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 レティシアは唇を尖らせてから悪戯っぽく微笑み、ぱちんっと軽やかに指を鳴らした。その瞬間、ぼっと音を立てて本が燃え上がる。炭と化したページがはらはらと散っていく様を呆然と見ていたシンシアに、ベスティアの魔女は鶏の卵ほどの大きさの石を取り出して見せた。
 赤く光を放つ、紅玉のような石だ。だが、その石は内側からゆっくりと明滅していた。まるで鼓動のようなリズムを刻むかすかな光を宿す石など、この世にそうあるものではない。
 鼻先に赤い石を突きつけられたシンシアの表情が、その一瞬で目に見えて変わった。恐怖と絶望感をじっくりと混ぜ込んで焼き上げたクッキーを食べたときのような、そんな表情だ。乾く口を潤すかのように、ぎこちなく唾液を飲んでいる。

「貴方、それ……」
「とーっても綺麗ですわよねぇ。さすがは希少な精霊石ですわぁ」

 淡く発光する精霊石にくちづけ、唇から伝わる熱に悦に入る。
 高位の精霊の心臓から採れるという精霊石は、この世でかなり希少な存在だ。この精霊石を用いれば、中に精霊を封じて使役することができる。赤い精霊石は火霊を、青い精霊石は水霊を――というように、属性によって石の色は異なっていた。
 今、レティシアが持っている石は赤だ。すなわち、火霊を封じるための石。

「言ったでしょう、黒い天使さん。わたくし、調べてみたんですのよ」

 不思議に思ったことがあった。
 それはこの世の概念を覆す、まさに異端と呼ぶべきものだった。

「本当に、ほんっとーうに不思議ですわよねぇ。クロードさまってば、人間で、それも聖職者なのに、法術で人を殺せるんですもの〜。その上とぉっても精霊の気配が濃くっていらっしゃる。ですからわたくし、むかぁしのお友達にお話を伺ってみたんですの〜。驚きましたわぁ。こんなこと、ありえるんですのねぇ」
「……やめて」

 目に見えて怯え始めたシンシアの身体から杭を抜き――魔法を使って一気に引き抜いたので、当然血が噴き出した――、一時的に拘束を解除した。その場に崩れ落ち動けないシンシアを憐れみながら、レティシアが手の上の精霊石を弄ぶ。
 美しい漆黒の翼、乳白色の四肢、その全身を余すことなく血で汚し、濡れた地面に横たわっていてもなお、シンシアは瞳から光を消そうとはしなかった。無様に這いつくばりながらレティシアを見上げ、力の入らぬ拳を懸命に握り締めて身体を起こそうともがいている。

「『やめて』? あらあらぁ、どうして? わたくし、褒めているんですのよ? うふふ。人間に化けるのが随分お上手なんですのねぇ、あの方。それとも、何度もお着替えなさっておられるのかしら〜?」
「違う! やめて! クロードは人間なの、人間なんだよ!」

 慟哭するようにシンシアが言う。
 美しい天使が涙を零す様は実に哀れで、同情すら覚えた。
 レティシアは精霊石を胸元に仕舞い、可哀想な黒い天使の傍らに膝をつく。湿った髪を撫で、汗ばむ額に唇を寄せ、ほろほろと透明な雫が伝う頬を優しく撫でてやった。
 シンシアの喉が震える。嗚咽か、それとも恐怖か。どちらでも構わなかった。
 貝殻のように形良い耳元に、レティシアはそうっと囁いた。

「可哀想な天使さん。それは無理なご相談ですわぁ。どうして彼を人間だなんて呼べますの? ――千年竜と精霊王との合いの子だなんて、バケモノ以外の何者でもありませんもの〜」

 幻獣でもなく、魔物でもなく、魔女でもない。ましてや人間だなどとは到底呼べない。
 ならば彼は一体なんなのか。なぜ、人間のふりをしているのか。
 そもそも、精霊は多種族と交わることなどしない。まずありえない。彼らは性交を伴わずに繁殖する種族なのだ。清廉な炎から、泉から、あるいは風や大地から。穢れのない清らかな環境から自然と生まれ、この世に存在する。
 それを思えば、幻獣と魔物の子どもの方がよっぽど“まとも”だった。
 仮に精霊と交わったところで、種も子宮も持たない彼らと子どもがなせるはずもない。
 クロード・ラフォンは異質だ。彼は、この世に生まれるはずのない存在なのだ。

「お願い、やめて……! あのひとは、クロードは人間なのっ」

 泣きじゃくる黒い天使を抱き締めて、レティシアは優しい声音で子守唄を歌った。ベスティア王家に伝わるその歌は「獣の国」と評されるこの国のものにしては、穏やかで優しい旋律を持っている。
 傷ついた翼ごと抱え込み、幼子をあやすように背中を撫でてやる。

「バケモノ同士、仲良くなさっておいでですの?」

 優しい歌に交えて、鋭利な棘を。

「可哀想な天使さん。道に迷ったりなんてなさるから、こんな目に遭ってしまうんですのよ」

 アスラナが誇る神炎の異端児、クロード・ラフォン。
 ――獣は時として、狩人にもなる。




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