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「あっれー? えるくんもライナも、怒らないの? あたし、てっきり怒るかと思ってたのに」
「怒るもなにも――なあ?」
「ええ、そうですね。すべては彼女に託しましたから、別にいいんですよ」

 ライナの指先がちょん、と壁に掛けられていた一輪挿しの花をつつく。
 橙色のそれを指先で遊ぶ彼女は、思案顔のラヴァリルに笑顔を向けた。「まあいいか」と笑ったラヴァリルは、適当に椅子を引いてぶらりと足を投げ出した。
 よほど疲れていたのだろう。ラヴァリルは机に突っ伏すと、そのまますうすうと寝息を立て始める。

 呑気なものだと思っていたとき、エルクディアはルーンを一瞥して危険がないことを確認すると、そのまま傍に寄ってきてくしゃりと頭を撫でてきた。
 突然のことに目を細め、なんだと問えば、彼はその問いには応えずに微笑だけを浮かべた。

「魔物が出現するのは日が落ちてからだ。それまではゆっくり休んでろ」
「だが、昨日の今日で現れるのか?」
「あの娘の話だと、魔物は子供の人狼二匹。好奇心旺盛な子供だったら、懲りずにもう一回お前を狙いにくるさ」

 良くも悪くも、とエルクディアは付け足す。
 セルラーシャから得た情報は大きなものだ。
 人狼の名前はイェランとイェスタ。行動も口調も子供じみていたそうなので、確かに彼の言うとおり日を置かずにシエラを狙う可能性は高い。
 そう、狙いは自分のはずだった。それなのに、子供の姿をしたおぞましい魔物はまったく関係のないルーンとセルラーシャを襲ったのだ。そのことが解せない。
 どれほど気にするなと言われたところで、いつまでも心に残り続ける澱だ。

 言葉に表すことが難しい感情をそっとため息に変換したところで、頭に置かれたままだったエルクディアの手が優しく髪を梳く。その優しさがライナが髪を梳くときとよく似ていて、シエラはまじまじと彼を見返した。

「まあ……うん。とにかく、俺はお前を守るから。だから安心して、お前は一生懸命にやればいい。ありのままに生きろ、シエラ。手探りでだって構わないから」

 そう言ってエルクディアがさり気なく視線を逸らす。真正面にある横顔はほんの少し赤く染まっており、どうやら自分で言った台詞に照れたらしかった。
 取り残された手だけが、ただただ、困ったように何度も何度も蒼い髪に手を滑らせている。


+ + +



 新緑の双眸がこちらを向くことはない。だから、シエラは油断した。
 暖かくなった胸をそのまま表すかのように、頬がほんのりと上気し、抑えようとしても溢れる感情が口元に浮かんだのだ。思わず零れる安堵の息が聞こえないように手で口を覆い、彼女は与えられた言葉を心中で繰り返した。

 ――ありのままに生きろ。

 それがどれほど優しい言葉か、きっと彼は気づいていない。


+ + +



 真っ青な顔色をして玉座の前に跪いた少女を思い出し、ユーリはくつくつと喉の奥を震わせた。
 不恰好な赤毛をしていて、不自然に汚れた服を身に纏った王都の人間にしてはひなびた娘。今にも泣きそうな顔をして、彼女は声を絞り出していた。
 くるくると筆を操りながら再び笑みを零せば、紅茶を運んでくれていた女官が怪訝そうな顔をする。
 だが女官の方から尋ねてくることはない。それが徹底された宮廷女官指導の賜物だった。

 ありがとう、と言って紅茶を一口流し込む。抑えようと思っても自然と持ち上がる口端はどうしようもなくて、青年王は大人しくもう一笑いすることに決めた。
 静かに笑う青年王を見て不思議そうな顔をしたままで出て行った女官と入れ違いに、気心の知れた女官長が入ってくる。
 彼女は一度ぱちくりと目をしばたたかせたあと、くすりと笑んで手にしていた花瓶に花を生けていく。

「随分とご機嫌でございますね、ユーリ陛下」
「ああ。とても可愛らしい子猫がやってきたものだからね」
「まあ、それはよろしゅうございました。ですが陛下、子猫を泣かせて喜ぶのはあまりよいご趣味とは言えませぬよ。ご自重下さいまし」
「それは失礼。今後気をつけるよ。とはいえ、今回あの子猫を泣かせたのは私ではなくて、ライナ嬢だけれど」

 ぱちん、と茎を剪定した女官長は一瞬目を丸くさせて驚いた。だがさすがは女官長と言ったところか、彼女はすぐに表情を元に戻して淡い微笑を浮かべている。
 三度目のぱちん、のあと、彼女はすべての花を生け終えた。

 花瓶を窓辺に飾り、全体の構図を微調整して整えてから去っていく。部屋を出る前に深々と下げられた頭は、次に上げられたときには母のように優しい笑顔を見せてくれた。
 一人になった広い室内で、ユーリは消え入りそうな声で告げられた言葉を思い出す。


「馬鹿王、ねえ……。ふふ、ライナ嬢もなかなか」


 許可証を持っていたため謁見の間まで入室できた少女は、屈強な兵士らに囲まれながらライナからの伝言だといって辛辣な言葉を吐いていった。
 初めはただの嫌味程度だったのだが、最後の『馬鹿王』の一言はもはや幼稚な暴言でしかない。下手をすれば不敬罪で処刑だ。
 それがいくら、宮廷神官からの伝言であろうとも。



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