あまりに儚く美しく



あれは夏休みが明けて直ぐの出来事だった――――

「いいなぁ真央、一番後ろの席!」

「うん!今回はほんとにラッキーだった」

くじの番号を見せると理沙が羨ましそうに大きな声を上げた。
今日は、数か月に1回の席替えの日。
くじ引きで窓側から一つ内側の最後部の席を射止めて喜んでいた。
隣の席が誰かを知るまでは。
ガタガタと教室中が大きな音で埋め尽くされて、皆は一斉に新しい場所へ動く。
私も自分の席へ机を移動させると、すでに隣の場所で着席していたのは
学年で最も問題児の伊藤君、その人だった。
彼はこの騒々しさの中、一番窓側の席で関係ないと言った様子でぼんやりと外を眺めていた。
あまりの衝撃に机を持ったまま呆然と見つめる私の視線に気づいたその人はこちらに顔を向ける。固まったままの私の全身に視線を送ると、呆れた様な小馬鹿にした様な笑いを口元に浮かべていた。

「重くないの?」

「だ、大丈夫!」

慌てて机を床へ置く。

「伊藤君、よろしく…」

椅子に腰を下ろして改めて挨拶をするも、不良はすでに私への興味を失ったらしく、
携帯電話を机の影で触っていて目もくれなかった。

「にしても、あの伊藤君が隣とは…」

「あの人、この間、停学になってたんだよ。他の学校の人とケンカ騒ぎ起こして」

「真央、ほんとに気をつけてね」

普段は冗談ばかり言う友達も皆、真剣に私の心配をする。
そんな皆の態度に自分自身も明日からの学校生活に不安を覚えた。

でも、それはただの杞憂に終わる。
何故なら、彼は授業もサボりがちで、教室にいることはあまりなかったから。
たまに席にいても、無口で携帯を触ってるだけで、
特に周りに迷惑をかけることもなかった。

ただの隣の席の人というだけだった。
あの日、授業後に担任の先生に呼ばれるまでは。

「おーい、二宮。ちょっといいか?」

いきなり廊下に一人呼び出された私。

「…何でしょうか?」

心当たりがないため、不安げに先生を見つめる。

「お前、隣の伊藤が補習受けてるの知ってるよな?」

「はぁ…一応は」

予想もしなかった質問に拍子抜けして、返事も気が抜けてしまう。
話題の隣の彼は出席日数などが危ないらしく、放課後にたまに補習を受けなければならない。それなのに、よくサボっているらしく、先生が注意しているのを隣で何回か目撃した事はあった。

「悪いなぁ。先生、今日は会議あるんだ。伊藤の補習、見ててくれないか?
プリント二枚やって終わりだから…」

「えぇっ?でも…私…」

「見ててくれたら、内申にも考慮するから。な?」

なんて言われたら、断れる訳もなくて。
結局、一回きりという約束で引き受けてしまった。

放課後―――――
外からは部活の練習中の掛け声や帰路につく生徒達の楽しそうな声が聞こえてくる。
そんな喧騒とは裏腹に、私達以外誰もいなくなった教室は水を打った様に静まり返っていた。
伊藤君が机を動かさなくても良い様に気を使って、わざわざ彼の一つ前の席の机を動かして向かい合う様に座った。けれども、当の本人は私の存在を無視して、窓の外を退屈そうに冷めた目で眺めているだけ。
彼の纏う雰囲気は完全に私を拒絶している。

どうしよう…
会話のきっかけも掴めず、ただ目は泳ぐばかり。
時を刻む音だけが妙に大きく響いていた。
窓へ目を向けると日没へと向かう空の色は青色が影を帯びて淡い黄色が混じりつつあった。教室へ射し込む光も橙色が濃くなっている。

「ねぇ」

不意に伊藤君がこっちへ振り向く。

「いつまで固まってんの?プリント貸して。やるから」

そして、気怠そうに手を伸ばしてきた。

「あっ!は、はい!」

慌てて私が課題を渡すと、彼は無言で問題に取りかかり始めた。
補習を監督しながら私は明日の授業の予習をしていた。
俯いてプリントに集中している伊藤君。伏し目がちの奥二重の目から長い睫毛が覗き、すっと通った鼻筋と薄い唇から知的で端正な顔立ちが窺える。
ノートに英文を書きながら、ちらちらと彼の顔を覗き見していた。

「二宮さん、ここどうしたらいいの?」

こっそりと盗み見していたところで、突然視線が交わってしまった。

「あっ、そこは…」

動揺しながらも説明しないといけないという義務感を胸に立ち上がった瞬間、
ぐうぅ―――
なんと、私のお腹の音が大きく鳴り響いた。

「あっ!」

慌ててお腹を押さえるも、時すでに遅しといった所で。
正面を向くと、伊藤君は目を真ん丸にしていた。

「…ごめん。お腹空いてて…」

誤魔化しようのない状況に、とりあえず謝罪をする。
顔がどんどん熱くなっていくのが自分でも分かった。

「…何それ…あはは!」

彼は吹き出して大きな笑い声を上げた。
バンバンと机を叩き、余りに笑いすぎて涙まで流している。

「面白すぎ!二宮さん最高!」

不意にそんな風に笑顔をみせるから私の方がびっくりしてしまう。
いつも、無表情でつまんなさそうに教室にいる印象しかなかったから。
こんな反応をするなんて思わなくて再び固まってしまった。

