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「……今まで散々泣いてたろ。今更我慢すんな」

 先ほど勢い余って引き寄せた身体は、翼でも生えているかのように軽かった。下手をすれば大きな薬銃の方がずっと重いのではないかと、そんな風に考えてしまうほどだ。
 ついさっき滅茶苦茶に掻き回した頭を、今度は最小限の力で優しく撫でるように叩く。自分とは大違いの細く柔らかい髪が、指の間から擦り抜けていく。優しく触れれば触れるほど、穂香はどんどんと縮こまっていった。身体がゆっくりと前のめりに傾き、小さな頭がアカギの胸に落ちてくる。避けることもできずに受け止めてしまったが、一瞬どうすればいいのか分からずに動きがぎこちなくなった。
 胸元からすすり泣く声が聞こえてきたから、余計に困惑は加速する。
 落ち着かない。泣いている女を慰めるのは苦手だ。そういう役割はナガトの方が適任で、でなければソウヤかミツミ辺りがこなせばいいことだ。なんだったらハルナでもいいし、外面の良さだけで言えばスズヤだっていい。少なくとも、こういった役回りはアカギに回ってくるものではない。それなのに、穂香と知り合ってからはそんな役割ばかりを押しつけられている気がする。
 こちらの事情なんてお構いなしに突っかかってくる奏に、怯えて泣いてばかりいる穂香。どちらにせよ、相手をするのが苦手なタイプの女だった。ならばどんなタイプなら得意なのかとナガト辺りに聞かれそうだが、答えなど浮かぶ気がしない。
 現実逃避を繰り返していたというのに、静かに泣きじゃくる声が心臓の上に重なって邪魔をする。分厚い戦闘服の生地越しには感じ取ることのできないぬくもりが、首筋に触れる頭から伝わってくる。――ああもう、落ち着かない。

「心配すんな、すぐに助けが来る。さっきコールしたソウヤ一尉ってのは、空軍でも相当腕の立つ人だ。飛行技術はもちろん、射撃の腕も軍内では五本の指に入る。それこそアレだ、ほら、なんつーか、ヒーローみたいな人なんだよ」

 なにか話していないと落ち着かず、饒舌になったアカギはそんなことを語っていた。
 ソウヤが航空戦競技会で三年連続一位を取っていたこと。ある年から順位は変わったが、陸空軍合同の射撃大会では堂々の優勝を果たしたこと。テールベルトでも有名な軍人で、「強くてかっこいい」からと、民間人からも人気があるということ。そんな彼は、まるでヒーローのようだと言われているということ。
 冷静に思い返せば鳥肌が立つほどむず痒い台詞を放っていたのだが、今のアカギにそれを自覚するだけの余裕はない。
 胸に頭を預けていた穂香が、少しだけ身じろいだ。なにかを言ったようだったが聞き取れない。「あ?」首を曲げて顔を近づけると、今度は穂香の方から耳元に唇を寄せてきた。
 小さな唇から零れた吐息が、耳朶に触れる。かすかに濡れた声が、アカギの名を紡いだ。

「アカギさんと、いっしょですね」
「……は?」
「ヒーローみたいな人、なんですよね? その人……」
「え、あ、ああ、まァ……」

 確かにそう言った。世間がそう言っているからだ。間違ってもアカギ自身の言葉ではない。多少華美な装飾がついていようと、むしろそう言った方が穂香が安心するかと思って口にした。それだけのことで、深い意味はない。
 だのに、彼女は「アカギと一緒」だと言った。意味が分からない。困惑するアカギをよそに、穂香は切なげに眉を顰めて言った。

「アカギさんも、助けてくれました」

 至近距離で見上げてくる潤んだ瞳に、この上なく座りの悪さを覚えてアカギはたじろいだ。あまりの近さとまっすぐな瞳に気圧されて反射的に身体を離したが、細い肩を支える手を離し忘れたせいで穂香の頭は胸元に収まったままだ。熱が消えない。一瞬のうちに網膜に刻みつけられた、あの涙の膜を張った瞳がいつまでもそこにある。
 穂香の方から離れていくかと思ったのに、どういうわけか彼女は寄り添ったまま動こうとしない。「離れろ」というそんな簡単な言葉すら紡ぐこともできず、アカギは声を失ったまま彼女を見つめることしかできなかった。
 はらはらと涙を零しながら、穂香は花びらが散るようにむず痒い言葉を落としていく。

「今も、助けてくれてます」
「や、それは仕事だからで、別に……」
「それでも。それでも、アカギさんは、私のヒーローなんです」

 ――勘弁してくれ。
 あまりの恥ずかしさに、顔から火が噴き出そうだ。よりにもよって「私のヒーロー」ときた。こんな恥ずかしい台詞は甘ったるい青春ドラマでもなかなか聞けそうにない。それを自分に対して言われたのだ、どんな気持ちになるか想像してみてほしい。
 胸を掻き毟りたくなるような痒さに襲われながら、返答に詰まったアカギは低く唸るより他になかった。急に脈が速くなったのも、胸の奥のどこかが一瞬きゅっと引き絞られるような衝撃に襲われたのも、きっと気のせいだ。そうでなければ困る。
 それよりも、こいつはいつまで引っ付いているつもりだ。名前のつかない感情を無理やり苛立ちに変え、さりげなく引き離そうと肩に置く手に力を込めたというのに、穂香は困ったように見上げてくるばかりで離れようとしない。まるで離すなと言われているようで、腹の奥がざわついた。
 薄い肩を掴む手のひらがじわりと汗ばむ。


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