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「オイ、」
「あ、あの、アカギさん、その……。……はさみ、持ってませんか?」
「は? はさみ?」
「ご、ごめんなさい。髪の毛が、その、ボタンに……」
「はァ?」
また新たに涙を滲ませ、なにを言い出すのかと思ったらこれだ。僅かに頭を傾けてできた隙間には、穂香の細く長い髪が軍服のボタンに絡まっているのが見えた。
――離れなかったのはこれか、このせいか。
正確には離れなかったのではなく、離れられなかったのだ。根元の近くで絡まっているから、穂香はほんの少し頭を動かすだけでやっとらしい。絡まっている個所を自分で見ることも難しいようだ。
ナイフならポケットに入っている。髪くらいは容易く切れるだろう。
――離れなかったのではなく、離れられなかったのだ。つい先ほども考えたことをもう一度反芻し、アカギは大きく息を吐いた。
「えっと、アカギさん……?」
「じっとしてろ。多少痛ェのは我慢しろ、こういうのは得意じゃねェんだ」
「すみま、……ありがとうございます」
反射的に謝りかけた穂香が、耳朶をほんのりと赤く染めて礼へと言い換える。――勘弁してくれ、本当に。飛び出そうになる舌打ちをなんとか飲み込んで――これ以上無駄に怯えられても面倒だと思っただけだ――、アカギは太い指先で糸よりも細い髪をボタンからほどくべく奮闘していた。
切ってしまえば話は早い。だが、昔から髪は女の命と聞くし、これだけ伸ばしているのだから変に切るのは忍びなかった。引きちぎりたくなる衝動を必死の思いで押さえ、少しずつ少しずつほどいていく。
やがて嘘のようにはらりと髪が零れ、アカギは肺の中が空っぽになるほど盛大な溜息を吐いた。
「終わったぞ」
「ありがとうございました。……切らなくて済んで、嬉しいです」
少し縮れた髪を見てそんな風に笑うものだから、なにも言えなくなって顔ごと目を反らした。髪がほどけると同時に、穂香の頭も離れていった。途端になくなった重みとぬくもりを惜しいと思ったなど、たとえ口を裂かれようとも一生誰にも言うつもりはない。どんな脅しにも屈しない自信はあったし、墓場まで持っていく覚悟はできている。
「――くっ!」
「ひゃあっ!!」
救助はまだだろうか。アカギが居心地の悪さを誤魔化すように時計を確認したのと同じタイミングで、突き上げるような衝撃に艦が大きく揺れた。途端に穂香の悲鳴が上がる。離したばかりの頭を咄嗟に胸に抱え込み、アカギは自らの身体で彼女を庇った。幸い上から落ちてくるものはなにもなかったが、体幹には自信のあるアカギですら、机に手をつかなければ支えられないような大きな揺れだった。
抱えた穂香が子兎のように震えている。ギィっと不気味に艦が鳴き、電灯がチカチカと明滅した。艦の揺れに合わせて、軋む音がさらに大きくなる。どうやら外の蔦が猛威を振るい始めたらしい。足下から振動が伝わり、不気味な揺れが激しくなる。
ガキンッ! 嫌な音と共に、なにかが足元を駆け抜けた。
「きゃあああっ!」
「なっ、どっから入り込みやがった!」
殺気を感じて視線をやれば、床一面におぞましい「白」が蠢いていた。アカギの足に噛りつこうとした小さな白ネズミの背中からは、赤く汚れた白い蔦が生えている。小粒の目はぎょろりとしていて血涙を流し、不恰好に伸びた前歯が大型の肉食獣のように鋭く変貌していた。
――感染獣。
穂香の頭を強く胸に押しつけ、アカギが重たい軍靴の裏でそれを踏み潰した。肉が弾け、骨の砕ける嫌な感触が足裏から伝わってくる。あの生々しい音は穂香にも聞こえたのだろうか。
白の植物に寄生されたネズミの襲来は、それだけで終わるはずがなかった。どこからか侵入してきたネズミ達は、一目散にアカギと穂香を目指して駆けてくる。四方八方から迫りくる様は、アカギから冷静さを奪い取ろうとしているようにさえ見えた。
心臓が跳ねる。敵は小さくとも感染し、それどころか大半が寄生されているのだ。下手を打てばこちらの命が危うい。
穂香を背に庇い、アカギは何度も撃鉄を起こして種の弾丸を撒き散らした。白が弾け飛び、赤が散る。濁った鳴き声で断末魔を上げ、果てたネズミはあとから押し寄せる白の波に呑まれていく。息絶えた死骸を貪る白ネズミの姿は、見ているだけで胃から込み上げてくるものがあった。