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氷狼の背に跨り、シエラは眼前に広がる光景に舌を打った。肌に纏わりつく魔気はどこかねっとりとしていて重く、耳にはオークの笑声がこびりついている。
フォルクハルト達にあの場を任せ、シエラ達は首都アラーマを目指していた。アフサルいわく、オリヴィニスの盾とは聖石の原石であり、また、それを守護する元首自身のことを指すのだという。オリヴィニスの国家元首がどのような人物であるのかシエラには分からないが、元首が墜ちればこの国は終わると言われてしまっては向かわざるを得ない。
乾いた砂の大地を駆け抜け、オークの大群を薙ぎ払う。やっと跳躍の振動に慣れ始めたライナの神言が背から響き、バスィールが凍りつかせた魔物を浄化していく。一方シエラは、舞い上がる砂を聖砂に変えてオークを貫くことで祓魔を行っていた。
オークそのものの祓魔はさほど難しいことではなかったが、いかんせんその数が桁違いだ。圧倒的に手が足りない。祓っても祓っても黒い影は絶えず、悪しき行軍はアラーマの都を目指して続いている。
「ジア、氷の壁を!」
シエラの呼びかけに、氷狼はすぐさま応えた。高く跳躍し、オークらの頭上から氷を一閃して分厚く高い壁を築く。壁の頂点に降り立ったバスィールの背から、シエラは有象無象の衆を見下ろした。
この大地には鎮めの石が埋まっているために幻獣や魔女は十分な力を発揮できないと言っていたが、バスィールには大きな影響はないらしい。
氷の壁に阻まれ、行き場を失くしたオークが頭上のシエラを睨む。斧が振りかぶられたが、それは届くことなく弧を描いて落ち、仲間の頭に深く刺さった。
胸のロザリオをしっかりと握り締め、空いた手で柔らかな毛並みを撫でて呼吸を落ち着ける。スカーティニアに乗ったレイニーらも同様に壁の上に降り立ったが、彼女達はなにをするつもりなのかとは聞かなかった。さすがは年の功とでも言うべきか、ここで話しかけても邪魔になるだけだと判断したらしい。
その静けさに助けられた。シエラはゆっくりと息を吸い、バスィールのもたらす冷気によって冷えた空気を胸一杯に取り込む。目を伏せ、訪れた暗闇に描いたのは渦を巻く泉の姿だ。
「<聖砂、泉となりて魔を呑み下せ。その清廉なる水面で、闇を癒せ!>」
神言を紡ぐやいなや、大地が震動した。邪竜の攻撃によるものではない。辺り一面に静謐な風が吹き、優しく頬を撫でていく。
砂の大地に、波が生まれた。穏やかな水面に雫を一つ落としたかのように、波紋が生じる。そしてそれは幾重にも円を描き、遠く広がっていくのだ。揺らぐ足元にオーク達が困惑する。足を取られたオークが倒れ、起き上がろうとして悲鳴を上げた。下半身が砂に埋まり、足が抜けないのだ。
シエラの金の瞳は、眼下に広がる光景を映してはいたが“見て”はいなかった。そこにあるのは砂ではなく、砂の色をした泉だった。空を映す水面に広がる波紋。戯れに手を入れて掻き回せば渦が生じ、浮いた木の葉が引きずられるように沈んでいく。
その光景を、ただ視ていた。
するとどうか。砂地は水のように揺らめき、渦を巻いてオークを次々に飲み込んでいく。
唖然とするライナの吐息が耳の後ろをくすぐり、そこでようやっとシエラの意識は現実へと戻ってきた。眼下を見下ろし、法術が成功した安堵感にほっとする。
「行こう、ジア。――先へ」
これですべてのオークを倒したわけではない。あとからあとから湧いてくる上に、壁の向こうにも数多のオークがはびこっている。こうした大技は体力を消耗するから、そう何度も使えるものでもない。
とはいうものの、随分と身体が楽なことに気がつき、シエラは内心首を傾げていた。このオリヴィニスでは術の行使が楽だ。ライナはさほど変わらないと言っていたが、シエラにはその違いが肌で分かった。
――オリヴィニスは約束の地。始まりの女神が愛し、二つの聖なる獣を生んだ場所だ。
風を切って駆けながら、シエラは氷狼の後ろ頭にくちづける。
やっと砂漠の向こうにアラーマの都の高い外壁が見えてきた頃、一層数を増したオークの集団が現れた。
レイニーが魔法具を使うも、場所によっては無効化されてしまい、思うように戦えない。どうやらこれが鎮め石の効果らしい。魔女としてある程度の力を持つレイニー自身の魔法ならまだしも、力を移しただけの魔法具程度の力ならあっという間に抑え込んでしまうのがこの地の特徴だった。
役に立たない槍型の魔法具を乱暴に放り投げ、レイニーが毒を吐く。
「ほんっとよくできてるわ、オリヴィニスって!」
「そうでなくば竜の足元になど眠れんよ。そら、レイニダル。次が来たぞ」
「大師ともあろう方が、なにを殊勝な! ――あっ、いけない!」
一つの集団を相手取っている矢先、遠くにアラーマの壁を崩そうとしているオークの集団を発見してレイニーが舌を打った。