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「多分無意識だったんだよ、あのとき。一回きりの力の放出ってとこかな」
「あとは徐々に力をつけていくだけ、だと思います。そうすれば、暴走することなく意のままに神気を使いこなせるはずですから」
「まったく記憶にない、な……」
「今はそれでも構いませんよ。大事なのはこれからです。しっかりと基礎を固めていけば、すぐに自信がつきますよ」

 ぞくりと背筋に寒気が走る。
 ――喜ぶべきなのだと思う。意識下のことではなかったとはいえ、自分にはきちんとした力が備わっていて、しかもそれを使ってライナを助けることができたのだから。
 しかし心は上手く喜んでくれず、知らない間に動いていた体に対する恐怖が芽生え始めていた。
 勝手に動き、勝手に紡いでいた言葉。確かに自分のものであるはずなのに、自分の意思は存在しない。
 掛け布をぎゅっと強く握り締めたシエラは、ライナが嬉しそうに――だがどこか困ったように眉尻を下げつつ――礼を言うのを聞いて、どうにもいたたまれない気持ちになった。
 口でははっきりと説明できないが、靄が胸の辺りで痞えているような、奇妙な感覚だった。
 ひんやりとしたライナの手が頬に添えられ、母のように自愛に満ちた微笑を向けられた。彼女の瞳の中で頼りなく揺れる己の姿に、シエラは再び下を向く。

「あ、ねえ。お客さん、来たみたいだよ?」
「え?」

 病室の扉にある磨りガラスには、暁色が映っていた。朝焼けの鮮やかなそれにはシエラもライナも見覚えがある。
 入るかどうか迷っているらしいその人影は、しばらくの間ゆらゆらと揺れて一歩を踏み出そうとしなかった。見かねたラヴァリルが小走りで扉まで行き、勢いよく引き開ける。

 小さな悲鳴と共に小柄な少女がたたらを踏んで部屋に雪崩れ込み、同じく驚いたような顔をしている青年が咄嗟に手を伸ばしていた。
 こけそうになる一歩手前で青年に支えられた少女は、体勢を立て直すと状況を把握して顔を紅潮させた。青年に縋るような目を向けるが、彼は部屋に女性だけしかいないことを確認すると、ひらひらと手を振ってどこかへ行ってしまった。
 泣きそうになった少女を、ラヴァリルが半ば強引にシエラの近くへと招き入れる。

「あ、のっ、えっと……。こん、にちは」
「……ああ」
「…………」
「もーう、なに二人ともだんまりしてるの? ほらほら、セルちゃんもこっち座って。あ、それお土産? ありがとー! さっそく淹れてもらってくるね」

 しん、と静まり返りかけた空気を、ラヴァリルがいとも簡単に防いでみせる。少女――セルラーシャから紅茶の入っているらしい紙袋を奪い取った彼女は、一同が唖然とするのも構わずに侍女を呼びに行った。
 猪突猛進暴走娘の名を欲しいままにする彼女らしいが、居心地のよいとは言えない中で残されたシエラ達にとっては少々迷惑な話である。

 シエラは、困惑するライナの隣で俯くセルラーシャをちらりと見た。癖の強かった暁色の髪は、長さを失って今や少年のように短く切り揃えられている。
 しかしその分顔立ちがはっきりと浮かび上がってきていて、以前よりもこちらの方が似合っているような気がした。
 そこでふと、彼女の指先が震えていることに気がつく。心の機微に聡いとは言いがたいシエラでも気がついたのだから、ライナはとうの昔に気づいているだろう。案の定、丸い瞳はふよふよと空を泳いでいた。

「セルラーシャ、貴方はどうしてここに?」
「ラヴァリルさんに呼ばれて……。その、やっぱり、もう一度、謝りたくて」

 尻すぼみになっていく言葉は不安を多分に含んでいたものの、そこに迷いは感じられない。怯えから生じる震えをなんとか押さえ込もうとしているセルラーシャの手は、指先が白くなるまできつく握り締められている。
 その光景に見覚えがあって、シエラはよく冷たいと言われる双眸を大きくさせた。

 幾度となく目にしたことがある。
 内なるものを堪えようと、手のひらに残った矜持を取り零さないようにと、硬く閉ざした拳は最後の意地の象徴のように思う。
 覚悟を決めたようにセルラーシャは前を向いて真っ直ぐにシエラの目を見て、勢いをつけて頭を下げた。すっかり短くなってしまった暁色の髪が、申し訳程度に揺れた。

「ごめんなさい! ひどいことまで言っておいて、今更虫が良すぎるっていうのも分かってる。でも、今はほんとにそんな気持ちまったくないんです! 今思い出すだけでも、なんであんなことできたのか分からなくって……ぞっとする。あのとき、なんだか私が私じゃないみたいで――これも言い訳にしかならないって、分かってるけど」

 でも、とセルラーシャは続ける。

「あなたが言った『守りたい』って言葉、信じてるからって、どうしても伝えたかったの」
「え?」
「あんな目にあっても、誰かを守りたいって言えること、すごいなって思って。実際あなたは、ルーンを傷つけた魔物を倒してくれた。……私達を、守ってくれた。ありがとう、後継者様」

 セルラーシャに握られた手が、自分でも妙だと思うくらい温かかった。向けられた微笑みは無垢で優しく、あのとき見た嫌悪の感は一切感じられない。
 彼女は震える声で何度もありがとうと繰り返し、神に祈るように握ったシエラの手を額に押し付けていた。
 彼女の伏せられた瞼の隙間から、透明な雫が頬を伝い落ちていく。途端にどうすればいいか分からなくなって、シエラは助けを求めるようにライナに視線を送る。
 するとライナは仕方ないといった風体で苦笑して――けれどそれはとても穏やかだった――、優しくセルラーシャを抱き締めた。その自愛に満ちた眼差しが母と酷似していて、シエラは少しどきりとする。
 かける言葉が見つからないシエラの代わりに、ライナがゆっくりと諭すように彼女を宥めていた。

 口下手なことは自覚しているが、それが不便だと思ったことは片手で数えても余るほどしかない。
 それなのに今はそのことが痛烈に口惜しく感じて、シエラは握られた手を微動だにせずに視線だけを下げた。



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