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 さらりと流れる黒髪を零しながら、シナノは揺れる石楠花(しゃくなげ)に顔を近づけた。甘い香りに包まれる。
 来週、この屋敷に他国の客人が訪れる。彼らをテールベルト式にもてなせというのが伯父の要望だった。それが一体どういった関係の相手であるのか、シナノには詮索しないだけの分別が備わっている。どんな相手でどんな会話がなされようと、シナノには関係のないことだ。見なかったふり、聞かなかったふりを徹底しなければならない。
 伯父の客にさほどの興味はなかったが、もてなすための着物や飾る生花の種類、演奏する曲目を考える時間は楽しい。相手は外国人だから、古典的な曲に加えて、向こうの音楽をテールベルト風にアレンジするのもいいだろう。

「……ハマカゼ、やっぱりお兄様に連絡を。こちらに来ていただくことは難しくても、モニター越しに見ていただくことくらいは可能でしょう? あの国に関してはお兄様の方がお詳しいもの。どんな色のお着物がいいか、選んでいただくわ」
「かしこまりました。予定を伺ってまいります」

 もっともらしく理由をつけてみたが、実のところは兄と話したいだけだ。ハマカゼもそれを察しているだろうが、従順な彼は口を挟むことなく大人しく従う。今日の夜までには兄の予定を確認し、近いうちに話す時間を設けてくれることだろう。
 その夢のような時間は、意外なことにその日の夜に訪れた。仕事を終えてひと段落したばかりなのか、夜も更けているというのに彼はまだ堅苦しいシャツを着たままだった。

「こんばんは、お兄様。お疲れのところ、夜分に申し訳ございません。ですが、ご相談したいことがございまして」
『手短に』

 凛とした声が機械を通して聞こえる。少し変質してしまってはいるが、それでも染み入るようないい声だった。自然と表情が綻ぶのを感じながら、シナノは身体をずらし、壁に掛けた着物がカメラに映るように調整した。

「ハマカゼから伺っているかと思いますが、来週、伯父様のお客様をおもてなしすることになりました。お兄様はどちらのお着物が相応しいと思われますか?」
『――向かって右。深緑のものを』
「まあ、さすがお兄様ですわ。わたくしもそう思っておりました。では、帯はいかがいたしましょう? 赤と金、それから黒が合うのではと思うのですけれど」
『黒に金と銀の帯紐を合わせればいい。映えるだろう』

 淡々と、けれどしっかりと意見を述べるヤマトに、シナノは幸福感を覚えてとろけるような笑みを向けた。モニター越しというのがひどくもどかしく感じるが、あまり贅沢は言っていられない。こうした時間すら貴重なものだ。
 小物類のアドバイスもしっかりと聞き入れ、すべてが決まった頃に、珍しくヤマトの方からこんなことを切り出した。

『来客予定は、来週だったな』
「ええ。来週末のご予定です。離れに一晩お泊りになられるそうですわ」
『では、それまでにものを送る。間に合うだろう』
「お客様に……ですか?」
『いや。シナノ、お前に。それをつけて接客にあたるといい』

 シナノの瞳が驚きと喜びの両方によって見開かれ、ゆっくりと綻んでいった。誕生日には毎年きちんとプレゼントをもらっているが、それ以外での贈り物はあまりない。ねだるようなはしたない真似もしたことがないので、こんなことは初めてだった。
 髪飾りだろうか。帯留めだろうか。なんだろうと構わない。
 幸せな気分で通話を終え、今か今かと待ち望んでいたシナノのもとにヤマトからの贈り物が届いたのはそれから二日後のことだった。立派な包みの中に納まっていたスズランを模した簪と帯留めに、温かいものが全身を駆け巡っていく。
 今この瞬間から宝物となったそれらを胸に抱き、シナノは鏡を覗き込んで簪を頭に当ててみた。銀の飾りが揺れ、黒髪を美しく飾っている。さすがは兄の見立てだ、間違いない。
 兄の寄越した尊き欠片に滲む影の存在を、シナノは微塵も気づいていなかった。胸を満たすのは喜びのみで、このスズランがなにを意味しているかなど考えもしなかった。


 美しい花飾りが揺れる。
 これならばきっと、ビリジアンからの客人も喜んでくれるだろう。




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