナツと一緒にできそうな仕事もあった。
ルーシィが持っていたお金もだいぶ少なくなってきている。
もし、ナツと一緒に働けたら…そう考えながら食事の後にナツにどう切り出すか、ルーシィは思い悩みながら歩いていた。


「ナツ?」


ルーシィはナツと別れたはずの場所に戻ってきたのだが、ナツがいないことに気付く。
でもきっと近くにいるのだろうとルーシィは辺りを見渡した。
日が傾き始めている。ナツはいない。
急に焦燥感が湧き出し、ルーシィはあちこちを忙しなく移動しながらナツを探し始めた。
今までは待っていてくれたのに先に行ってしまったのかと不安と焦りが渦巻く。

しかし直ぐに、まだらに立つ木々の向こう側でピンク色の髪が見えた気がした。
ほっとしてルーシィはナツの元へと急ぐ。
木と木の隙間からナツが見える。


(あれ…リサーナ!?)


ナツの向かいにリサーナが立っていた。
ここからでは声は聞こえないが、ナツに熱心に何か喋っている。


(どうしてリサーナがここに!?どうしようナツを捕まえに来たんだとしたら止め……え…ナツが…喋ってる…?)


この距離では声は聞こえない。
けれど、リサーナの言葉に応えるように何かを話すようにナツの口が動いているのが見えた。
リサーナは突然ナツの両手を掴んで、懇願するかのように瞳を潤ませながらナツに何か話し始めた。
ナツは、リサーナの言葉に頷く。

リサーナと違って静かに、でも確かにナツはリサーナに向けて何かを話している。
一緒にいたルーシィには一言も発しなかったナツ。
ナツの声を聞かなくなってどのくらい経ったのか。ルーシィはその声がどんな声だったのか忘れかけていた。
純粋にナツの声が聞きたくて無意識にルーシィの足は前へと踏み出す。
でもそれ以上進まない。


――――だめ、私が行ったら、邪魔になる?


リサーナはナツの手を取り合ったまま離さない。その手をナツも握り返している。
二人が何を話しているのかは聞こえないが、リサーナはナツのために涙を流しているのが見える。
ナツがリサーナの言葉に頷くのが見える。


 ナツが、喋ってる
 リサーナに会えて、ちょっと元気になったのかな
 私といるより、リサーナといた方がナツは元気になれるのかもしれない
 私といるより、早く笑ってくれるようになるかもしれない
 私といるより、私より、きっと、リサーナの方が


ルーシィは踏み出した足を後ろへと引き摺る。
何故か胸がすごく痛い。息を吸い込んでみても、手足に力を入れてみても、その痛みは引かない。
吸い込んだ息を吐き出すと目に涙が滲むのを感じた。


 ナツのためには
 私よりきっと
 リサーナの方がいい


ルーシィは弾かれたようにナツとリサーナから離れるように走り出した。


 もう一回だけ。
 もう一回だけでいい。
 あの笑顔が見たい。
 もう一回だけでいいから。

 でもそれはきっと
 リサーナが叶えてくれる。

 ナツとずっと一緒にいると誓ったけれど
 ナツは私と一緒にいたいと思っているわけじゃない

 私よりきっと
 私よりきっと
 リサーナだったらきっと


ルーシィは止まらずに走り続ける。ナツから離れ、遠く、遠くへ。
ルーシィは、イグニールやハッピーのようにナツから離れない、何があっても絶対にナツから離れないと誓ったはずだった。


(痛い。胸が痛い。どうして私泣きそうなの?ナツが喋ってた、リサーナはきっとナツを守ってくれる、それなのにどうして…) 


"約束"はルーシィにとって特別だった。けれどその約束は守れなかった。
視界が暗く荒れた道から広い草原へと移り変わる。緩やかに降下しているその斜面にルーシィは足を滑らせた。
持っていた紙袋に入っていた食材が飛び落ちる。衝撃にぐしゃりとつぶれる食材を見てルーシィは、訳がわからないけれどもうこのまま泣いてしまおうと思い、顔を歪ませた。


 泣けたら、この痛みが楽になるかもしれない。


ナツが、もう一度笑ってくれるようになるまで、ルーシィは何があっても泣かないと決めていた。
けれど、もういいのかもしれない。もうがんばらなくてもいいのかもしれない。


「おい、君。フェアリーテイルのルーシィ・ハートフィリアだな?」
「………え。」


もう泣いてしまおうと思っていた。なのに突然、地面に身を預けたまま動かないルーシィに声がかけられる。
ルーシィが顔を上げるとどこかで見たことのある制服を着た顔ぶれが見えた。


「私達は評議院だ。君に話を聞きたい、ナツ・ドラグニルは…一緒じゃないのか?」



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