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ざあっと、一陣の風が二人の間を駆けるように吹き抜け、シエラの声を一部さらっていった。
だが彼女の声は聞き取りやすいため、しっかりとカイの耳まで届く。
しばし考えるようにして視線を上げた彼は、答えが浮かんだのか薄茶の双眸を優しく細めると、大きな手を彼女の頭の上に置いた。
そのまま撫でてやれば、互いの体温が触れ合った箇所から移り合い、確かな存在を教えてくれる。小さい頃何度もこうやられたことを思い出し、彼女はなに一つ変わらない彼の姿に、ほんの少し呆れを覚えた。
「無気力無関心、なにに関しても面倒くさいが十八番のシエラ・ディサイヤらしいってことだよ。さっすがオレの幼馴染、普通じゃないってな」
見上げたカイの口端が弧を描き、楽しげな響きを持つそれにシエラは眉根を寄せた。
意味が分からないと言いたげに眉間のしわを深くして、無言でそれを訴えてくる。
わしゃわしゃと頭を撫で回すカイの手を、子供扱いするなと払い除けたくても何故だかできなかった。
普段ならばためらいなく払い落としているそれが、今日だけはやけに心地よくて――失いたくないと、そう思ってしまう。
ぷかりと泡のように浮いてきた考えに、シエラは慌てて首を振った。
否定しなければ、ずぶりとその思考の海に沈んでしまいそうな気がしたのだ。
そんな海に片足を入れた彼女を引き上げたのは、まだまだ冷たい風が運んでくる春の薫りだった。ふと下を見れば、湖の水面がゆらゆらと月を映して波打っている。その沈黙を破ったのは、カイの方だ。
「それとお前はアイゼンさんとロエルさんのだいっじな娘で、それから……リアラの、誰よりも大切な妹だろ」
「……違うだろう」
「え?」
「姉君が最も大切に思っていたのは、カイ。お前だろう?」
淡々と紡がれたシエラの台詞に、目を丸くさせたカイは「困ったな」と言って微苦笑を浮かべ、ぽりぽりと頬を掻いた。
彼の言いたいことをまったく理解できないシエラが、くてんと首を傾げる。その拍子に肩にかかっていた髪がさらりと流れて、彼女の美貌にはいささか不釣合いな簡素なシャツにかかった。
月に照らされた蒼い髪は、湖面と同じ輝きを放っている。
うまく言葉が思いつかなかったカイは、今度はやや乱暴にシエラの頭を掻き回した。
恨みがましく睨み付けてくる彼女を軽く流し、願う。
どうか、この胸のうちが彼女に伝わりますように――と。
「忘れるな、シエラ。お前は神の後継者である前に、シエラなんだよ。その事実は誰にも変えられやしない」
「当然だろう。私の名はシエラだ。神の後継者が名ではない」
「……そーゆー意味でもないんだけどな」
本当に、聡いようで鈍い娘だとカイは改めて思った。
どきりとするほど心中を言い当てるときもあれば、察してくれと何度願っても空気を読めないときもある。
これを鈍感だと表せばよいのか、はたまた天然と表せばよいのか彼には分かりかねるが、それでもこれが彼女の美徳であることを祈った。
手の動きを緩めれば、指の間にするりと蒼い髪が入り込んでははらはらと滑り落ちていく。
左側の一房だけを結っている円筒状の髪留めを見て、カイが目元を和ませた。
そっと手にとって触れれば、金属ゆえに冷えたそれが手のひらにひんやりとした感覚を与える。
きらり、と色のついた石――もしかしたら本物の宝石かもしれないが、カイにはガラス石に見えた――が月明かりの下で頼りなく光るのを薄茶の虹彩で受け止め、彼はふっと息をつく。
「これ、リアラのか?」
「ああ。いつだったか、母君からいただいた。姉君が愛用していたものだ、と」
だろうな、と呟いたカイと髪飾りを見比べて、シエラは真剣な面持ちでその一房に手を伸ばした。どうしたのとかと見守っていたら、彼女は「外すから一度離せ」と言う。
なぜだと問えば、彼女は至極真面目な表情でカイが予想だにしなかった言の葉を紡ぎだした。
「欲しいのだろう?」
「……はあ? や、ちょい待てシエラ。どこをどう曲解したらそうなるんだ? つーか、オレ男だぞ」
「――姉君のものだから、ではないのか?」
己の考えに間違いないと思っていた分、予想が外れてシエラはどこか不安そうにそう尋ねた。
本人にそのつもりはないのだろうが、迷子になったような目をしている。
静かに両肩を震わせていたカイは、限界だとでも言うように吹き出して腹を抱え、店まで届くのではないかと思うほどの大声量で笑い出した。
驚いて目を丸くさせるシエラをちらりと見て、さらに彼はけたけたと笑う。