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 さすがに剣の柄に手を伸ばした兵士らを制し、ユーリは優雅に微笑んでみせた。
 労いの言葉をかけてやれば、少女は面白いくらいに顔を真っ赤に染め上げて――羞恥と安堵によるものだろう――、眦に光るものを溜めていた。
 それが実に面白い。――そう思うのは女官長の言うように、よい趣味ではないだろう。
 青年王は手元の書類を一枚手に取ると、光に透かすようにして文面をじいと眺めた。
 それは先日上奏された魔物の報告書だ。数枚の報告書に記された魔物は、おそらくすべて同一のものだろう。しかし、一枚を除いてそれら報告書には『報告者名』に記述はなかった。

 唯一記されていた名前、それが『ルーン・バーム』だ。

 あまりにもできすぎている、と青年王は漏らす。まるで今までの発見報告は「見つけて下さい」と触れ回っているようなものだ。
 これまで二匹の人狼が人間に危害を加えたことはない。王都に魔を表す逆五芒星を描いたことも、こちら側が標的に気づくよう故意にされたものと考えられてならない。
 最初の発見報告――ルーンのものだ――以降の報告書には、決まって同じことが記されていた。

「……『後継者ハドコ』か。本当に、随分と親切な魔物だね」

 ――いっそ、目障りなほどに。
 ぐしゃりと握り潰された書類が小さく悲鳴を上げた。そのまま机の隅に放置し、ユーリは別の書類に目を通そうとして手を止める。大仰に息をつき、花瓶の置かれた窓辺に目を馳せた。
 影を見つめて、どこか困ったように眉尻を下げる。

「蠍(サソリ)でも放とうか。――さて、どう思う?」

 一人しかいないはずの部屋でなされた問いかけは、当然答えを受け取ることはない。
 ただしその代わり、窓辺で花の影がゆらりと揺れた。


+ + +



 ――呼ばれた。
 そう感じたのは、その日のいつになく早く感じた夕暮れ時だ。
 真っ赤に染まった太陽が、辺りを深紅に飾り立てている。どこか物寂しい雰囲気に包まれたクラウディオの一角は、静かに波乱の始まりを告げていた。
 シエラは視界の端に、揺れる猫の尾を捉えた。鉢植えを容赦なく蹴り倒し、塀の上を駆けていく姿は、沈む船から我先にと逃げ出す鼠のようである。
 猫を鼠に喩えるのはどこかおかしな気もしたが、それを訂正している余裕はない。
 なぜなら、レンガが砕ける音と小さな子供の甲高い嘲笑が、容赦なく鼓膜を叩いているからだ。

「後継者、みーつけた」
「今度は本物?」
「うん。間違いないよ。髪も蒼いし、騎士もいる」
「神官もいるね。それに、魔導師までいるよ」

 歌うような笑声に、隣でエルクディアが舌打ちした。大きな布に穴を開け、頭からすっぽりと被った貫頭衣の裾をひらひらとなびかせて子供が二人、駆けていく。
 だがそれが人の子ではないことくらい、容易に判断がついた。人間ならば、壁の側面を走ることなどできはなしない。

 腹の立つことに、息を切らすシエラとライナに合わせるかのように彼らは逃げる速度を時折落とす。
 振り返ってはまた走り出すこの鬼事のような逃走劇は、今から一時間ほど前に始まった。



 グローランス紅茶店で仮眠を取っていたシエラの頬に黄金にも似た光が降り始めた頃、ライナは日の暮れ始めた外を見て「そろそろでしょうか」と呟く。
 シエラに聖水を手渡しながら、彼女はどこか緊張した面持ちで息をついた。ラヴァリルも銃の手入れが終わったらしい。

 そろそろ外に出ようかというところで、シエラの背筋にびりりと痺れるような感覚が走り抜けた。はっとして窓の外を振り仰げば、そう遠くはない場所で火柱にも似た魔気が爆発し、空に立ち昇る。
 窓ガラスを振動させるその強大さに、魔気を感じることのできないエルクディアでさえもが異変に気がついた。

「魔気の爆発、ですか。誘われてますね」
「どうするんだ?」
「迂闊に飛び出すのは危険です。ここはしばらく様子を見ましょう」

 冷静なライナの一言を頭の片隅で聞きながら、シエラは王都へやってくる途中にも感じたあの眼球が引きずり出されるような感覚を覚えた。
 ぐっと瞼に力を入れなければそのまま抜け落ちそうになる目を、無意識のうちに手のひらで押さえつける。
 しばらくしてその痛みが治まった頃、瞼を押し開けた先に見えたのは塀の上に裸足で立つ二人の子供の姿だった。
 燃えるような赤い双眸が真っ直ぐにこちらを射抜く。無邪気な笑みは恐ろしく思えるほどで、シエラはひくりと喉を震わせた。
 木々を透かすようにしてはっきりと映し出された子供の姿は、人間とあまり変わりない。
 けれどそれは――シエラの目が捕らえたということは――、魔物に違いなかった。



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