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 さくさくと、歩くたびに地面が唄うように音を立てる。
 春先とは思えない寒さにカイはひとつ身震いし、アスラナ王国の気候をほんの少し疎ましく思った。確かに四季は存在するが、アスラナ王国の冬は長く反対に夏は短い。
 広大な領土を誇る国だからこそ、南へ下れば確かに夏の長さは変わるが、全体的に見て寒い時期が多いのは一種の国風だった。
 彼が向かっている場所は、店の裏にある小高い丘だ。
 もう少し暖かくなればそこには一面黄色い花――彼はその花の名前を知らない――が咲き乱れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
 リーディング村を一望することのできるその丘の真下には、大きな湖がある。

 その湖は、ぶらりと姿を消したシエラがよく訪れる場所だった。だから今回もそこにいるだろうと踏んで、彼は丘を目指す。
 ゆるやかな傾斜を登り、丘の頂上を見れば風に遊ばれるようにしてなびく蒼い髪が目に飛び込んできた。
 月明かりに照らし出された姿は華奢で、ひどく儚げだが簡単には折れない強さも秘めている。ぼんやりと月を見上げているシエラに向かって、彼は小さく声をかけた。

「――シエラ」

 呼べば、シエラはゆっくりとした動きで振り向き、風にさらわれる髪を片手で押さえながらカイを見た。
 猫のような金色の瞳が無感動に光を弾いてカイを映し、そして紅を引いたわけでもないのに赤い唇を開く。その唇は、薔薇の花びらを溶かしたようだった。

「……カイか」
「オレで悪かったな」

 苦笑交じりにそう言えば、シエラは訝しげな表情で軽くねめつけてきた。彼女の唇から零れ落ちた声は女性にしてはほんの少し低く、男性にしては高い中性的なものだ。 
 耳にとても心地よく、静かな水面に小石を投げ打ったときにできる波紋のように、広く心に染み渡っていくようなそんな声。

「別に。誰であろうと構わない」

 そう言って再びシエラは視線を夜空へと戻す。金の双眸に映るのは、白銀に煌く満月と小さな星々だ。
 今にも降り落ちてきそうなそれらは、手を伸ばせば届きそうな錯覚を与えるくせに、どれほど渇望したところで届きはしない。
 まるでシエラのようだと、カイは思った。
 一歩彼女に近寄って、おもむろに手を伸ばす。流れてくる髪を手にとって上から梳いてやれば、さらさらとした絹のような手触りがある人に似ていることに気がついた。つきんと痛み出す心に気づかないふりして、カイはそっと目を伏せる。
 しばらくそれを繰り返していると、ようやく彼女の視線がこちらに向く。胸に宿った痛みを隠すように、彼は口を開いた。

「戻らなくていいのか?」
「酔っ払いの相手をするのはごめんだ」
「……まったく、お前らしい答えだな」

 手を口に当て、くつくつと喉の奥で笑えばシエラの視線が痛いほど真剣なものになったのが肌で感じられた。
 いつもとはほんの少し違う光を宿す金の瞳は、迷いなくカイを射抜く。
 決して逃げられない呪縛のように、その目を逸らせなくなった。


「――私らしいとは、なんだ?」




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