レイン



俺ではない男の名前。

隣で眠るコイツが寝言で呟いた声に、浅い眠りはすぐに揺り起こされた。

うっすらと瞼を開ける。
カーテンの外は薄明かりで、雨の音が響いていた。
ベッドから下りて窓際へヒタヒタと足を進める。
冷えたフローリングを一歩ずつ足を進める度に、海から砂浜へと上がる様に段々と感覚がはっきりしていく。
窓を開けると、明け方特有のひんやりと冷たい空気がそっと侵入した。
スウェットのズボンしか身につけていない俺の肌に纏わりつくそれは冷たくて、まだぼんやりとしていた俺を覚醒へと導く。

無数の雨粒が街の中に落ちていく様を眺める。


私、あの人と別れたのーーーー

土砂降りの雨の中、俺にそう告げたアイツ。
傘もささずに立ち尽くしていた想い人。

いつも思い出すのはその光景。

楽しい記憶も沢山あるはずなのに。
どうしてだろう?

眠っている愛しい女の顔を遠巻きにそっと眺める。

穏やかな顔。

以前は泣き顔ばかりだったから、その姿に安堵する。

ずっと好きだった女には他に男がいて。
しかし、その男はお前を泣かせてばかりいる最低な奴で。
よく落ち込んでいるお前を励ますのが、長年の友人である俺の役割だった。

俺の処に来い――

いつもそう思っていたし、実際にお前にも伝えた事はあった。
その度にお前は泣きそうな笑顔を作って
"彼を愛しているから"とそう言っていたんだ。

けれども、長年付き合っていたそんな奴とお前が別れて、チャンスだと思った。

俺と付き合って欲しいと
もう二度と他の男の許には行って欲しくないと
そう告げた。

そして、晴れてアイツと付き合うことになったんだ。
こんな風にコイツのマンションで同じベッドで眠るまでの関係になった。

けれど、時折、二人で食事をしている時や昔の話をしている時に
ふと遠い目をしていたり、口をつぐむ時がある。

恋人という肩書きは気休めでしかなくて。
彼女の行動や言動に、昔の男がちらつく度に思い知らされる。

でも、それは全部自分の蒔いた種なんだ。


―おあいて…私、まだあの人の事が忘れられないんだよ?――

―それでも構わない。急がなくていいんだ。
 いつか俺だけを見てくれたらそれでいい――

―貴方の事が大切だから、尚更そんな気持ちで付き合うなんて…――

あの時、お前は俺の告白を断ろうとしたけど、無理に繋ぎ止めようとしたんだ。
だから、その代償を俺は払わなければならない。

一層強くなる雨音を聞きながら、煙草を取り出して火を付ける。

少しずつでいいから、俺を見てほしいと告げたけれど
実際に恋人が前の男を忘れていないことがこんなに辛いとは思わなかった。

雨に全てを洗い流して欲しかった。
この醜い独占欲も、格好つけた自分の建て前も何もかも。

吐きだした紫煙はまるでため息で。
色々と考えばかりが募り、空を覆う雨雲の様に心を暗澹とさせる。

遠いんだ。

届きそうで掴めない。
距離は近づいたのに、ますます遠くなった気がして。
それに一層切なさを感じる。

煙草を灰皿に押し付けて火を消す。

結局、あの雨の日と何も変わっていなくて。
こんなに近くにいるのに、傘を差しだせない。
お前は雨に濡れて涙を隠しているのを知っているのに、俺はそれを拭う術を知らないんだ。

いつか、この雨は止む日は来るのか?

再びベッドへ戻った俺はなまえを抱きしめて、祈るように瞳を閉じた。


2014.9.11
天野屋 遥か



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