▼ 01-2
休み時間、次の授業のために化学室に向かい廊下を歩いていると、アイツの笑い声が聞こえた気がして足を止める。
杏奈の教室の方を見れば、廊下の向こうの方で同じクラスの黒田とかいう男と親し気に話している姿が目に入った。
アイツが楽しそうに笑顔を浮かべて話をしていると、男の方も涼しい顔をしながらも口元には柔らかい笑みを浮かべて答えている。
しかも、杏奈が奴の肩に自然と手を触れた。その瞬間、頭に血が上りそうになった。
「六条?どうかしたのか?」
一緒にいた友人が、いきなり話を止めて立ち止まった俺を不思議そうに見ている。
「ん?何でもないけど」
「何もないなら、そんな今にも獲物に飛びかからんばかりの獣の様な恐ろしい顔をするなよ」
平静を装って返事をしたつもりだが、余りに無様な表情をしていたらしく一笑されてしまった。
気に入らない。
とうに俺に見せる事のなくなったその笑顔を、大して付き合いの深くもないそんな男に安売りするなんて。
授業中も休み時間もその事ばかりを考えてしまう。
「あのさ、杏奈は黒田って奴が好きなのか?」
購買で買ったパンを食べ終えて一息ついたところで、本題を切り出す。
昼休み、こうして週に1回は2人でご飯を食べる事を決めている。人気のない屋上でこうして2人きりで食事をするのは、俺にとって至福の時間だった。
「…何言ってるの?ただのクラスメイトだよ。席が近いから最近話すだけ」
パックのコーヒー牛乳を飲みながら様子を伺えば、同じく食事を終えた彼女は弁当箱を片付けながら、何もないと俺にアピールをする。
はぐらかそうとしているだけだろ。
理由は簡単。中学の頃から彼女が好意を寄せる男に、嫌がらせを幾度となくしてきたからだ。
「だろうな。見たところ、つまらなさそうな男だ。真面目一辺倒な感じで面白みが感じられない」
廊下でのあの光景を見た後に、黒田について周囲の奴等に聞いてみた。
あの男は学年でも成績優秀でクラス委員を率先してやるタイプだが、真面目すぎてどうにも融通が利かず、どちらかと言うと皆からは敬遠されているとのこと。
確かに整った顔立ちはしているかもしれないけれど、俺の方が男女問わず人は集まってくるし人望もある。だから、そんな男を見る必要なんてないはずだ。
「黒田君はつまらなくなんてない!何も知らない癖にそんな事言わないで!」
ニヤニヤと笑みを浮かべて発破をかけてやれば、思った通りの反応をする素直な君。
そして、俺の挑発に乗ってしまい、今の発言で奴への恋愛感情を認めてしまった事に気づいて口元を抑える仕草をするその愚かさもいとおしい。
「…お前との付き合いは何年になると思ってる?嘘つくなよ。わかってるんだ」
そして今度は笑顔を消して無表情でじっと見据えれば、杏奈は口を噤んでしまった。
俺達二人の世界の空気が静まり返る。
遠くから、グランドでサッカーをしたりして遊んでいる生徒達の声が微かに聞こえてくるだけだった。
「…っておいてよ」
しばらくの沈黙の後にそれを打破しようと杏奈がぼそりと呟く。
「なんて言った?聞こえないぞ」
「…もう私の事は放っておいてよ!」
ぶつけられた思わぬ言葉に驚いたのは俺の方だった。
「どうして!?私はもう十分償ったじゃない!英二が望むように出来る限り隣にいる様にしてきた!これ以上どうしろって言うの!」
立ち上がり、俺を見下ろしながら叫ぶ杏奈。
握り締めた拳は怒りでわなわな震えており、切れ長の瞳も大きく見開かれていた。
「…償う?何の事だ?」
杏奈の言っている事の意味が全く分からなかった。
俺はただ、君の隣にいたいだけなんだ。
昔、俺がまだ病気がちでベッドで寝てばかりだった頃、君だけは毎日遊びに来てくれて一緒に絵本を読んだりしていたあの時みたいに。
「小学生の頃、私がケガさせた事を根に持ってるんでしょ!?」
「違う…!そんな事は絶対にない!」
思わぬ方向に話が向いてしまい、焦りを隠せない俺は言葉が上手く出て来ない。
「何が違うの!?いつもいつも私が好きになった男の子に嫌がらせして!…いい加減にしてよ!」
「杏奈…!」
咄嗟に立ち上がって思わず手を伸ばしたけれど、すり抜けて扉へと走っていってしまう幼馴染。
「英二なんか大嫌い!二度と話しかけないで!」
俺をキツく睨んだ彼女はそう言い捨てて走り去って行ってしまった。
乱暴に閉められた扉の音が妙に耳に残っていた。
2017.2.6
天野屋 遥か
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