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「『人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、萎れ、影のように移ろい、永らえることはない』」
「つまり?」
「どうせなにやったって苦しみは絶えないんだから、欲望に任せて生きるのもアリってことなんじゃないでしょうか」
「お前、絶対聖職者にはなんなよ」
軽く笑って、ソウヤは煙草の火を踏み消した。自分で回収するつもりだったのだが、呼吸する自然さでタイヨウが先に拾って、今し方広げていた聖書に挟んだ。こんなところを見られでもしたら、神への冒涜だなんだと叩かれるのだろうか。
「それにしても、久しぶりの休暇ですね」
「休んでる暇なんざなさそうな雰囲気だけどな。どうせまたすぐに空渡するはめになる。覚悟しとけよ」
「はい。次はどんなコスプレをしてくれるのか、楽しみにしてます」
艦に戻る道すがら、ちっとも変わらない部下の様子にソウヤは煙草とは別の苦さを感じて渋面を作った。
ソウヤの属するイセ隊は空渡任務に就いていたが、それも今日で終わりだ。一度テールベルトへ帰還し、数日休んで通常勤務に戻る。とはいえ、噂で聞く限りこのプレートの状況は悪化の一途を辿っているらしいため、すぐさま次の空渡要請が入るだろう。数日の間に身体をしっかり休めなければやってられない。
一刻も早く窮屈なこの服を脱ぎたくて襟元のボタンを毟るように外せば、背後でタイヨウが「それもう一回!」と歓声を上げていた。
神父様などという肩書きは、自分には到底似合わない。与える側ではなく、奪う側にいるのだからなおさらだ。どうせ廃棄処分にするのだからと、乱暴に十字架を首から外してタイヨウに投げ渡す。「欲しけりゃくれてやる」一度も祈りを捧げなかったそれを難なく受け取って、タイヨウは小さく苦笑した。
目を閉じたところで浮かぶのは、清らかな神の横顔などではない。
感染者の変わり果てた姿と、その奇声だ。
十字架ではなく薬銃を手にし、聖水ではなく種の弾丸で肉を穿つ。
艦に戻り、全身洗浄を終えるなり、ソウヤは堅苦しい漆黒の神父服を脱ぎ捨てた。いくつかボタンが千切れて飛び、艦の中を転がっていく。誰が言ったのか知らないが、どうやらこの衣装はソウヤをより艶美に見せるらしい。目指すべくは敬虔な信徒だというのに、それはいかがなものだろう。
その衣を十字架と同じように後ろをついてきていたタイヨウに向かって投げつけ、彼の視界を黒く塗り替えて皮肉を込めて笑ってやった。
「――ハレルヤ」
青い瞳が、そこいるはずもない神を射抜く。
* * *
「そーいや、最近ずっとあんたらどっちか一人よな? なんでなん?」
「交代でチビ博士の見張り。あれをほっとくと大変なことになりかねないからね。――よしっと、血液採取終わり。てか、きみ、どれだけ飲んできたの?」
「そんな飲んでへんって。ちょっと後輩三人潰してきたくらい。それにしても、あのボクが博士、ねえ……」
僅かに目元を赤くした姉が帰宅したのは、もうすぐ時計の針が天辺を回ろうとしている頃だった。ナガト達がやってくるのが今日だということを忘れていたらしい奏は、穂香の部屋にいる彼の姿を見てひどく驚いた様子を見せた。
穂香のベッドに座って小声で話す彼らを見ていると、ついさっきまでの自分とナガトの様子が嘘のようだ。あれだけ静寂がこの部屋を支配していたというのに、今ではしんとしている方が珍しい。ナガトもどこか砕けた雰囲気で奏に接している。こういうとき、姉のコミュニケーション能力の高さが羨ましいと思う。
「あれでも、うちじゃかなり有名な博士サマだよ。どっちかというと悪い意味でだけど」
「悪い意味? 若すぎるとかそんなん?」
「違う違う。あの人、軍部のお荷物だから。能力そのものは評価できるんだけど、まーあ他がね」
「え、なにそれなにそれ! 実はマッドサイエンティストとか?」
「んー、どうかな。まあそんな一面もあるかもね。あれだけの功績を残してるんだから。俺もよく知らないけど、とにかく関わるなってのが不文律」
彼らの国テールベルトにおいて、ハインケルは様々な新薬や武器の開発に携わってきたのだという。そんな彼のどこが嫌われているのか、穂香と奏は結局分からずじまいだった。ナガト自身も把握しきれていないのだから、それも仕方のないことだ。
彼が語るテールベルトの様子は、やはりどこかファンタジーのようだった。空を飛ぶ植物。危険区域。町の至るところに軍人がいて、感染者や白の植物、暴動から人々を守っている。
複雑な心境の穂香を察知したのか偶然か、彼は小さく笑った。「このプレートでも、似たような状況の国はあると思うけどね」責められたわけでもないのに、羞恥で頬が熱くなる。
カルピスサワーを飲みながら興味深げに耳を傾けていた奏が、しばらくなにかを考え込むように黙った。
「……まあ、そうやなあ。日本じゃありえへんかもしれんけど、道を歩けば銃持った人間がうようよおる国だってあるんやし。内戦とかそんなん考えたら、あながち異常って一蹴できるような話でもないか」
「そうそう。このプレートじゃバイオハザードを題材にした話も珍しくないんだろ? そんな感じだって考えてくれればいいよ。ま、レベルCあたりの感染者が増えてきたら、今に報道の皆さんが騒ぎ始めるだろうけど」
「あ、それ! 詳しく教えてや。父さんがレベルBってのは聞いたけど、全体でどんなレベル分けされてるん?」