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鳥の巣頭の小さな博士を思い浮かべてみたが、ソウヤにはハインケルの“怖い”要因が分からない。そもそも自分は、彼のことをよく知らないのだ。凄腕の博士とは聞いているが、実際の年齢も性格も実のところよく分かっていない。
ただ一つ分かっていることは、彼はとても気が弱く、脅されれば機密事項ですら簡単に口を割ってしまう人物だということくらいなものだ。だから、ハインケルは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われているのだと、そう聞いている。研究施設側もあまり彼を表に出すことはせず、建物内で囲っているような状態だと。
テールベルト空軍が“飼っている”天才博士、ハインケル。どうしてそれが恐怖をもたらすのか、今手にしている情報だけでは理解が及ばない。
どういうことだと問いかけようとしたソウヤは、何度か言葉を飲み込みながら思案しているイブキの背後に影を見て、慌てて背筋を正した。完璧な角度での敬礼を見て、イブキも反射的に礼を取る。
「お疲れ様です、艦長」
白髪交じりの黒髪を撫でつけた細身の男性――イセ一佐は、ソウヤの所属するイセ隊の艦長その人だ。いつも糊の利いた軍服を纏っており、鷲を思わせる鋭い眼光が厳格さを際立たせている。若い頃はソウヤと同じく特殊飛行部で戦闘機パイロットとして活躍していたが、今では戦闘の前線を退いて指揮官としての手腕を発揮していた。
その彼にぎろりと睨みつけるように見られて、ソウヤは首の後ろがちりちりと焼けつくような感覚を覚えた。イセ隊に所属してもう長いが、入隊当初からこの眼差しは苦手だった。派手に叱りつけられた方がよほどマシだ。
落ち着かなさを感じるソウヤ達を追いつめるように、イセの視線が二人を確かめように追っていく。
「こんなところでなにを話している?」
「は。他愛ない世間話です」
「報告しろ」
重たい声が、偽りを述べることを許さない。
心配そうに見上げてくるイブキは、胸にぶら下がる美少女を握り込んでそわそわとしていた。
ぐっと拳を握り込んだのは無意識だ。彼を前に真実以外を口にするとき、いつも相当の覚悟が強いられる。
「ここにおりますイブキ一曹がパイロットスーツの新開発にあたるとのことで、現役パイロットとして要望等を――」
「ソウヤ一尉、忘れたか? いつも言っているから覚えていると思うが、俺は嘘が好きじゃない。お前達がなにを話していたのかは、大方想像がつく。こう言っても、まだスーツの話を報告するか」
「……申し訳ございません、艦長。お察しの通り、ヒュウガ隊の件に関することについて話を伺っておりました」
鼻を鳴らしたイセが腕を組み、威圧的にイブキを見下ろした。イセとソウヤの身長はさほど変わらないが、背の低いイブキにとっては階級も身長も遥かに上の相手を前に完全に萎縮してしまっている。怯えたモルモットが小屋の隅で震えているような様子に、ソウヤは気づかれない程度に溜息を吐いた。
イセが相手だと、普段の調子が出ない。彼の前では借りてきた猫のようになるしかない自分に嫌気が差しつつ、ソウヤは内心舌を打った。
このイセの様子から見て、どうやら自分はマークされていたらしいと知る。先日スズヤを訪問したときからその覚悟はしていたが――なにしろ、穏便かつ正当な手段を用いた覚えはない――、それにしても一番最初にイセが出てくるとは思ってもいなかった。せいぜい監査の人間か、もう少し下のクラスの人間が忠告に来ると思っていたのだ。
不穏な動きを見せる下官を窘めるのは直属の上官が最適だと思うのは理解できるが、艦長の一佐自らのお出ましに、事の大きさを嫌でも自覚させられる。そこまでして止めたいのか。それほど探られては痛い腹なのかと、そんな穿った見方をしたくもなるものだ。
猛禽類を思わせる双眸にじろりと睨まれ、反射的に背筋が伸びた。
「その件には関わるな」
「……理由を教えていただけませんでしょうか」
「知らぬ方がいいことも世の中にはある。特に組織の中では」
「ですが、ヒュウガ隊の――」
「ソウヤ」
言いさしたところを遮られて、ソウヤは仕方なく口を噤んだ。イセの醸し出す重厚な雰囲気は、同じ艦にいるととても安心感がある。だが、ひとたび対峙してしまえば話は別だ。彼の雰囲気は、容赦なくこちらの言葉を呑み込んでいく。
何度この目に逸る心を諌められたか分からない。今よりずっと若かった新人時代、低く冷たい声に何度も叱責され、そのたびに高さだけは一人前の矜持を折られ続けてきた。思い上がるな、周りを見ろ、独りよがりでなにができる。――「半人前」と言われなくなったのはいつからだったか。