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「アカギ、ほのちゃん任せていい? 俺が誘導するから」
「あ、ああ。分かった。立てるか、穂香」

 震える手を引いて立たせたが、力の抜けた膝ではまともに歩けそうになかった。軽く引いただけで容易く身体は傾き、倒れ込むようにして縋りついてくる腕にさえ力は入っていない。正気を失くした瞳はどこか虚ろで、この状況下で移動させるにはいささか不安が残る。仮に走らせたところで、足手まといになることは明白だ。
 外の状況を調べているナガトに、アカギは短く訊ねた。

「――ナガト、俺の装備背負えるか」
「え? なんで」
「こいつはおぶっていく。その方が速い」
「なるほどね。いいよ、貸せ」

 軽装備で来たため、さほど動きを制限する量ではない。そもそも、持ち出せる装備の数にも限りがあった。
 それでも二人分の装備は相当な重さがあるはずだが、ナガトは優男風な見た目を裏切って涼しい顔で前を行く。ガチガチと奥歯を鳴らす穂香に背を向けてしゃがみ、アカギは軽くて招いて促した。「でも……」この期に及んでそんなことをほざく口を、乱暴に針と糸で縫い付けてやりたい衝動に駆られる。
 絶え間なく流れる涙に、震える身体。

「早くしろ」
「すみませ……」

 苛立ちを押さえて静かにそう急かせば、か細い腕が肩にそっと触れてきた。訳も分からないまま謝るなとあれほど言ってやったのに、癖づいたものはなかなか治らないらしい。
 硬い声に急かされたのか、装備よりも遥かに軽く感じられる柔らかな身体が、躊躇いがちに背に預けられる。そのあまりの軽さに、こんなときだというのに笑いそうになった。――こんなにも弱々しい身体で、薬銃を握ったのか。
 更衣室を出れば、あちこちで感染者達の呻き声が漏れ聞こえてくる。背後でひっと息を呑んだ穂香の腕に力が籠もった。

「……よくやった」

 壁に張りついて進路の状況を確認するナガトから目を離さないまま、穂香にしか聞こえない程度の小声でアカギは言った。困惑に揺れる吐息が耳にかかる。

「ダチ相手じゃ怖かったろ。あいつは、お前が救ったんだ。――いいか、間違えんな。傷つけたんじゃねェ。助けたんだ。お前の、その手で」

 大きくなりかけた嗚咽を呑み込み、穂香は小刻みに震えながらアカギにしがみつく力を強くする。
 出会ってからずっと、彼女は泣いてばかりだ。初めて出会ったあの夜も、彼女は怯えて泣いていた。笑顔なんてほとんど見たことがない。泣き顔の方がよほど多く見ているし、それが見ていて気持ちのいいものでなかったことは確かだ。
 いつもなにかに怯えている姿は自分には到底理解できないけれど、友人相手に発砲することの恐怖はアカギとて知っている。
 怖かったろう。いくら薬銃が金属製の銃とは異なるとはいえ、簡単に割り切れるものでもない。相手を傷つけ、自衛を優先してしまったと思い込んでいる穂香にとっては、なおさらだ。
 ――泣くな、大丈夫だから。
 傷つけたのではなく、助けたのだ。
 早期の段階で薬弾を撃ち込めば、感染の進行を遅らせることができ、寄生状態になることを食い止めることができる。穂香の友人である郁は、レベルB感染の初期状態にあった。これならば障害も残さず回復することができるだろう。
 青臭い正義感を振りかざしてアカギに突っかかってきたあのときのように、再び元気な姿を見ることができるはずだ。

「間違えんなよ。お前が、助けてやったんだ」

 だから泣くな。悔いるな。怯えるな。間違ったことはなにもしていないのだから。
 ナガトとは違い、抱き締めてやることも頭を撫でてやることもできないが、アカギはそれだけ伝えてサインを待った。言いたいことが伝わったかどうかは分からない。アカギ自身、自分の口下手は自覚している。ナガトが見ていれば「もっと上手く言えなかったわけ?」と呆れられることは目に見えていた。
 穂香は一度強くアカギの首にしがみつき、何度か大きく鼻を啜った。感染者は音に敏感だ。背中で泣き声を必死で殺している穂香には助かる。
 唸り声と足音が駆け抜け、遠くで悲鳴が響き渡った。誰かが襲われたのだろう。助けてやりたいが、そんな余裕はない。数多くの感染者が、悲鳴に釣られて駆けていく。奏がこの場にいれば、「まるで映画みたいやな」とでも零しそうな光景だった。


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