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「姫神よ、そなたまで泣きそうな顔をしているな。勢いで飛び出た言葉は戻せないが、新たに言葉を紡ぐことはできようて」

 雷撃を放っていたシーカーが首だけで振り向いて笑い、手を止めてルチアの額に優しく唇を寄せた。

「嬢よ。おぬしは十二分に働いた。ここは我らに任せ、ゆるりと休むがいい。姫神がそなたをどれほど想うておるか、あとでじっくり聞くといい。恨み言はそのときに言え。――ほら、そう泣くな。約束したろう。うん? 違うか?」
「……ちゃんとやくそく、まもってくれる……?」

 大きなまなこから零れ落ちた涙を吸い上げて、シーカーは柔らかく目元を和ませる。ただ穏やかなだけではなく、男臭さと自信に溢れるその表情が、見惚れるほど様になっていた。
 美丈夫がルチアの前髪を攫い、濡れる睫毛にくちづける。

「ここは約束の地。そして私は竜だ。竜は一度交わした約束を決して違えない。必ず果たしてみせようぞ」
「……わか、った。やくそく、やぶったら、ころしちゃうんだからね」

 安心したのか、再び気を失うようにして眠ったルチアの額にもう一度くちづけ、シーカーは肩を竦めてレイニーを見た。

「さて、というわけだ。頼んだぞ」
「……ええ。すぐに戻るわ」

 スカーティニアが一、二度大きく羽ばたき、大地を蹴って飛び立っていく。しっかりとルチアを抱えたレイニーを見送り、攻撃を再開したシーカーがぐるりと腕を回して気合いを入れ直した。
 どれほど人と同じ姿に見えようと、彼は人ではない。巨大な銅の竜なのだ。大きな背中がシエラの前に聳えている。雷を操る変わり者の竜は、誰かとよく似た新緑の瞳で辺りを見回し、飽きることなく湧いてくる魔物達に眉を顰めた。

「して、姫神よ! このままでは埒があかん。敵の大将を叩いてやるのが最も効果的だと思うが、いかがか?」
「オークに指導者がいるのか?」
「いるとも。こやつらは魔族の中でも特殊でな。他の魔と同じ影から生まれたわけではない。ゆえ、独自に国を作っておるのよ。深く、暗い地底にな」

 割れ鐘のように轟音を響かせ、赤みを帯びた雷撃が砂塵を巻き上げてオークを焦がす。遥か上空では、邪竜と竜の戦士達がもつれあうようにして熾烈な争いを繰り広げていた。
 このオリヴィニスの大地には鎮めの石の力が宿っているというのに、シーカーという男の力はまったく鈍る様子がない。容易く姿を転じてみせたことといい、どうやら彼は相当な力の持ち主のようだ。
 大きな水球をぶつけて三体のオークを一息に浄化したシエラに、シーカーは「上出来だ」と笑った。

「見ての通り、こやつら一頭一頭は頭は良くない。王さえ落とせば、あとは有象無象の集団よ。ゆえ、探せ、姫神よ。破壊の王にして地底の王、タドミールを。奴は必ずこのどこかに潜んでおる。オークの中では極めて狡猾で、腕っ節もある。そなたには荷が重いやもしれんが」

 破壊の王にして地底の王、タドミール。
 その名を聞いた途端、胸の奥でなにかが小さく音を立てた。ロザリオの中心を飾るブルーダイヤが淡く光り、それこそが戦うべき相手だと告げているような気さえする。

「――やれる。頭の速さならライナの方がきっと上だ。……それに私には、ジアがいる」
「ほう? なれば任せたぞ、姫神よ。ここはこのシーカーが食い止める。オリヴィニスの盾が穢されてはならんのでな」

 一体どれだけの経験を積めば、シーカーのように笑っていられるのだろう。決して状況は楽ではないはずだ。いくら彼が最強種族の竜といえど、これだけの数を相手にするのは生半なことではない。実力からすれば、シーカーがタドミールを狩る方が幾分か楽だろう。だが、シエラ達だけではこれだけの数を食い止めることはできない。オリヴィニスの盾を死守するためには、この場にはシーカーが残るより他になかった。
 蟻の行列を思わせるオークの集団を地平に見ながら、シエラはバスィールの背に触れた。温かいのにどこかひんやりとした美しい毛並みに頬を寄せ、顎の下を撫でながらそっと囁く。

「行こう、ジア。この約束の地を、これ以上穢させないために」

 ここは約束を交わした、すべての始まりの地。
 なによりも“私”が愛した場所。

「――氷の花、咲かせて」

 氷狼の足元から一瞬にして氷柱が生まれ、巨大な花模様を描きながら四方へと伸びていく。貫かれ、あるいは凍りつき、醜悪なオーク達が絶叫する。
 バスィールの背に跨ったシエラは、息を呑むライナに手を差し伸べた。リィン、シャラ。涼やかな音を立て、白くたおやかな指先から小さな氷の花が零れ落ちていく。

「ライナ、早く。地底の王を倒しに行こう」

 そのときライナがなにかを言いかけたことも、シーカーが哀れむようにこちらを見ていたことも、シエラはちっとも気がついていなかった。ただ、なぜライナは恐れるように震えながらシエラの手を取ったのかと、なぜ目を合わせてくれないのだろうかと、それだけを疑問に思っていた。
 ライナの腕がシエラの腹に回されたのを確認するなり、バスィールが跳躍する。大地や空中に数多の氷を散らして駆ける氷狼の姿は、世界中の絵師が描かせてくれと懇願するほど美しいに違いなかった。

 蒼い軌跡を残して氷狼が飛ぶ。
 その背に、唯一無二の奇跡を乗せて。




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