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 それからしばらく、少し落ち着いたセルラーシャと他愛もない会話をし、店の様子やルーンの状態などを聞いた。
 無論、シエラから話を切り出すことはなく、一方的にセルラーシャが話したり質問したりして、それにシエラが相槌を打ったり短く返事を返したりするだけという、非常にぎこちないものであった。

 そうこうしているうちに、金の盆に人数分のカップを載せてラヴァリルが戻ってきた。
 華やかな紅茶の香りを含んだ湯気の奥で、宝石に似た瞳が楽しそうに笑っている。まばゆい蜂蜜色の髪は見るからに彼女を活発そうに見せ、明るい人柄をよく表している。

 ラヴァリルから紅茶を受け取ったセルラーシャは、兎のように真っ赤に染まった目を擦って涙の跡を消そうと努力しているようだった。
 ふとした瞬間に目が合って、訳もなく罪悪感が波のように押し寄せる。
 一体なにに対して罪悪感を感じているのだろう。一人静かに混乱し始めるシエラに感づいたのか、紅茶を飲み終えたライナが不思議そうに呼びかけてきた。

「シエラ? どうかしましたか?」

 寝起きに話し込んだものだから、疲れたのかも――とラヴァリルが首を傾いでいる。申し訳なさそうに顔を歪めたライナの姿に、突如として赤が重なった。
 止める術など知らない、どろりとした深紅の液体。大きく口を開ける恐怖とは反対に、どんどんと狭まっていく生の道。


 ――ああそうか、怖いのだ。守ることも、守られることも。


 セルラーシャの発言を受けて、もしもあのとき躊躇わなければ、と一瞬なりとも考えてしまった。あのとき、ライナの言うように落ち着いて力を発揮していれば、彼女は傷つくこともなかったのだろう。
 躊躇さえ、しなければ。

「また、逃げるつもりですか」

 降ってきた言葉が理解できず、シエラは顔を上げた。見上げた先には、ライナが怒ったように目を細めて腕を組んでいる。
 愛らしい容貌には不釣合いな高圧的な態度に、ラヴァリルが間の抜けた声を出して驚いていた。

「初めて会ったときの、あの強気な貴方は一体どちらに? 己が身を挺してでも兵士達を守ろうとした、貴方は偽りだったとでも? ……ねえ、シエラ。ここに来てから、貴方はずっと下ばかり向いていますね。でも貴方に必要なことは、足元を見ることではなく、前を見ることではありませんか?」

 貝のように口を閉ざすシエラに構わず、ライナは真剣な表情で口を開く。

「どうか、現実から目を逸らさないで。セルラーシャが言ったように、わたしも『守りたい』という言葉を信じています。だからそれを、嘘になんてしないで下さい。それにわたしも――いいえ、わたし達も、貴方を守りたいと思っているんですよ」

 ただの綺麗事。そんな言葉が脳内に浮かんだが、シエラはどうしても口にはできなかった。耳に滑り込んできた声が、あまりにも優しく胸を締め付けたからだ。
 何事もなかったかのように平然と紅茶の差し湯をするライナの目元が、ほんのりと赤くなっている。

 訪れた沈黙に気まずそうに頬を掻いていたラヴァリルが、突然はっとして扉を振り返った。あまりの機敏な動作に、誰もが目を丸くさせる。
 どうしたの、と尋ねるセルラーシャの口を扉から目を離さずに手で塞いだ彼女は、いつになく真剣な様子で神経を研ぎ澄ませていた。

 まさか刺客でも――と緊張状態に包まれた室内に、彼女の靴音が小さく響く。急激に静まり返ったその場所は、廊下から聞こえてくる侍女達のかすかな話し声さえも聞き取ることを可能にしていた。
 ひゅうう、と窓に吹き付ける風の音が鼓膜を叩く。

「どうしたんですか?」
「――リースのにおいがする」
「…………はい?」
「距離およそ五十レマ(メートル)、現在三つ目の角を曲がった辺りと見た! 待っててね、リース。今行くからーー!」

 言うが早いか、現状を理解できずに呆けているシエラ達を放置してラヴァリルは部屋を飛び出していった。
 うおおおおう、とやけに男らしい雄叫びに重なる靴音と、侍女達の驚く声がシエラ達の意識をようやく現実に引き戻す。

「なん……なんでしょう、一体」
「さあ……」
「においって……犬じゃないんだから」

 嵐のように去っていったラヴァリルのおかげで一変した雰囲気に、彼女達は顔を見合わせて苦笑した。
 くすくすと肩を震わせて笑っているセルラーシャが、口角を弛ませて呆れ顔のシエラを見上げる。どこか挑戦的な目をした彼女は、びしっと指を突きつけて胸を張った。

「私っ、騎士様のこと諦めないからね!」
「騎士様――エルクのことか? しかしそれをなぜ、私に言う?」

 きょとんと子供のような表情で首を傾げるシエラを見て、ライナが腹を抱えて大笑いし始める。ひとしきり笑った彼女は、むくれるセルラーシャを宥めて眦に浮かんだ涙を拭った。
 笑われる理由も拗ねられる理由も分かるはずがなく、シエラは一人眉根を寄せる。
 そうしているうちにエルクディアの姿を見ていないことを思い出して、彼女はなんとはなしに呟いた。

「そういえば……エルクはどうした?」

 人一倍面倒くさがりなシエラは、悩むのも面倒だと結論付けて無理やり解決させた。

 守るのも守られるのも慣れていないけれど、それでもやれるだけのことをやろう。
 それ以上を望んだところで、実力以上のことはどう足掻いてもできないに決まっている。
 それは少々強引な考えではあったけれど、己自身を納得させるには十分だったらしい。

 シエラの問いかけから間髪入れずに「待てラヴァリル、廊下を走るな!」というエルクディアの怒号が廊下から響いてきて、彼女達は再び笑みを零したのだった。



+Fin+
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