「で、ここはこの公式を使うの」

「ふーん。じゃあ、二番も同じの使えばいいの?」

「そっちはまた違うやつ。教科書みるともう一つあるじゃん。そっちの方を使うんだよ」

「あー、なるほど。三番は…さっきの方使えば解けるよね」

更に驚いた事に、説明をすればちゃんと話を聞いて、
理解も早くてすぐにさらさらと問題を解いていく。

「あー、やっと終わった」

大きく伸びをする伊藤君。私もカバンに参考書や筆記用具をしまって帰る準備を始める。

「じゃあ、俺行くわ。あと、これあげる。こんなものしかないけど。ありがとね」

プリントとカバンを持って先に教室を出ていく彼。机の上にはガムが置いてあった。


この日を境に私達の関係は徐々に変化を見せ始めた。


「おはよ、二宮さん」

体育の授業から戻ってこれば、朝から空いてたはずの窓際の席に伊藤君がいる。
しかも、彼の方から話しかけてきた。

「おはよって…次、四限目だよ?」

「だって俺、今来たから」

悪びれる事もなく、あっけらかんと笑顔で言ってのける彼に思わず笑ってしまう。
あの補習以来、彼が教室にいれば会話をするようになっていた。


「えぇっ!また私が補習見るんですか?」

「二宮、頼むよ。伊藤がお前ならちゃんと補習受けるって言うんだ」

結局、先生に頼み込まれて、補習に再び付き合う事になってしまった私。
こうして、少しずつ伊藤君との関わりが増えていった。


そんなある日の放課後、補習を始めるまでに少し時間があったから、一階まで降りて外の自動販売機に向かう。ボタンを押して、ガコンと音を立てて出て来たジュースのパックを持って教室へと戻ろうと踵を返す。

「あれ?二宮さん?」

丁度、その時に後ろから声をかけられた。振り返れば、立っていたのは隣のクラスの湯野君。サッカーのユニフォームを着て立っているから、これからグラウンドへ向かって部活に参加するところだろう。

「珍しいね。居残り?」

「うん。実は、伊藤君の補習を見る事になって…」

「えっ!そうなの?補習って生徒が見ることってあるの?」

「よく分かんないんだけど、伊藤君が私がいいって言ったらしくって…」

「そっか。二宮さん、真面目だし優しいから伊藤も気に入ったんだろうな」

「違うよ。この間、成り行きで補習の監督したときにお腹鳴って大笑いされたんだよね。
多分、それのせいじゃないかなぁ」

「そんな事があったの?面白いね」

その話を聞いた湯野君もあの時の伊藤君みたいに笑っている。

「おーい!湯野何やってんだよ!さっさと始めるぞ!」

すると、遠くから彼を呼ぶ声。サッカー部のメンバーから早く来いと急かされ、
“ヤバい”と言って慌て始める湯野君。

「じゃあ補習頑張って!」

「ありがとう。湯野君も部活頑張ってね」

「もちろん」

そう言うと、大きく手を上げてグラウンドへと颯爽と走って行く同級生。
その後ろ姿を見送って、私も教室へと向かった。


「真央、今日はお腹空いてないの?」

「大丈夫!純君に笑われないようにちゃんとお菓子食べたから!」

補習の時間になり、いつもの様に机を向かい合わせにして席に着く私達。
いつしか下の名前で呼び合う間柄になっていた。
先生は説明をすると、溜まった仕事を片付けに職員室へと戻って行くから、
その後は二人だけなので気兼ねなく話をする事が出来る。

「…今日のプリント難しい」

頬杖をつきながら不機嫌そうに眉を顰ひそめる純君。

「仕方ないって、そこは授業聞いててもよく解らなかったもん」

「アイツ、ヅラのくせにこんな難しいの出しやがって…」

なんて、先生に文句を言うから不謹慎にも笑ってしまった。

「真央も失礼だな。笑って」

「…だって、私もあの不自然な七三分けは怪しいと思ってたから」

「真面目に見せかけて、そういうとこあるよな」

悪戯に成功したみたいに少し意地悪に笑う純君に応える様に歯を見せる。
初めは冷たかった彼も、まるで雪が溶けた後の春の陽気の様に柔らかい空気を纏う様になって、こんな風に何でもない話が出来るようになった。
クラスの他の男子と何も変わらない。皆は不良とか怖いとか言うけれど、そうじゃないって今なら皆にも自信を持って言える。

私にとっては大事な男友達だから。


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