今までの経験上、レベルC感染者を二人以上を同時に相手にしたことなどない。以前に上官が零していた言葉を思い出した。「集団感染したとこにあたったんだがな、そりゃあもう、地獄だったぞ」隊員側にも感染者や殉職者が大量に出た、凄惨な事件だったと聞く。
　同じことを考えていたのか、ナガトの顔もどこか強ばっていた。幸い、アカギ達の艦はすぐ近くだ。装備を新たにし、自分達が経験したことのない地獄と対峙するべく呼吸を整えた。

「――んで艦長と連絡つかねェんだよ、クソ！」
「うちの隊が全員応答できない状況にあるってことだろ？　どうする、直接本部に応援要請するか？」
「して間に合うか！？　間に合わないわ艦長の首飛ぶわだったら最悪だぞ。ここはハルナ二尉に連絡取った方が確実じゃねェか？　二尉経由で、一番近くにいる隊の応援受けられるかもしんねェだろ」
「……アカギにしては賢いこと言うね。むかつく」
「言ってる場合か！」

　軽口でも叩かなければ、頭が混乱に呑まれてしまいそうだった。それでは駄目だ。非常時こそ冷静に動け。艦長にはそう叩き込まれている。
　じりじりと近づいてくる点滅が不気味だ。彼らは標的を見つけた瞬間、凄まじい速さで襲ってくる。それは先ほどの二名の感染者で学習済みだ。感染者は大半がその身体能力を劇的に向上させる。のろのろとした動きに見えるのは最初だけだ。その様は、獲物を見つけた肉食獣を連想させた。
　そんな緊迫感の中、通信機からノイズが走る。

「こちらナガト、ハルナ二尉応答願います。こちらナガ、」
『――こちらハルナ。どうした、緊急か』

　前回とは声の硬さが違った。ナガトの声に被せるように問うてきたハルナに感染者の突然の襲来を説明すると、より一層声音が厳しくなる。向こうも外にいるのか、風の音が通信機を通して鼓膜を震わせる。
　点滅が近づいてきた。端末の情報を読み解く限り、第二波はあと数分で辿り着く。艦を移動させて退避するのも一つの手だが、どちらにせよ感染者を放置するわけにはいかない。
　ほんの数秒の間を置いて、ハルナは独り言のように「なんで五体も……」と零した。その数え方にはっとする。――五体。“五名”でも“五人”でもない。

『よく聞け。いいか、絶対に互いを見失うな。フォローしあえる距離にいろ。五メートル以内に奴らを近づけるな。死んでも体術で片づけようなんざ考えるなよ。いざとなったら退け』

　早口で告げられたその言葉には、どこか苛立ちが滲んでいる。
　だが、ハルナの静かな声は、アカギ達の逸る心を強制的に鎮めていった。

『常に飛んで逃げることを頭に叩き込んでおけ。接触は避けろ。――今の装備品は？』
「04です」
『03か七式に変えろ。いざとなれば手榴弾も使え。FBのタイプは』

　FBは飛行樹の略称だ。FB-00、FB-c1といったようにタイプ分けがなされている。
　アカギ達が使用している携帯用の飛行樹は00だった。ハンググライダー型のこれは消耗品だ。何度か使えば精度は下がり、最後には“枯れて”飛べなくなる。ハルナからは当然のごとく、新品に切り替えるよう指示が飛んだ。
　ほぼ同じタイミングで警告音が大きくなる。ハルナとの無線は、アカギとナガトのどちらとも繋がっている状態だ。それゆえに、ハルナの息を飲む音がアカギの耳にも届いた。

「ナガト、来るぞ！」
「分かってる！　――ハルナ二尉、一旦ここで、」

　通信の親であるナガトが切ろうとすると、それに被せるようにして怒号が響く。

『阿呆ッ！　繋いだままにしておけ！　貴様らだけで判断できるものでもないだろうが！』

　身を竦ませたくなるような恫喝は、それでいてとても心強い。
　アカギはすかさずナガトに視線を投げた。飛行樹を新品のものに切り替え、艦を背に銃を構える。
　威力が高く、遠距離射撃が可能な03はナガトが装備した。動きが制限されるが、連射が可能な七式を装備したのはアカギだ。接近してくる明滅が彼らの居場所を示す輪と重なった瞬間、ナガトが撃鉄を鳴らした。
　肩を打ち抜かれた人影が、その場で崩れ落ちたのが確認できた。残りの四人――、否、四体が異変を察知し、立ち止まる。倒れた感染者の肩から、赤く染まった白い芽が顔を覗かせた。傷口から芽吹くそれは、肉片を纏って蠢いている。

「――ラグ六秒で“発芽”！　あれ完全に喰われてる！」

　アカギとハルナの舌打ちが重なった。
　距離を利用し、ナガトが次々と弾を放つ。きっちり五発撃ち込むと、彼はあっさり長銃を置いて短銃へと持ち変えた。
　スコープ越しに見える感染者達は、全員が撃たれた箇所から白い植物の芽を出した。おぼつかない足取りで立ち上がり、そして――軍人をも凌ぐ速さで、こちらに駆けてくる。一瞬で距離が詰められた。
　その動きはまるで人間とは思えない。野生の獣を思わせる動きで飛びかかってきた一体の足をナガトが撃ち抜き、一歩遅れた四体をアカギが連射で散らす。直線を描くように引き金を引き、それはすべて感染者の胸の高さを的にしていたが、僅かに仰け反っただけで彼らは足を止めなかった。血飛沫が上がる。体液に触れないよう飛び退ったアカギ達を、充血した双眸が恨めしげに追う。
　――怯まない敵。その存在が、こちらの恐怖心を煽る。