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 イェランの放った黒炎の球が、寸分の狂いもなくエルクディアの正面を襲った。
 喉の奥から零れたシエラの小さな悲鳴は、ライナによって施された簡易結界の詠唱が掻き消す。
 両手で剣を斜めに構え、結界の力を借りてなんとか黒炎を防いだ彼は、眉間にしわを寄せて大きく舌を打った。
 消失した黒炎を見て、イェランが少し意外そうな顔をして笑う。

「案外頑張るね。ねえ、イェスタ?」
「そうだね、イェラン。でもさ、やっぱりそれも時間の問題」

 ライナとエルクディアに庇われたまま、シエラは真っ直ぐに見据えてくる深紅の双眸を受け止めた。
 だんだんと深く染まりゆく空の下、一層の輝きを増す赤い瞳。そこに映り込んでいるのは、ほんのうっすらと光を放つ金の瞳だ。
 魔物を映すときだけ、こうしてこの瞳は人の力を超える。それが少し恐ろしく、おぞましいと思ってしまった。
 小さく息を呑んで胸元のロザリオを握り締める。目の前で、エルクディアの剣が縦に一閃を描いた。

「あらら。あたし達、けっこー不利? じゃあ、仕方ないね。あたしがちょっと頑張っちゃおうかな!」

 ジャキン、と重たい金属音と共に満面の笑みが向けられた。その瞬間、ぞわりと全身が総毛立つ。
 ラヴァリルはまるで子供のような顔をして笑う。どうしてこの状況でそのような笑顔を浮かべることができるのか、シエラには微塵も理解できなかった。
 ただ一つ言えることは、自分はあまりにも無力だということ。

 鼓膜を破らんばかりの勢いで放たれる銃声に、ライナが一瞬体を強張らせる。しかし彼女の唇が閉じて塞がることはない。エルクディアを――否、皆を守るため、結界の強度を保とうと必死なのだ。
 シエラは震える膝をなんとか押さえ、混乱してしまいそうになる頭を精一杯落ち着かせて考えた。
 できることはなんだ。なにかあるはずだ。
 考えれば考えるほど剣の打ち合い、銃声が耳の奥にこびり付いて思考を妨げる。

「あーあ、騎士ばっかりじゃ飽きちゃった」
「だよね。そろそろ、後継者と遊びたい」
「遊んでよ。綺麗なお人形さん?」
「なっ――!」

 瞬き一つ分のうちにイェスタが高く跳躍する。

「<守壁!>」
「おっと。イェラン、この神官邪魔」
「ほんとにね。なんだかいらいらしちゃうね」

 一度神聖結界を破棄し、瞬時に簡易結界を張り巡らせたライナは、額に浮かぶ珠の様な汗を拭って聖水へ手を伸ばしていた。
 シエラへ鋭利な爪を突き立てようとしていたイェランが不満そうに唇を尖らせ、弾かれた指先を見てさらに渋面を濃くする。

 ちょうどエルクディアとライナに挟まれる形で地面に足をつけたイェスタを、鋭いエルクディアの突きが襲う。
 しかし挟まれている状況なのは彼の方も同じで、背後から放たれる黒炎を避けることで手一杯だった。
 ラヴァリルが標準を合わせようとするも、素早い動きのせいで銃口を唸らせる瞬間に迷いが生じている。
 知らぬ間にぼんやりとしていたのだろう。エルクディアの大きな叫びが聞こえた瞬間、イェスタの隙間を縫って伸ばされた腕がシエラの手首をしっかと掴み、思い切り引き寄せられた。

 急に走った鈍い痛みに反射で視界が滲んだが、目の前に広がっているのは漆黒に似た深い藍色だった。呼吸がしにくい。
 加えて鼻が圧迫されていてずきずきと痛く、すぐ耳元で聞こえる心音に、抱きとめられたのだと理解した。
 ついで感じた鉄の香に、どくりと心臓が震える。

「エ、ル……」
「頼むからしっかりしてくれ。俺達が守ってやるって、言っただろ?」
「お前、怪我して……」
「大丈夫。こんなもの、怪我のうちに入らないよ」

 ゆっくりと離されたエルクディアの体から、さらに鉄の香を濃く感じる。その香りを辿るように視線を下げれば、彼の脇腹が赤く抉れていた。
 ぽたぽたと音を立てて血が流れているというのに、どこが大丈夫だというのだ。怪我も怪我、大怪我だ。
 それを負わせてしまったのは、自分の不注意に他ならない。

 不甲斐なさと罪悪感に俯くも、視界の端で揺らめく黒炎が気になってそれどころではないことを悟る。
 エルクディアはシエラを半ば無理に庇ったのだろう。筋を痛めたのか、しきりに肩の辺りを気にかけていた。だがシエラが気になるのは脇腹の方だ。
 無残に裂けた軍服の切れ端には血が赤黒く染み込み、発色のいい肉の色がうっすらとだが露わになっている。
 せめて止血でも、と思ったのだが包帯などない。頭がどうすべきかと考えるよりも先に、体が勝手に動いていた。

 胸元に仕舞い込んでいた白いハンカチをくわえて、思い切り引っ張った。びりり、と甲高い音がして布が縦に裂ける。
 それを交互に繰り返して長い包帯のようにすると、シエラはほんの少し驚いた風体のエルクディアの腹部へ巻きつけた。
 粗雑ながらもしっかりと巻かれた白いそれに、あっという間に赤が滲む。

「助かるよ、シエラ。あとは任せて、お前は下がってろ」
「だが、このままでは祓魔など……」
「ええ、できません。貴方がやらない限りは。だからシエラ、落ち着いて下さい。聖水を作ったときと同じですよ。どのように魔を祓うかを具体的に想像し、それを言葉にして盟約を結ぶんです。大丈夫、わたし達が必ず、貴方を守ってみせますから」

 その間にもエルクディアは新たにイェスタと一戦を交えている。長い爪を叩き折ろうと振り下ろされた長剣を難なくかわしたイェスタは、人を超越した脚力をもってして彼の懐に一気に入り込んだ。
 傷を受けた脇腹に狙いが定められるが、背後の隙を利用して彼は剣の柄をイェスタの後ろ首に叩きつける。
 体勢を崩したイェスタにラヴァリルの銃口が向けられ、息つく暇も与えずに銀の弾丸がその右胸を狙った。
 すんでのところでイェランの黒炎が弾丸を焼き尽くしたが、焦っているらしいことは目に見えて分かった。



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