おやすみ、


「ままぁ…」


ベッドヘッドに凭れて本を読んでいたら、ほんの少し開けられた寝室のドア。
そこから遠慮がちに顔を覗かせたベッキョンを見て、思わずぎょっとしてしまった。


「ベッキョナ、どうしたの?」


ベッドから降りて、おいで、と両手を伸ばす。
たどたどしく歩み寄って来たベッキョンは、とめどない涙を拭おうともせず、ぽろぽろと零れ落ちるそれで頬を濡らしている。

しゃがみ込んで小さな体を受け止めると、ベッキョンはぎゅうぎゅうと首に抱き付いて来た。


「まぁま、まぁま…」

「どうしたの、怖い夢でも見た?」

「うぅ…っ」


ひっくひっくと嗚咽を繰り返すベッキョンの背中を、ぽんぽん、と優しく撫でる。
この小さな体のどこにそんな力があるのだろうと不思議に思うくらい、僕にしがみ付く力は強い。

着ている服が少しずつ濡れていくのを感じながら、だけどその温度すら愛しく感じて。
泣きついて甘えるベッキョンの姿に、小さかった頃の自分が重なった。


「ままぁ、…」

「大丈夫だよ。パパとママが居るからね」


ぽん、ぽん、とリズムを刻むように背中を撫でて、ベッキョンを抱えている体を前後に揺らす。
それから、大丈夫だよ、って。
たったその一言でひどく安心することを、僕は知っているから。

ぽんぽん、ぽんぽん。
少しでも、僕の体温が伝わるように。

そのうち首に絡みついていた腕の力が抜け、全身を預けられる感覚がして。
そっと覗き込めば、穏やかな顔ですぅすぅと寝息を立てているベッキョンの姿。


「おやすみ、ベッキョナ」


ちゅ、とおでこに一つキスをして、ベッドに寝かせる。
その隣に自分も入って、愛しいわが子の寝顔を見つめた。

小さな手のひらに指を乗せてみると、きゅ、と掴まれる。
まだこの癖が直っていないんだと思うと、ふふ、と笑みがこぼれた。


「あれ?ベッキョナ?」


さらさらの艶やかな髪を撫でていたら、開いたままだった寝室の扉からクリスが入ってきた。
シャワーを浴びた直後だから、体中からほかほかと湯気を立たせている。

とうに寝たはずのベッキョンがベッドで眠っているのを見て、どうした?と小首を傾げるクリス。
それに微笑んで、もう一度ゆっくりとベッキョンの額を撫でた。


「怖い夢見たんだって」

「ああ、…」


子どもの頃、僕もよく怖い夢を見た。
複雑で、何が怖いのかすらわからないのに、それでも“怖い”と感じて目が覚める。

小さい時に見た夢というものは、大きくなった今でも鮮明に覚えているから不思議だ。
きっと、それほど怖かったのだと思う。

だけど、温かな母のぬくもりに抱きしめられ、大丈夫だよと言ってもらえただけで、ひどく安心して眠れた。


「クリスも、まだ怖い夢見たりする?」

「いや、見ていないと思うけど…」

「本当?クリス時々、寝ながら泣いてる時あるよ?」

「えっ」


まさか、という表情をするクリスに、くすくすと笑う。
だけど本当に見た話なのだから仕方がない。


「クリスったら、すやすや寝てるのに泣いてるんだもん。びっくりしちゃうよ」


本当、いつまで経っても泣き虫さんだね。

そう言ってからかえば、ほんの少し頬を赤らめたクリスが、うぅ、と小さく唸った。


「怖い夢なんて、見た覚えないんだが…」

「夢は覚えていないものだもの」

「そ、それはそうだが…」


困ったように動揺しているクリスが面白くて、堪らず笑い声を上げてしまった。
そうしたら、またクリスが眉をハの字にさせて見つめて来るから、もうどうしようもなくて。

あはは、と笑っていると、隣で寝ていたベッキョンが少し身じろぎした。


「ほら、レイが笑うから」

「ふふ、大丈夫。起きてないよ」


子ども特有の柔らかな頬を撫でると、ふにゃりと笑う。
その笑顔が可愛らしくて、自然と笑みがこぼれる。

クリスも同じようにベッキョンの頬を一撫でして、振動を与えない様にゆっくりとベッドに潜ってきた。


「え?」

「ん?」

「どうしてそっちなの?」


寝ているベッキョンの隣、ではなく、僕を後ろから抱きかかえるようにして入ってきたクリスに首だけで振り向く。
川の字じゃないの?と聞くと、ダメか?と問い返された。


「だめ…じゃないけど、ベッキョナあんまり寝相よくないから、真ん中に挟んでないと落っこちちゃうよ」

「…やだ」

「やだ、って…」


先程のベッキョンのように、ぎゅうぎゅうと抱き付いてくるクリス。
甘えるように背中に抱き付かれて、首筋に顔をうずめられる。


「クリス、今日は甘えんぼさんの日?」

「うるさい」


ベッキョンに触発されちゃったかな、と小さく笑うと、笑うな、という抗議の声。
やっぱり今日は、甘えたい日みたいだ。


「大きい赤ちゃんだなぁ」

「子ども扱いするなよ」

「子どもじゃなくて、赤ちゃんだよ」


ベッキョナの弟かな〜?と笑えば、怒ったクリスが首筋にかぷりと噛み付いて来た。
痛くなどない、甘い痺れ。


「ふふ、くすぐったいよ、クリス」

「レイが俺を赤ん坊扱いするからだろう」

「あはっ、ちょっと、首はほんとにやめてったら」

「いやだ」


かぷっと食まれたり、ぺろりと舐められたり。
始めこそじゃれ付くような仕草だったけれど、その内何やら含んだ動作になってきて。


「こら、だめだよクリス。明日も早いんでしょう?」

「平気さ」

「お寝坊さんのくせに」

「レイが起こしてくれたら起きる」

「もう、だめだってば。ベッキョナもいるし」

「…そうだった」


その一言で、ぴたりと止まる愛撫。

ベッキョナは甘えてきてもすぐに寝てくれるからいいけれど、この大きい赤ちゃんは中々寝てくれないから困ったものだ。


「ほら、ベッキョナの隣に行ってあげて?」

「やだ」

「どうして」

「ベクが居るから、レイを抱きしめられないだろう」

「平気だよ、僕はクリスに抱き締められていなくても寝られるもん」

「…俺が抱きしめていたいんだよ」

「え〜?」


本当に、今日は一体どうしたのだろう。

かっこいいのは見た目だけで、実は泣き虫だし甘えん坊だし、そのくせ強がりで。
だけど、ベッキョンが産まれてからはすっかり父親らしくなったと思っていたけれど。

やっぱり、甘えん坊なのは変わらないみたいだ。


「パパは甘えんぼさんですね〜」

「襲うぞ」

「それはだめ」


くるりと方向転換して、クリスに向き直る。
まるで飴を強請るような目で見つめてくるクリスにくすくす笑って、ちゅ、と唇にキスを落とす。

おやすみの、キス。


「クリスは、特別だからね」

「何がだ?」

「ひみつ〜」


そう言って、またくるりと向きを変える。

すやすや穏やかな寝息を立てているベッキョンを胸に抱いて、背中から伝わるぬくもりに抱かれて、僕もゆっくりと眠りに就いた。




おやすみ、









ベクへのキスは額かほっぺた、クリスへは唇にしてあげるレイさん。
子ベクの甘えん坊はクリス譲り。




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