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 言いよどみつつも答えたエルクディアは、窓の外に目をやって視線が絡むのを誤魔化した。
 無理もない、とユーリは表情には微塵も出さずに苦笑する。
 神の力は人智を遥かに凌ぐものだ。人の及ばぬ尊い力。どう足掻いたところで太刀打ちできない力を前に、恐怖を覚えない人間などいるはずもない。
 それも暴走した力を前にしたのだから、なにも感じないという方がおかしいだろう。
 そこまで考え、青年王は微苦笑を浮かべた。もしかするとこれは、予定外の出来事なのではないだろうか。
 手の中に視線を落とすと、持っていた駒は偶然にもナイトだ。
 向かいにいる騎士に目をやれば、彼はどこか不機嫌そうに窓の外に意識を向けている。なんとはなしに自分も外を見れば、窓辺に小鳥が一羽止まっていた。

「おや、見たことのない鳥だね」
「確かにこの辺じゃ見かけないな。渡り鳥か?」

 さあ、どうだろうね。含みを持たせて笑い、漆黒の小鳥から目を離す。
 深い緑の双眸はこちらをじいと見ていたが、ユーリはそれを見つめ返す気にはならなかった。
 どうせならそんな鳥よりも、美しい女性と視線を絡ませたいと思ったからだ。

 エルクディアは黙ってその小鳥を観察しているらしく、部屋には沈黙が下りてくる。決して居心地の悪くないその空間に、青年王は静かに瞼を伏せた。
 だが三つ数えぬ間に、やや乱暴に扉が叩かれる。不思議に思って返事をすれば、外から慌てた風情の侍女が二人、雪崩れ込むように姿を見せた。

「御前を失礼致します、陛下。まあ、エルクディア様もこちらに! ではご報告申し上げます。神の後継者シエラ・ディサイヤ様、つい先ほどお目覚めになりました!」
「体調に異常なし、怪我もなさっていないようです。今はライナ神官と、ハーネット殿がご一緒に」
「本当か!」
「はいっ、確かにございます。それでは、わたくしどもはこれで」

 よほど気が高ぶっていたのだろう。二人は王であるユーリの許可も待たずに部屋を飛び出し、シエラの目覚めを城中に告げ回っていった。
 遠ざかっていく足音を聞き、ユーリは肩の力がすっと抜けていくのを感じた。エルクディアにいたっては、天を仰いで安堵の息をついているほどだ。
 陽光に照らされた金髪がきらり、と綺麗に光を弾く。己の銀とは正反対のその色を、青年王は優しい眼差しで眺めた。

「――行っておいで」
「え?」

 きょとんとするエルクディアに、もう一度同じ台詞を投げかける。

「行っておいで、エルク。蒼の姫君のところに。キミも一応怪我していたんだし、きっと心配しているよ。安心させておやり」

 キミが安心するために――とは言わなかった。言ったところで、エルクディアには意味のないことだと知っていたからだ。
 本人もすぐに向かうつもりだったのか、表情を綻ばせて踵を返す。
 そのまま出て行くのかと思っていたら、彼は取っ手に手を掛けたところでぴたりと足を止めた。
 衣擦れの音が耳朶を揺すり、新緑の双眸が真っ直ぐに向けられる。

「そうそう、言うの忘れてた。お前、最近寝てないだろ。シエラももう大丈夫みたいだし、しっかり寝ろよ? お前に倒れられたら、困るのは俺達の方なんだから」

 言い残してパタン、と扉が閉まる。一人残されたユーリはぱちくりと何度か瞬いて、浮かんでくる笑みを隠そうともせずに玉座に体を預けた。
 だらしなくもたれていても、それを注意する者はここにはいない。
 目を閉じればどこからともなく睡魔が攻め入ってくる。確かに疲れてはいたが、気づかれるようなものではなかったはずなのに。
 ましてやずっと眠っていないことなど、青年王本人しか知らないはずである。
 だが長年の付き合いであるエルクディアには、あっさりと見破られてしまった。

 ――さすが、と言ったところかな。
 くすくすと笑いながら、彼は顔を腕で覆い隠した。その表情は誰からも読み取ることなどできず、窓の外からでさえも見ることは不可能だ。

「まったく……随分と、楽しくなってきたものだ」

 閑散としたその部屋に、小鳥の羽ばたく音だけが妙に大きく木霊した。


+ + +



 薬品のにおいが充満している部屋にやってきた途端、ラヴァリルはだらしなく顔を歪めた。
 ライナの注意にも耳を貸さず、彼女は窓へ一目散へ駆けていって丹念に磨かれた窓ガラスを開け放つ。
 少し開けていただけでも十分な空気が入ってきていたそこからは、全開になったせいで外気がひゅ、と入り込んでくる。
 突然の風に煽られて驚いた侍女の悲鳴を聞いて、ラヴァリルはすまなそうに肩を竦めた。

 ライナに諌められ半分ほど窓を閉めた彼女は、しばらく外を眺めたのちにシエラの傍らに置かれていた椅子へ腰掛けた。
 侍女は乱れた髪を直しながらこちらに向き直り、姿勢を正して深くこうべを垂れると「なにかありましたらお呼び下さい」と言い残して隣室へと消えていった。
 足音が聞こえなくなった頃、ライナが小さく息を吐く。

 目が覚めたとき、一番最初に聞いた声はライナのものだった。朝の挨拶の決まり文句が、あれほどまでに胸を温めたことは未だかつてないだろう。
 銀の髪が揺れ、大きな丸い瞳に自分の驚いた顔が映り込んでいたのを見て、シエラは思わず瞼を下ろした。

 夢だと思った。幸せな、なによりも尊い夢なのだと。
 右胸を貫かれたライナの傷は、医者でなくとも致命傷だと判断できた。だから彼女がこうして微笑んでいるということは、夢に違いないと解釈したのだ。
 だが不思議なことに、優しい声は少し速くなってシエラと名を紡ぐ。控え目に肩を揺さぶられ、ようやくそれが現実であることを察したのは時計の長針が、今とちょうど正反対にあった頃だ。

 慌てて起き上がろうとしたシエラを宥めすかし、ライナはゆっくりとシエラが眠っていた間に起きたことを語り始めた。
 話を聞くうちに、シエラは己の記憶が途中からふつりと途切れていることに気づいた。
 最後に覚えがあるのは、ライナが倒れたところまでだ。それを聞いたライナとラヴァリルは互いに顔を見合わせ、一部始終を話してくれた。

 双子の人狼のうち、片方はシエラが自ら祓魔したこと。ライナの傷は、シエラの神言によって回復したこと。
 それにより、すべてが終わってエルクディアが戻ったときにはすでに、ライナは脈も元通りになっていた――ということなど。
 神気が暴走したと聞いて、正直シエラはいい気がしなかった。思い出そうとすれば、ずきり、と鈍痛がこめかみに宿る。
 上体だけ起こしてこわごわと己の体を見下ろしてみたのだが、なにも変わったところはない。両の手を開いたり閉じたりしてみたが、それでも違和感は感じられなかった。



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