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そして今日、夢見月もそろそろ終わろうかというこの日が、彼女が神の後継者としての本格的な修行のために王都へと旅立つ日であった。
昼間では彼女の姿はあまりにも目立ちすぎ、不届きな輩が命を狙う可能性もある。そのため、王都からの迎えは夜に設定された。
王都からの使者と共に村から一歩でも足を踏み出せば、彼女はもう二度とこの村に戻ってはこれない。
実の親でさえも面会が許されないのは、神となるときに私念が働かないようにという古からのしきたりらしい。
よって、王都からの迎えが来るまでが彼女に残された村に入れる最後の時間だった。
村人全員が村の西端にある少し大きな酒場で彼女の送迎会なるものを開いていたのだが、そこに彼女の姿は見えない。
大人達はとうに酔いつぶれていて、そのことには気づかない。気づいているのは、彼女の両親と幼馴染の青年だけだった。
「……カイ、どうかお願いがあります」
「アイゼンさん?」
「あの子に。シエラに、幸福を――と」
アイスブルーの瞳に涙を称え、震えた声で女性が言う。その女性こそ、神の後継者であるシエラの母親だった。彼女の傍らで肩を抱く男性、それが父親だ。
アイゼンに声を掛けられ、シエラの幼馴染であるカイがゆっくりと目を向ける。
グラスを握る己の手が僅かに震えていることに気がついたのは、そのすぐあとのことだった。
「わたしたちの、愛しい娘、と……っ」
ふわり、と笑んで幾筋も頬に涙を伝わせるアイゼンは、聞く方が胸を締め付けられるような涙声でそう言うと小刻みに肩を震わせて天井を仰ぐ。
涙を零さぬよう努力しているのだろうが、その努力が報われることはなかった。
あとからあとから溢れてくる涙をそっと拭う彼女の夫、ロエルは困ったように笑ってカイを見る。
知性的な面立ちの裏側で、行き場のない感情が渦巻いていることを悟り、カイは静かに目を伏せた。
伝えて、と全身で語りかけてくるアイゼンに首肯して、カイは心中で不謹慎だと思いつつひっそりと笑みを零した。
見れば見るほど、そっくりなのだ。
今は姿の見えない、あの少女――と呼ぶには少し大人びている――に。
シエラの切れ長の瞳は、父親であるロエルに。高すぎず低すぎずの整った鼻梁は、母親であるアイゼンに。
本当によく、似ている。
一見穏やかで大人しそうな印象を与えるアイゼンだが、その実とても負けず嫌いだ。
ちょっとしたことで唇を尖らせ、無理だと思うことでも挑戦しようとする。
そんなアイゼンを支えるロエルは、なにもかも完璧な文武両道の人間に見えるが、その体力は妻であるアイゼンと肩を並べる程度である。
似ていないようでこの親子、外面内面ともによく似通った部分がある。
それに気がついているのは一体どれだけの人間だろうとふと考え、カイは苦笑して木製の椅子を引いた。
立ち上がり、椅子を元の位置に戻すと彼はそのまま戸口まで大股で歩いていく。途中、「どうしたんだい」と何人かに声をかけられたが、カイは笑って誤魔化すとアイゼンを真っ直ぐに見つめ、言った。
「ちゃんと、伝えておきますよ」
きぃと木の扉が軋み、その隙間を縫うようにして入ってきた冷たい外気が肌を撫でるのと、アイゼンの瞳が大きく揺れたのはほぼ同時だっただろう。
ロエルの会釈を最後にカイは店から出、もう一度きぃと音を立てて扉を閉める。
その際、ちらと見えた星空は今まで見た中で一番綺麗だと思えるほど、美しく輝いていた。
変わらず人々の話し声が続く店の中、ロエルに肩を抱かれたアイゼンがひくりと喉を震わせて無理やり唇を笑みに形作ると、小さく呟く。
「さようなら……わたしたちの、大切な宝」