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淀む欠片に招かれて *8





 声なき声が嗤っている。
 ――だから言ったのに。世界は変わる。一瞬で。だから言ったのに。世界は変わる。お前の知らないところで。
 ああ、ほら、嗤う声が絶えない。
 穢れなき白は誰の意思を汲んだのか。朽ちた色はどこに消えたのか。蝕む白は、血を求める。生きた証を。その思いを。なににも染まらぬ色だと、誰が言ったのか。白は染まる。赤く、黒く、容易く。
 染め変えてみせろ。他でもないその手で。
 絵筆の代わりに銃を取り、暴虐の産声を上げながら望む色を撒き散らせ。血肉の先に色がある。望む未来の鮮やかな色彩は、その手が汚した先にある。
 汚濁に塗れて清浄を乞え。
 白く淀む欠片に招かれて、闇へ墜ちるもまた一興。
 お前が目を閉じ耳を塞いで蹲っている間にも、真白き手は奪いにかかる。奪われたくなければ、その手で守れ。渡したくなければ、抱き続けろ。
 脆弱なその身を盾にすることしか術がないことを、今ここに思い知れ。


* * *



 ――それは本当に、唐突だった。

「そっちは!?」
「全員避難させた! ハッチも閉じた、問題ない! ――おいっ、なにやってんだ!?」
「くっそ、ジャムった! ナガト、04(ゼロヨン)貸せ!」
「貸せるかバカ! お前一人で突っ込んでどうにかなる相手じゃないだろ!」

 間髪入れないナガトの怒声が耳に痛い。弾詰まりを起こした薬銃は、そのまま彼にもぎ取られた。素早い動作で詰まりを直し、息をつく暇もなく引き金を引く。
 鳴り響く警告音に嫌な汗が噴き出した。どう、と倒れた人影に、忙しなく動かしていた足がようやっと止まった。背中合わせに立ち尽くす。ぶつけるような荒々しい動作で薬銃を返され、あまりの不甲斐なさに死にたくなった。こめかみを伝う汗を乱暴に拭い、弾む呼吸を整える。
 一呼吸置こうにも、携帯端末は火のついたように泣き喚く赤子のごとく、耳障りな警告音を響かせ続ける。耳の通信機からも、同様の警報が延々と鳴り響いている。端末の画面には、赤と白に明滅する点が複数表示されていた。わざわざなにかと確認するまでもない。感染者の存在を知らせる警告だ。

 それは、あまりにも突然だった。
 ハインケルの見張りも兼ねて臨時研究所にいたアカギとナガトは、突如響き渡った警告音に、弾かれたように端末を確認した。艦内の誰もが身体を強ばらせたのが分かった。ミーティアがヒールを鳴らして指示を飛ばす。まもなく、二人が持つ端末と同じ画面が室内の大スクリーンに映し出された。
 ――なんだ、これは。
 その場にいた全員が息を呑む。そして、次の瞬間に二人は駆け出していた。それと同時に、ミーティアが通信機に向かって叫ぶ。「全職員に告ぐ! 至急艦内に待避せよ! 繰り返す! 艦付近で作業中の職員は全員、艦内に待避せよ!」ミーティアの張りつめた声を追うように艦内に警報が鳴り、何事かと不安顔の研究員達が廊下を埋めた。
 先に外に飛び出したのはアカギだ。無線で状況を知らされたのか、パニック状態で艦に戻ろうとする研究員をさばくのはナガトの役目だった。恐慌状態に陥った人間ほど厄介なものはない。どこにそんな馬鹿力が備わっていたのかと聞きたくなる力にもみくちゃにされそうになりながらも、彼は懸命に誘導を続けていた。
 そんな様子を尻目に端末を確認すると、急接近してきている点が二つあった。その後ろには、五つ以上の点が明滅している。そのどれもが、臨時研究所であるこの艦にまっすぐに向かってきていた。
 第一波である感染者の襲来はなんとか乗り越えた。おそらくレベルCあたりだろう。普段携帯している薬銃のみで鎮圧できたところを見る限り、完全寄生にまでは至っていない。しばらくすれば薬銃の効果が現れ、大きな後遺症もなく回復するだろう。
 どくどくと心臓がうるさい。緑防大を出た幹部候補生といえど、二人はまだ新米の域を出ない。例えるなら研修医だ。水準を満たすだけの知識はある。技術もある。しかし、経験はまだ足りない。
 ここに艦長達がいれば別だった。指導者がいれば経験不足は補える。若いエネルギーを有効に利用できる。しかしこの場にいる戦闘員は、アカギとナガトの二名だけだ。まだまだガキだと言われ続けている自分達だけで、どうにかしてこの状況を切り抜けなければならない。研究所内の指示はミーティアに任せておけば大丈夫だろう。そんな確信があった。
 ひとまず、自分達はこの艦を防衛しなくてはならない。そのためにはなにが必要で、なにが不要かを見極めなければならなかった。足りないものばかりが頭に浮かぶ。
 経験が欲しい。知識が欲しい。なにも考えなくても勝手に動く手足があれば。
 ――甘えるな。手持ちのカードで勝負を挑め。

「ナガト、艦長に連絡ついたか?」
「いいや、応答なし。スズヤ二尉も駄目だ。他も繋がらない」
「どうすんだよ、これ。レベルC以上を五人も一気に相手とか、やったことねェぞ」

 訓練はそれこそ血を吐くほど行っているが、実際の感染者を相手にした訓練は倫理的な問題もあってそう頻繁には行えない。感染者を相手にすれば、それはもう訓練ではなく実践だ。


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